印象に残って書き留めているリタニアがある。

「償いの連祷」という連祷で、公教会祈祷文には載っていない。

某信心会のベネディクションで教えていただいた祈りである。

【先唱】                  【答唱】
御聖体へのすべての涜聖の罪ゆえに      主よ我らを赦し給え
大罪をもってなされる聖体拝領ゆえに     主よ我らを赦し給え

御聖体への不敬ゆえに            主よ我らを赦し給え          
教会内における非礼な態度ゆえに      
 主よ我らを赦し給え
聖櫃への侮辱と軽蔑ゆえに         
 主よ我らを赦し給え
聖なる事柄への軽蔑ゆえに         
 主よ我らを赦し給え
教会の遺棄ゆえに             
 主よ我らを赦し給え
不道徳の罪ゆえに             
 主よ我らを赦し給え
神を信じない霊魂ゆえに         
  主よ我らを赦し給え
あなたの聖なる御名に対する軽蔑ゆえに   
 主よ我らを赦し給え
あなたの愛に対する無関心ゆえに       
主よ我らを赦し給え
教皇に対する不敬ゆえに          
 主よ我らを赦し給え
司教、司祭方に対する不敬ゆえに      
 主よ我らを赦し給え
聖マリアの御名に対する侮辱ゆえに     
 主よ我らを赦し給え
聖マリアの汚れなき御宿りに対する軽蔑ゆえに 
主よ我らを赦し給え
聖マリアの崇敬の放棄ゆえに         
主よ我らを赦し給え
聖マリアの御絵、御像などに対する軽蔑ゆえに 
主よ我らを赦し給え
ロザリオの祈りの放棄ゆえに         
主よ我らを赦し給え
聖マリアの母性的愛に対する無関心ゆえに   主よ我らを赦し給え

胸に手を当てれば思い当たる節があって、皆で共に唱えるときに、心臓の鼓動が激しくなってしまうような濃密さがある。

それほど古典的な祈りではないと思うが、文章として、フニャフニャせずシャキッとしていてテンポがとても良い。
やはり答唱の「主よ、我らを赦し給え」が文語で、祈りを引き締めていることもあるかもしれない。

私の小教区では連祷があるのは、せいぜい洗礼式のときの「諸聖人の連願」(それも口語)ぐらいで、こういうシャキッとした濃密な連祷を、皆で一緒に唱えるなど考えられない。


コメンテーターの抵抗キリシタンさんの小教区の転出があり、このところ私なりの「教会の選びかたのポイント」のようなことを、いろいろ考えていたのだが「中規模の教会を避け、小さいか大きいかどちらかの教会を選ぶ。」という事があるのではないかと思った。

仮に、上記の「償いの連祷」を、小教区で呼びかけてみるとする。

小さい教会は規模のサイズ的に話合いに適するし、逆に大教会ならば、その大きな共同体のなかでの同好の士で集える可能性があるが、中規模教会は、話し合うにも中途半端なのである。

コミュニケーションによる意思統一が図れるのは、せいぜい10人ぐらいの少人数であろう。

拙ブログをお読みいただいている方は、カトリック信者の方が中心だとは思うが、もしかしたら、教会の門をくぐってみようかどうしようかと思っている求道中の方もおられるかもしれない。

私なりの「教会の選びかた」のポイントだが、ご参考になれば幸いである。