カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。

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・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。

カテゴリ: カトリック神父・著名人・キリシタン・外国人宣教師

カルメル会宇治修道院の中川神父の、「注意深さへの招き」というネットラジオ講話が、Twitter で紹介されていたのでリンクしたいと思う。

FEBCネットラジオ

イエスとの対話の旅―現代霊性神学講座

http://netradio.febcjp.com/2020/04/01/lstm/


中川神父様は「注意深く」という言葉をよく使われるが、この講話を聴くと、単なる口癖ではないということがよくわかる。

話は多岐にわたるが、最終的に、カルメル会の「十字架の聖ヨハネ」と「リジューの聖テレジア」の話に収斂していく。

昨日、NHKのEテレ「こころの時代」で「いのちの海に網をおろす」という前田枢機卿の対談番組があった。

前田枢機卿は、上五島の出身で、学校区の小中学生は全員カトリックだったらしい。
おそらく他府県では、こんなところはまず無いので、そういう地域での日常の信仰生活の話が先ずは驚きだった。
「筋金入り」という言葉がまさに当てはまる感じ。

そういう枢機卿様も、神学生時代に司祭になるという事に対する迷いや悩みがあったことについても包み隠さず話された。
迷いといっても「結婚して家庭を持つことを諦める」ことへの迷いなのだから、俗人では誰でも当たり前の希望を断つということで、聖職者になるということはやはり大変なことだとあらためて思う。

司祭叙階の時には「お言葉ですから網を降ろしてみましょう」という聖句を選ばれている。
聖職者になるときの覚悟と、神さまへの信頼感が、この聖句に込められている感じがする。

人間味があって、とても好感を持った。

同じく、NHK Eテレ で、今週の土曜 6月1日 13時〜14時に再放送が予定されているので、興味を持たれた方は、どうぞご参照ください。





 

「教会の祈り」(新しい聖務日課)では「はじめの祈り」のところで
「神よ私を力づけ、急いで助けに来てください。栄光は父と子と聖霊に初めのように今もいつも世々に。アーメン。」と祈る。

いきなりお祈りの最初で急いで助けに来てください」と始まるところに、差し迫る切迫感があって印象的だ。

来住神父の「詩篇で祈る」という本に「『詩篇』は『詩』であって『詩的言語』で『自分の気持ちを吐き出す』ことで黙って耐えているときには見えてこなかった深い思いが見えてくる」というようなことが書いてあった。

詩篇の言葉に乗せて心を注ぎ出す。

 急いで助けに来てください」「急いで」のところに、神様を求める切実な想いがこもる。

詩篇がそうであるように「祈り」には「嘆き」の気持ちが込められることがどうしても多い。

来住神父の「詩篇で祈る」には「注ぎ出し尽くしたときに、水に沈む人が水底に達したように、何かにコツンと当たる。その何かとは神ご自身である。」と書いてある。


コメント欄で御聖体の話になったので、大変印象に残ったカルメル会の中川神父の説教をアップしたいと思う。

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「食べられた方の思い」6月18日 キリストの聖体 ヨハネ6・51−58

ある日曜日の夕方、二階席からミサに参加に参加していた時のことです。聖体拝領のために
並ぶ人々の姿を、ぼんやり眺めながら、自分がそれまで何回くらい、どのような心で
聖体拝領をしてきたか思いめぐらしていました。
ある時は、習慣的に、何かに囚われたまま、感謝にあふれて、心が渇きながら、
また、ある時はうしろめたさを抱えたまま・・・
主を頂き続けてきた自分の姿が走馬灯のようによぎりました。
その時、ふと ”もしイエスのように自分が誰にでも食べられるとしたらどうだろう” という
考えが浮かび、一瞬戸惑いました。しかし、答えは即座に "それはできない!”でした。
自分を傷つけた人や攻撃する人に自分を黙って差し出すことの難しさと、イエスが愛した
ように人を愛することの意味を差し迫るものとして実感した瞬間です。

しかし、主は、わたしがどんな姿で近づいた時も、一度たりとも拒否することなく、黙って
受け入れ、ご自身を差し出し、わたしに食べられて、わたしを養い続けてくださったのでした。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつも
その人の内にいる」(56節)

「食べられる」ということは、自分が噛み裂かれ、すりつぶされ吸収されてしまうことです。
しかし食べ物は、食べる者に自らを与えつくし、食べる者を養います。

摂食障害を苦しまれた方のことばから、「食べ物」について深く考えさせられます。

「食べ物は、私たちにとっての愛です。食べることは、私たちなりに愛されるという方法なの
です。両親がいないときも、食べ物はいてくれます。父に見捨てられても、食べ物は
見捨てたりしません。
食べ物は傷つけません。ダメと言いません。アルコール依存症になったりしません。
いつもそこにいてくれます。
食べるとおいしい味がします。私たちが凍える時、食べ物は温めてくれ、暑いときには
涼しくしてくれます。
私たちが知っているものの中で、食べ物はいちばん愛に近いものなのです」
(ジェニーン・ロス「食べすぎてしまう女たち」より)
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先般の西日本の豪雨災害では、想像以上の被害がでている。
亡くなられた方々が神様の御元での安らぎが得られますよう、ご冥福をお祈りしたいと思います。

また、家屋を失われた方々、この酷暑の中でインフラの停止で苦しまれている方々への癒しと慰めが得られますよう、
救援活動、復旧活動に汗を流されている方々への励ましが得られますよう、
そのそれぞれにお祈りしたいと思います。
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いま京都では祇園祭が始まっていて、17日に山鉾巡行のピークを迎えようとしている。

私は関西に住んでいながら「祇園祭は大変な人混みで過酷な暑さ」という話をずっと聞かされてきたため、どうしても行く気にならず、とうとういままでに一回も行かなかったのだけれども、今年はご縁があってお誘いを受けたということもあって、宵山(正確には宵々々山)の14日に意を決して行ってみることにした。

山鉾巡行のピークを迎える3日前ということもあって、人混みは覚悟していたが「お祭りならばこのくらいは」というぐらいだろうか?
ただ暑さの方は、盆地の京都の暑さはやはりキツい・・・

しかしそれでも行って良かったと思えたのは、想像をはるかに超えたスケールの大きさだったからだろう。
スクリーンショット 2018-07-15 18.54.43


















(この画像は「船鉾」。 少し本文の内容と合ってませんが雰囲気ということで・・)


山鉾巡行で曳かれる「鉾」や「曳山」は、巡行前の宵山の時は、各町内(路上)で鎮座している。

路幅の広い四条通りは4車線なので車線規制で済むけれども、南北の細い路は、「鉾」「曳山」があるところは、路の真ん中にあるため全て通行止め。

宵山では、その町内各所にある、「鉾」「曳山」を見て回る。

「鉾」は3階ぐらいまではありそうな大きさだが、屋根上に細長い柱?が立つから名前も「鉾」なのか?

この柱が長い。

鉾頭があるてっぺんの高さは、近隣のビルの高さで見比べれば8階か9階まではありそうな感じがする。

この「鉾」「曳山」は思っていたよりも数が多い。前祭だけで23台ある。

山車としては、サイズでも数でも、明らかにボリュームがあり、このスケールの大きさが祇園祭の迫力なのだろう。

そして「鉾」「曳山」の前と横、後ろを飾る懸装品が絢爛豪華でスゴい。

驚いたことには、こ懸装品のなかに、16世紀ごろに織られたベルギー製のタペストリーがあるということだ。

それも一台ではない。
鶏鉾、鯉山、霰天神山、白楽天山、函谷鉾などがこの洋物(ヨウモノ)の飾りをつける。

この懸装品は、ホメロスの叙事詩「イーリアス」が題材になっていて、5枚の連作らしく「トロイアのプリアモス王と王妃ヘカベーの祈り」の場面や「トロイア王子ヘクトールと妻子の別れ」の場面があり、寸断されているらしい。

「鶏鉾」「鯉山」の懸装品「見送り」「前掛」は、重要文化財になっている。

キリシタン禁制下で、洋物の飾りをつける山鉾が存在していることに驚くが、キリスト教とは関係のない題材のため見逃されていることを思うと、キリスト教についての幕府の判別水準が、ある一定以上のレベルにあるという感じがする。

ただし、絵柄はキリスト教と関係がない題材であっても、贈り主はローマ教皇という説がある。
遣欧使節の支倉常長が5枚のベルギー製の織物を頂いており、その織物という話だ。

「トロイア王子ヘクトールと妻子の別れ」の場面というのは、ヘクトルがギリシアの勇者アキレスとの1対1の対決を行う前の場面だろうか?

妻子と別れた後、ヘクトルはアキレスに討たれて亡骸を馬に引き摺られてなぶりものにされる。
そして妃は戦利品とされ子供も殺される。
このうえない悲しい展開になる話だが、この場面の織物をローマ教皇が支倉常長に持たせたという話が本当ならば、帰国後の常長の置かれる状況を不安に思っていたようで複雑な気持ちになる。

常長がローマに到着した時は、徳川幕府のこの上ないキリシタン弾圧について、ローマにもその話が届いていたとされるからだ。

(この公式URLの鶏鉾の画像に、上記のヘクトルの懸装品が写っています)

もっともこの「洋物の懸装品」は、「イーリアス」を題材にしたものだけではない。

実は、旧約聖書創世記24章の「イサクの嫁選び」の物語が描かれているものもある。

アブラハムの老いた僕(しもべ)が、イサクの嫁選びに派遣された場面だ。
「『どうか水瓶を傾けて飲ませてください』と頼んだ時に、飲ませてくれる娘を嫁にもらう」という探し方をしてその通りになった場面だが、この織物については、支倉常長ルートではなくオランダ商館長の家光への献上品だったものらしい。

旧約聖書の方は、新約聖書に比べ、キリスト教の題材であることが、わかりにくかったのか?

わからないままに、何百年も祇園祭の鉾を飾った。

「マリア十五玄義図」の発見によって、近畿にも潜伏キリシタンがいたことがわかっているが、祇園祭で「イサクの嫁選び」の懸装品やローマ教皇から頂いた懸装品を見ていたとしたら・・・
というようなことを想像してしまう。

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