カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

カテゴリ:世の中のことについて > 政治思想・国内政治について

平和は尊い。

誰も平和がイヤだという人はいないのに、日本においては憲法をめぐって意見が食い違う。

争点は過去より、護憲か改憲かというラインなのですが、最近もっと根本的な憲法の理念の賛否について争点にしたほうが良いと思い始めました。

つまり、「日本国憲法の理念は正しいが条文に不備がある」という改憲と「日本国憲法は破棄すべきである」というのとではやはり意味が違うからです。

石原慎太郎さんが「日本国憲法は破棄すべきである」という主張のもとに、日本維新の会を離脱しました。
これは政治をわかりやすくするということでは良かった。
同じ主張の議員は、石原新党に加わって立場を鮮明にしてほしい。 

そうしてもらうことで、ハッキリ支持不支持の線を引けるというものです。

私は、「現行憲法破棄論」というのは、戦後民主主義を全面否定する主張のように感じるので、その主張については明確な拒否感がある。

「現行憲法を破棄し自衛隊を国軍にする」そのような姿になった日本が果たして戦争の歴史を学んだ姿といえるのか、想像力を持って考えれば、その姿はもう許容できる姿ではなくなっています。

戦後の日本が、まがりなりにも平和を保てたのは「憲法」と「安保、自衛隊」が併存しつつ機能してきたからじゃないのか?

私は「『安保、自衛隊』は決して否定しないが『現行憲法』は大事」だと思います。

条文修正は拒否しませんが、憲法の「理念堅持」ということでは私も護憲派なんでしょう。


その「護憲」を最も重視する政党は社民党。

しかし私のようなタイプの人間が、護憲政党である社民党を支持してきたというと全く違っていて、むしろ社民党は一番嫌いな政党です。

福島前党首がプロライフ視点で最も許容できない政治家ナンバーワンだし、護憲の主張も一言一句変える事を許さないという姿勢が教条的で全く共感できない。
拉致問題での欺瞞的対応というのもありました。


ところがその社民党ですが、選挙を重ねるごとの、壊滅的敗北を経て、ようやく過去の教条的姿勢に対する反省が生まれているようです。

http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/116teruya.htm

「護憲派の主張や運動が教条的で、市民や若者らにわかり易く説明し、語りかけない胡散臭さも感じていた。」
「市民が権力と対峙するためには、少しでも意見が違うと『本物じゃない』などとどんどん排除していき、自分たちで勢力を小さくしていくというくり返しをやめないといけない。」


という言葉がホームページにありました。

「今頃、気づいてももう遅い。もう手遅れ」と思いますが、少なくとも「話し合うことの大事さ」に気づいたことだけはマルでしょう。 

なぜ支持政党でもない「社民党の反省」について、今回、ブログの記事にしたのか?

カトリック教会の一員である私は、やはり「正平協」のことが、頭をかすめるからなんですよね。

先月の19日ですが、驚いたことに国会でカトリック教会のことが質疑応答がされたらしい。

場所は衆議院内閣委員会で質問者は、日本維新の会の中丸啓(ひろむ)議員。

(中丸議員質問)
それでは次に、外務省の欧州局の局長宛に持ち込まれた意見、質問趣意書についておたずねします。これはカトリック教会ですけども、岡山の赤磐市議会議員から届けられた意見趣旨書があるんですけれども、バチカン市国から指名されて日本に配属されているいわゆる司教の方々がどういったことを信者の皆様に対して言っているかということなんですけども、一例をあげてみます。


反政府デモ活動への積極的参加することは、信者の義務であると呼びかけ、宗教指導。
中核派は革マル派が主催する活動デモ・反政府デモへの積極的参加することは、信者の義務であると呼びかけ、信者として反政府意識を持つように呼びかけ、反政府活動は信者の義務だと宗教指導。
宗教の言葉を引用し、日本型社会構造及び文化意識への批判を行い、反対運動というのは信者の義務であると扇動。
憲法改正は戦争を起こす行為であると議論そのものを否定し、また改憲反対活動を信者に義務として奨励し遂行。
いわゆる従軍慰安婦なるものの存在を政府に認めるように求める活動は信者の義務として奨励遂行。


と、 このようなことを、全国のカトリック教会組織を用いて行っているようなんですけど、ここだけ見れば完全な反社会活動と言わざるを得ない内容なんですけども、それについてどうかという趣意書が出ているということなんですけど、今日、外務省の参考人に来ていただいていると思いますので、その取り扱い、今どうされているかを教えていただきたいと思います。

(外務省答弁)
お答え申し上げます。
今、議員がご指摘の紙は当方で受け取っております。
日本国内におけるカトリック教会の動向等について、外務省としてお答えする立場にございませんので、コメントを差し控えさせていただきたいと思います。


(中丸議員質問)
受取ったということだけだと思うんですが、これはほとんど我が国に関する内政干渉、もっと言えば国内騒乱煽動を組織的に行っているとも受け取れるとも思えるんですね。
これがカトリック教会がという意味ではなくて、こういう宗教活動からどんどん発端を発していった、昔、オウム真理教という事件も国内ではあったわけですから、まぁそこまでのものとは思いませんけども、こういう存在があって、外務省として答えられないということであると思うんでしたけども、国家公安委員長、こういった国内での信教の自由を大事にしなければならない、言論の自由を大事にしなければならないということでしょうけども、明らかな反政府活動的なものとなってきたものについて、どういう風に考えていったらいいのか、ご所見を伺いします。

(国家公安委員会答弁)
一般論として申し上げますけども、警察が、そういった諸外国からいろいろな対日の諸工作が仮にあったということで、そう いったことは実は平素から我々も関心をもって集めていますので、具体的な中身の言及についてはご容赦ください。その中で具体的に違法行為というものがある ということならば、私たちは厳正に取り締まっていくという、こういうことが警察の基本スタンスであります。


「反政府活動」「内政干渉」「国内騒乱扇動」だって。

外務省に質問するということは、バチカン市国が謀略を仕掛けているって言う見方?

ちょっと酷いなこれは・・・

今の日本のカトリック教会は、こんな見方をされてるわけ?

この中丸議員、維新の会でも「たちあがれ日本」系のようで、民族主義的というか国家主義的な人の中にはこういう人もやはりいるということがわかります。

カトリック教会に対し、少し穿った見方をしてる。

そして誤認があります。
「信者の義務として」という言葉が何回もでてきますが、そんな事実はなく完全に誤認。

何かの政治運動に、参加を強要されたり義務とされた事実は、私の周囲では全くありません。

日本のどこかの小教区で義務づけがあった? そんな話も聞きませんが・・・


なぜ中丸議員が日本のカトリック教会に目が向いたのかちょっと不可解で、質問そのものにも驚きましたが、私がもっと驚いたのは中丸議員に対し情報を提供し働きかけた一部のカトリック信者がいるという事です。

私も正平協にはかなり不信感がありますし、偏った政治発言に辟易することも多い。

しかし国会議員を通じて政府に働きかけ、国家から教会に圧力をかけて動きを是正させようなんて、そういう発想をすること自体、根本的に、完全に間違っていると思う。

日本でのカトリック教会の歴史は、弾圧迫害の歴史。そのことを忘れたら絶対ダメです。

今回、中丸発言に関与したカトリック信者は、この大変な誤りに気づいてほしいと思います。

ソルトレークとかトリノオリンピックの時でしょうか?
100名以上の選手団を送ってもメダルを獲得した選手は1〜2名で「やはりメダルを獲得するのは本当に大変なんだ」と思ったものでしたが、ソチでは、いきなり「15歳平野選手18歳平岡選手の銀銅」をとったのを見て、選手層の厚みというか、日本のウインタースポーツがとても成熟しているのを感じました。

見た感じの印象ですが、平野平岡両選手などは、自分の技を披露することを楽しんでいるようで気負いがない。スノボ文化がそうなのかもしれませんが、アメリカっぽい明るさが眩しい感じ。

もちろんフィギュアの19歳羽生選手も素晴しかった!!

10代大活躍!と思ったところで、ジャンプの大ベテラン41歳葛西選手が、銀メダルというのも痛快!

世代を越えた大活躍というのが印象的だった感じ。

まだ、オリンピックは終わっていませんが・・・(笑)

そんななかで一番印象に残ったのは、やはり浅田真央さんでしょうか?

フィギュアという競技は、心境が演技に表れるというか、指先のノビに気持ちが表れるというか、ちょっとした姿勢、所作の違いで素人にもプレッシャーが伝わってくる感じがします。
浅田選手の場合は生真面目なだけに特に、それを感じます。
SP競技大失敗の後のフリーに臨むときの緊張はいかばかりであったでしょうか。
フリーは見事!というしかない感動の演技でした。

「記録より記憶」といいますが、まさにそんな感じ。

日本人選手がメダルをとるのはうれしいですが、メダルは関係なくとも素晴しい感動はあります。

メダルへの期待と言えば、遠い昔の話ですが、マラソンの円谷幸吉選手の自殺の話を思い出します。

円谷選手は亡くなる際に、大変に痛ましい内容の遺書を残し、その遺書はいまだに語り継がれているのです。
検索すると、ウィキペでその全文を読むことができます。

「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。」

〜中略〜

美味しうございました。という感謝の言葉が何行も続き

「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」


で終わる遺書。

追いつめてしまった心の痛さが切々と伝わってくる遺書で大変痛ましく、読んでいるとやはり気持ちがこみ上げてきます。

川端康成が「千万言も尽くせぬ哀切」と語り、
三島由紀夫が「円谷選手の死のやうな崇高な死を、ノイローゼなどといふ言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きてゐる人間の思ひ上がりの醜さは許しがたい。それは傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺であつた」と名誉を守ろうとした事で、この遺書はさらに有名になりました。

生真面目な浅田真央ちゃんを見ていると、重圧を担った円谷選手のことが思い出されたので、フリーの演技は本当に良かったと思った。

メダルというのは選手の目標であって、国家の目標ではない。

メダルをとった後ならば選手と共に、同胞として素直に喜び讃えるのは良い事だが、当事者でもないのに幼稚なナショナリズムで、事前に変なプレッシャーをかけるのはどうなのか?

メダルメダルと騒いだのはマスコミではあったが、選手団の橋本聖子団長が「金5個を含むメダル10個を取って帰る」「選手にプレッシャーを与えたい。日の丸に恥ずかしくない強い代表になってもらいたい」という事を言っていたとの報道があります。

橋本聖子団長は、競技が終わってから真央ちゃんの演技の事を「メダルは取れなかったが、心に響いた」とか言ってるようですがもう遅い!

政治家であり元オリンピック選手だった橋本聖子氏が、円谷選手の事を知らぬはずはあるまい。

浅田真央さんや高梨沙羅ちゃんをプレッシャーで萎縮させた責任が、団長の態度にあるのではないか。

「プレッシャー発言」が事実ならば、橋本聖子氏の政治家としての適性を疑います。


東京都知事選が近づいてきています。

候補者の誰が当選しても「なんだかなあ・・・」という感じが・・・

どう考えても猪瀬さんのほうが良かったじゃないかと思ったり。

なんといっても細川さんの立候補の理由がよくわからない。

わからないというのは争点としての脱原発の是非ということもありますが、有力な対立候補の舛添さんが原発推進派ではないなかで、なぜわざわざ脱原発を争点にして立候補したのかという理由が理解不能です。

舛添さんの脱原発ではダメということ?

東京都知事としてどのように脱原発を進めるのかということもイメージがわきません。

細川さんを応援する小泉さんとしては、脱原発の是非を選挙で決着をつけるつもりなのかもしれませんが、地方の首長選挙をそういう事に利用していいのか?という感じも・・・

舛添さんが原発推進派ではない以上、脱原発の是非を問う選挙にもならないし、有権者を混乱させているだけです。

主張の明解さということでは、田母神さんが一番明解かもしれません。
しかしご本人が問題意識を感じているのは国政なのではないか?国会議員ならわかりますが都知事になる目的がわからない。
おかしいと思いつつも「脱原発の是非」が中途半端に争点になってしまった以上、私個人としては、その点でも田母神さんにはやはり投票しにくい。
人間的に一番信頼できそうなので惜しい感じがしますが・・・

もっとも東京都民ではないから、投票はできません(笑)


私は、橋下さんが「統治機構改革」ということを言い出したときは、庶民の目線でも行政における官僚主義の弊害というものを感じてましたから期待感を感じました。

福祉の視点、特に高齢者福祉の事についても、もっと論点にならないといけないような感じがします。

そう言う意味では、福祉の視点で、やはり舛添さんになるのかなあ・・・

舛添さんか・・・

なんだかなあ・・・


少し前に「サヨクらしくない人」というタイトルで、共産党の志位和夫さんのTwitterを紹介しました。

「意外性があって面白い、志位さんという人は、共産党ながらチャーミングな人だ」
というような内容でしたが、その後「もしかしたら保守層に対する撒き餌的なツイートだったのかな。」と思い始めました。

支持層ではない人に「おや!」「あれ!」と思わせて気持ちを掴む。なかなか巧みです。

政治家として、人の気持ちを掴むのがうまい人だということがよくわかりました。

私も無防備すぎたと反省してますが、したたかですよね。

ただ、日本のカトリック教会に対する、政治勢力の影響に危惧を覚える状況を認識した今、共産党に対し、非常に警戒心が起きています。

社民党などに比べ、一枚上手。

私の前記事「サヨクらしくない人」はタワゴトとしてお読飛ばしください。

私の心境の変化は「サヨクらしくない人」のコメントの意見交換の内容でご理解いただけたらと思います。

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