カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

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キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

カテゴリ:人間を考える > 家族について

重度の自閉症の診断を受けた東田直樹さんの本を読んでいる。

会話が出来ない東田さんは、子供の頃にお母さんの工夫による文字盤ポインティングという方法でコミュニケーションが出来るようになり、パソコンを使うことで自分の気持ちを表現する「作家」となった。

絵の才能を認められる人はいても、東田さんのように自閉症で文筆活動を行える人は少ないらしい。

自閉症に対し、特性を端的に表現するために「人の気持ちがわからない」という表現をする場合がある。

自閉症者は、まるで「愛がわからない、感情がない、心がない」とでも言いたげな、この突き放すような酷い言葉を、一般の素人だけではなく、専門機関、医療関係者でさえ使ってきた。

この鈍感で心ない言葉によって、どれだけ多くの誤解を生み、自閉症者やその家族が傷つけられてきたかは想像するに難くない。

東田さんの本は、自閉症という症状を持つ人たちの苦労や気持ちを代弁する本になっているが、それだけではなく詩的な表現の文章力にも引き込まれる。

東田さんの「跳びはねる思考」という自分の気持ちを綴ったエッセイに次の言葉がある。

「僕の気持ちをほんの一部でもわかってくれたら、嬉しくなります。人は話をする時、相手に対して言葉以上のものを受け取ってほしいと、常に願っているのではないでしょうか?

そのために思いが伝わっていないと感じたとたん、心に不満や葛藤が生まれます。
気持ちが十分伝わったと思えたなら、ひと言だけでも満足するはずです。

母は僕が泣くと『つらかったね』『悲しかったね』と言って、よしよししながら抱きしめてくれました。父や姉から、泣くなと注意されたこともありません。母の腕の中で泣きたいだけ泣くことができたのは、本当に幸せでした。

僕の望みは、気持ちを代弁してくれる言葉かけと、人としての触れ合いだったと思います。
どんな自分も受け止めてもらえるという体験ができたからこそ、僕は壊れずに生きてこられたのでしょう」


自閉症の特性は「人の気持ちがわからない」ではなく「コミューケーションがうまくできない」と表現するべきで、コミュニケーションの努力をすべきなのは健常者のほうなのである。


東田さんの存在が、世の中に広く知られるようになったのは、2014年放映のNHKの「君が僕の息子に教えてくれたこと」というドキュメンタリー番組らしいが、なんと東田さんは10年ぐらい前から本を書いている。

12歳の時に書かれた「この地球(ほし)にすんでる僕の仲間たちへ」という本のまえがきには、次の言葉がある。

この本を出そうと思ったきっかけは、僕と同じような障害を持っている子供の気持ちを、少しでもみんなに分かって欲しかったからです。

僕たちはいつも困っていてひとりぼっちなのです。
僕たちを笑わないでください。
僕たちをのけ者にしないでください。
僕たちを助けてください。

この本を読んで僕たちの仲間になってくれたら、僕はとてもうれしいです。
この地球にすんでいる僕の仲間たちへ。
たとえ今がつらくても、生きることをあきらめないでください。
みんなが僕らの仲間になってくれたら、僕らだってこの世界の中で生きていけます。

みんなが分かってくれるように、僕が頑張ります。


「跳びはねる思考」の中のインタビューに

「必要とされることが人にとっての幸せだと考えています。そのために人は人の役に立ちたいのです」


という言葉があったが、12歳の時の決意の延長に今の東田さんの姿があるということがわかった。

電車の中で読んでしまって、不覚にも涙目全開になってしまった・・・

価値観についての統計だと思うが「あなたの一番大切なものは何ですか?」という質問をされる意識調査がある。

統計数理研究所という研究機関が行っているようで、この調査は内閣府の資料でも引用されている。

直近の2013年の調査結果では
家族」      42% 
「愛情、精神」           18%
「生命、健康、自分」18% 
「子ども」       7%
「お金、財産」             4%

となっている。

「子ども」というのも「家族」だから、「家族(子供含む)」で、49%となりほぼ半数。
単身世帯が増え、晩婚化も言われているのに、統計的には逆にダントツの1位というのは興味深い。

この選択肢の場合、「時間」というのはどこに入るのだろうか?
何番目なのかはちょっとわからない。

「自由」とか「信仰」という回答ならば、「愛情、精神」にまとめられているのかもしれない。

この質問。私はどう答えるだろう?

20代の頃のならば「自由」と答えたかもしれないし、今でも「時間」がとても大切という感じはある。

しかし現在の私が一番目に選ぶものならば、やはり多くの人と同じく「家族」という回答をあまり迷わずに選択する感じがする。


家族という集まりは、親子も夫婦も因縁、縁起によって出会った絆のもとで共に生きている。

そしてまた意味深いのは、夫婦や養子のように、たとえ血縁関係が無くても「家族」という関係は存在する。

話が前々回に戻ってしまうが、結局のところマルティン・ブーバーの「<われーなんじ>の〈関係性〉の世界」「<われーそれ> の〈もの〉の世界」の話を当てはめるならば、家族というのは、一番実感し易い「<われーなんじ>の世界」ということなのではなかろうか?

スパッと別れずに混沌と入り混じっているような感じがすることが多いこの「二つの世界」説だが、「家族」の関わりというのは 、もう〈関係性〉のかたまりで、関わらないことができない世界 なのである。

一番大切なものだから
関わらないことができないのか、関わらないことができない世界 だから 一番大切なのかはよくわからない。

そういう存在だから家族についての悩みごとというのは、ひときわ辛い。


公教会祈祷文では家族の祈りとして「父母のためにする祈り」「子女(こども)のためにする祈り」「聖家族に対しておのが家族のためにする祈り」がある。

「子女(こども)のためにする祈り」は次の内容になる。

「天にましますわれらの父よ。われは主の御恵み(おんめぐみ)によりて賜りたるこの子女(こども)を、謹みて主の御保護のもとに託せ(まかせ)奉る。願わくは御(おん)みずからかれらの父となり給え。われらの愛子(あいし)が世の腐敗に勝ち、内外の悪しきいざないを防がんために、御慈悲をもって、かれらを強め、悪魔の謀計より救い給え。なおその心に聖寵を注ぎ、聖霊の賜物を与え給いて、イエズス・キリストを認め愛せしめ、日々御旨(みむね)に適わしめ、この世においては、熱心に主に仕え、後の世においては、主の御前(みまえ)に喜ぶを得しめ給わんことを、われらの主イエズス・キリストによりて願い奉る。アーメン」


抜粋は望ましくないのかもしれないが、

天にましますわれらの父よ。われは主の御恵み(おんめぐみ)によりて賜りたるこの子女(こども)を、 謹みて主の御保護のもとに託せ(まかせ)奉る。願わくは御(おん)みずからかれらの父となり給え。

というここの部分は、祈祷書がなくてもいつでもどこでも祈れるように、記憶し覚えておきたいと思った。



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