カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

カテゴリ:カトリックの教え、信心について > リタニア

印象に残って書き留めているリタニアがある。

「償いの連祷」という連祷で、公教会祈祷文には載っていない。

某信心会のベネディクションで教えていただいた祈りである。

【先唱】                  【答唱】
御聖体へのすべての涜聖の罪ゆえに      主よ我らを赦し給え
大罪をもってなされる聖体拝領ゆえに     主よ我らを赦し給え

御聖体への不敬ゆえに            主よ我らを赦し給え          
教会内における非礼な態度ゆえに      
 主よ我らを赦し給え
聖櫃への侮辱と軽蔑ゆえに         
 主よ我らを赦し給え
聖なる事柄への軽蔑ゆえに         
 主よ我らを赦し給え
教会の遺棄ゆえに             
 主よ我らを赦し給え
不道徳の罪ゆえに             
 主よ我らを赦し給え
神を信じない霊魂ゆえに         
  主よ我らを赦し給え
あなたの聖なる御名に対する軽蔑ゆえに   
 主よ我らを赦し給え
あなたの愛に対する無関心ゆえに       
主よ我らを赦し給え
教皇に対する不敬ゆえに          
 主よ我らを赦し給え
司教、司祭方に対する不敬ゆえに      
 主よ我らを赦し給え
聖マリアの御名に対する侮辱ゆえに     
 主よ我らを赦し給え
聖マリアの汚れなき御宿りに対する軽蔑ゆえに 
主よ我らを赦し給え
聖マリアの崇敬の放棄ゆえに         
主よ我らを赦し給え
聖マリアの御絵、御像などに対する軽蔑ゆえに 
主よ我らを赦し給え
ロザリオの祈りの放棄ゆえに         
主よ我らを赦し給え
聖マリアの母性的愛に対する無関心ゆえに   主よ我らを赦し給え

胸に手を当てれば思い当たる節があって、皆で共に唱えるときに、心臓の鼓動が激しくなってしまうような濃密さがある。

それほど古典的な祈りではないと思うが、文章として、フニャフニャせずシャキッとしていてテンポがとても良い。
やはり答唱の「主よ、我らを赦し給え」が文語で、祈りを引き締めていることもあるかもしれない。

私の小教区では連祷があるのは、せいぜい洗礼式のときの「諸聖人の連願」(それも口語)ぐらいで、こういうシャキッとした濃密な連祷を、皆で一緒に唱えるなど考えられない。


コメンテーターの抵抗キリシタンさんの小教区の転出があり、このところ私なりの「教会の選びかたのポイント」のようなことを、いろいろ考えていたのだが「中規模の教会を避け、小さいか大きいかどちらかの教会を選ぶ。」という事があるのではないかと思った。

仮に、上記の「償いの連祷」を、小教区で呼びかけてみるとする。

小さい教会は規模のサイズ的に話合いに適するし、逆に大教会ならば、その大きな共同体のなかでの同好の士で集える可能性があるが、中規模教会は、話し合うにも中途半端なのである。

コミュニケーションによる意思統一が図れるのは、せいぜい10人ぐらいの少人数であろう。

拙ブログをお読みいただいている方は、カトリック信者の方が中心だとは思うが、もしかしたら、教会の門をくぐってみようかどうしようかと思っている求道中の方もおられるかもしれない。

私なりの「教会の選びかた」のポイントだが、ご参考になれば幸いである。 

先唱に続いて【我らの為に祈り給え】など、短い祈りを何回も繰返して歌唱するカトリックの伝統的なお祈り。

【連祷】は、ラテン語だと【Litania】(リタニア)と言うみたいですね。

伝統的なグレゴリアンのメロディーと繰返しのテンポが美しくて心地よく、とても好きな祈りです。

先唱の部分は、徹底的に神様や聖母マリアを賛美する言葉が続きます。
神を賛美するという姿勢を、言葉の限りを尽くして表現するということなんですね。

答唱の部分は、2〜3種の同じ言葉の繰返し。

日本語の【我らの為に祈り給え】のときは重厚な感じ。

ラテン語の【ora-te pro no-bis 】(オラプロノビス)の場合はもっと軽やかで空に舞い上がるような感じになります。

何回も繰返していると、気持ちが高揚して、ゾクゾクッとなるというか鳥肌が立つというか・・・
霊的な刺激につつまれて、何か気持ちが大きく動かされると言うか・・・
ちょっと表現するのが難しいですが、不思議な感覚です。
気持ちに与える影響が強い祈り方なのだと思います。

近々の11月9日の東京カテドラルの荘厳司教ミサ(ラテン語ミサ)でもミサ前に【聖マリアの連祷】(ラテン語)がありますので、ご興味を持たれるかたは是非どうぞ。

ラテン語で唱える機会は、あまりありませんから・・・


所属教会でも、クリスマスか復活徹夜祭の洗礼式のときに、1〜2度【諸聖人の連願】を皆で唱えたことがありました。

洗礼式のときには【諸聖人の連願】を唱えるみたいですね。
しかし毎回じゃありません。あったりなかったりです。

今は【連願】って言うみたいですね。

そういえば【我らの為に祈り給え】ではなく【私たちの為に祈ってください】と唱える人もいました。

【連願】は口語版???

いやいや、いま手元に典礼聖歌集がないけど【連願】も【我らの為に祈り給え】じゃなかったかなあ??
記憶があいまいだけど・・・

【私たちの為に祈ってください】は何に載っているんでしょう?

【我らの為に祈り給え】と【私たちの為に祈ってください】が混ざるのはどうなのかな?
めったに唱えることがないからか【我らの為に祈り給え】の人の方が多い感じ。

【連祷】の、たった一行の短い祈りまで口語版を作るという本質的ではない追加のために、調和が乱れ無駄なエネルギーが費やされる。

ちょっと【連祷】の口語版は不要な追加だと思います。

ウィキペには以下の6点が記載されてました。

【イエズスの聖名の連祷】
【イエズスの聖心の連祷】
【イエズスのいと尊き御血の連祷】
【聖マリアの連祷】
【聖ヨゼフの連祷】
【諸聖人の連祷】

私の公教会祈祷文には【イエズスのいと尊き御血の連祷】が載ってない。
もっともっと古い祈祷書に遡れば、あるのかもしれませんね。


↑このページのトップヘ