カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

カテゴリ:世の中のことについて > 環境問題について

クリスマスが近づくと、イルミネーションで街の雰囲気がグッと華やいでいるが、神戸のルミナリエで、光源をLEDから白熱電球に戻したというニュースを知って 「ええっ〜!」と思った。

ルミナリエが、阪神大震災の鎮魂と慰霊のシンボルになっていることは充分に知っているので行事そのものに異をとなえるつもりは全くない。

しかし白熱電球というのは、家庭用の電球で考えれば、電力消費量は LEDの10倍もある。

もはや白熱電球は、電力浪費のシンボルのような存在で、日本のメーカーは製造停止しようとしているようなシロモノ。

いまさらなぜ、そんな白熱電球を使用するのか?

温かみのある電球色のLED電球があるわけだから、LEDでは表現できないとは思えない。

白熱電球とLEDの微妙な温かみ表現の違いに拘ったということだろうか?
もしその程度の拘りならば、あまりにも自己本位な拘りではないのか?

些細な拘りで、阪神大震災の鎮魂慰霊のイベントが、東北大震災の福島の被災者の気持ちを逆撫でするようなものになってはならないと思うのだが・・・

くしくも、日本人の三人の博士が、青色LEDの発明でノーベル賞を受賞した年。
なんとも時代錯誤でセンスが悪い話ではないか。

LEDのような省エネルギーの光源こそ、ルミナリエにふさわしいと私は思う。

できれば来年は再考してLEDに戻してほしい。



というようなことを上記のニュースで感じたわけだが、この節電の話は、脱原発、原発再稼働の是非の問題に結びつくトピックかもしれない。

日本を代表する企業であるトヨタが過去最高益となっているような円安状況にもかかわらず、国としての貿易収支が赤字になっている。
原発の稼働停止によって化石燃料への依存率が高まっていることがかなり影響しているらしい。

製造加工業による製品輸出を主軸にした貿易立国である日本国が、国際競争の上で輸出に有利な円安でも貿易収支が赤字になってしまう。
これは国のなりわいというか国家の事業構造の根幹を揺るがす大問題のような気がする。

原発の停止
の問題というのが、いまようやく実感としてわかってきたような・・・


やはり資源が無い日本では、
原子力に依存しなければ、ならないのだろうか?

しかしそういう年に、青色LEDノーベル受賞があり、トヨタ自動車が燃料電池車の発売を発表したというのも、何か象徴的な出来事のような気もする。

「燃料電池の燃料である水素は、太陽光発電などの再生可能エネルギーを蓄えるうえで有力な手段となる」という話もあるらしい。

本来は、原子力にも化石燃料に依存しない社会が理想だ。

理想を見誤らないようにする政策が重要な気もする。

理想か?現実か?
というところだが、現実をおさえつつもやはり理想にむけたステップがほしい。

素人である私でも、明日の総選挙を前にして、こんなことを思った。


もっとも、それ以前の基本的な問題として国の財政赤字の問題は選挙における選択肢のうえでの大前提である。
選挙の時だけ甘い話をして、後から
国民に対し、更なる増税や年金カットで負担増を強いるようなことをする政党は困る。
私は財政赤字に取組む姿勢が真剣な政党、候補者を応援しようと思う。

この度の震災で起きた福島原発事故について、今日までコメントを避けてきました。

以前このブログでも「文明生活を享受しながら原発に反対するのはおかしい」という事を書いた事もありどちらかと言えば現状容認派だったのですが、原発の要否について、いま気持ちが大きく揺れ動いています。

事故が起きた事について一方的に東京電力を責めるのはフェアではない気もしますが、正直な話、事故後の経営陣の姿勢には失望しています。東電幹部によって故郷を汚染され奪われた方の失望が増幅されているようにも感じる。
こんな無責任な人達に、原子力という強力で危険なエネルギーに対する安全責任をまかせていたと思うとゾッとします。
本当に情けないです。
ただ今は放射能漏れを止める安全確保が最優先の時。
現場で必死に安全確保に取組むために作業している方々に対しては、作業の安全を祈る日々です。
頭が下がります。同じ東京電力でもそこは分けて見なければと思います。

ところで私の住む関西は、原発依存度は確か50%ぐらい。「若狭湾にある原発も今すぐ止めてくれ」とはとても言えない歯切れの悪い現実がありますが、今回の震災で原子力の危険性が骨身にしみてわかり、「反原発」ではないけど「脱原発」は必要という気持ちになりました。
「『文明享受=原発容認 原発反対=文明否定』という二極で見すぎていたこと」そして「過剰な電力消費が原発による危険性と裏腹であったこと」を素直に反省いたしました。

「福島の人と同じ気持ちで原発を見つめる。」
それが原発に対する新しい私の目線になりました。


ところで原発を止めたとして新しい環境エネルギーで、どこまで現状をささえられるのか?
太陽電池、風力発電では、屁の足しにもならないなんて言われるけど、塵もつもればなんとやらで無いよりいいですよね。家庭用太陽電池は燃料電池と組み合わせると相互補完で効率がいいらしいです。

やはりしばらくは環境エネルギーではない火力発電がメイン。ただし石炭の脱硫技術はかなり進化しているという話も聞きました。環境負荷は少しずつ下がってきているんでしょうね。二酸化炭素排出の問題はありますが火力発電における技術進化は重要な感じ。
直接関係ないですがガソリン車でハイブリット車に近い燃費を実現したマツダの技術力みたいなものを感じます。

エネルギー資源の確保ということでは、Rickさんのブログにあった、メタンハイドレートが気になる。
今は直接結びつかないかもしれないけど、将来、燃料電池との組合せで新しい電力確保のコアにすることもできるんじゃないだろうか?


「人類の未来」「これからの地球」なんてことも思いました。
なかなかイメージができませんが、以前、ちょっとこのブログでもご紹介した「ディープエコロジー」の事が頭に浮かびます。
「自分が自然の一部であることを、イメージする。皮膚の外側の部分で遮断されているのではなく他の生命体とつながっている。自分の立っている場所が汚染されている場合、それは自分の汚染でもある」という話。

環境エネルギーで文明を維持するシャロー・エコロジーの世界に移行し、さらにその先の将来はディープエコロジーの世界へ向うのか・・・・・

ディープエコロジーの世界。なかなかイメージできませんがアーミッシュの事も思い出しました。
どんな未来なんだろう・・・・・

「ディープ・エコロジー」アラン・ドレングソン/井上有一 共編

書棚を整理していて、久しぶりにこの本を手に取りました。

この本はある人から「読めば人生観が変わる」とまで言われたので、試しに読んでみた本なのですが、これがまた難解だった!

ノルウェーのアルネ・ネスという哲学者/環境思想家の講演などをまとめた本なのですが、私にとっては難しすぎて、人生観まで影響したかは残念ながら微妙・・・・

難しくてわからなかった本を、ブログのネタにするというむちゃくちゃな事を、今してるのですが(笑)印象には残った!

現在エコロジーは重要課題として、政治経済などあらゆる面で影響を及ぼしていますが、課題解決としての動きです。
地球温暖化防止、環境保全のため、リサイクルや省エネ、脱化石燃料化を推進するという感じですよね。

アルネ・ネスという人は、こうした動きをリフォーミズム(シャロー・エコロジー)として位置づけ否定はしないのだけど、「現在の環境問題は既に技術的な対応を超えたところにある。経済の拡大、不断の経済成長を肯定していては真のエコロジーにはならない。社会問題の根源に目を向け価値観を転換しなければならない」と提唱されてます。
「文化は特定の土地と切り離せない」「自然のなかに存在する自分を見いだす」「全ての生命は親密な関係で結びつく」ちょっと哲学的な感じで、気になるキーワードがバンバンでてきます。

もう一回読めばもう少し理解できるだろうか?

確かに気になった本ではありました。

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