カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

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キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

カテゴリ:世の中のことについて > サヨクについて

君が代の不起立についてどう思いますか?

橋下市長が知事時代に「君が代起立条例」を定め、公立学校の卒業式などでの不起立職員(教員)が処分され話題になりました。

この国旗国歌に対する公立学校の不起立教員の問題ははたして憲法19条の問題なのか?

橋本市長は「服務規律の問題」と言ってました。
つまり憲法19条の問題ではなく地方公務員法32条の問題になるということなのだと思いますが、確かに君が代は国旗国歌法で国歌となったので、学校では国歌に対する儀礼の示し方を公的儀礼の教育として行うということなのでしょう。
従って教師の場合、不起立ということは、思想信条の自由という話ではなく教育に対する職務違反、服務規律違反の話になってくるのでしょうね。

ネットでいろんな意見を見てみると「成人の年齢に達したものが、君が代反対の思想を持つことは自由だと思う。児童生徒の不起立は公的儀礼教育という点で微妙。ただし公務員たる教師が税金で給与をもらいながら公然と職務違反を行うというのは絶対に許せない」という意見があった。

私の意見もこの意見にとても近い感じがしました。

自分で家庭教師をやる分には、君が代とご縁を持つことはないのだから公務員(教員)をやめればいいんです。
教員という立場の既得権に固執しながら職務違反をする姿に、やはりルール無視の傲慢さを感じます。
民間の場合は業務命令には逆らえないですからね。
つまり思想の問題ではなくルールに対する官民の意識格差の問題なのでした。

自分の意見を主張することと、ルールと公的儀礼を守るということとの間に齟齬があってはいけない。
ルールを無視して自分の主張を述べられても話を聞く気にならない。

「意見は違えど話ができる状態」
じゃないとね。

センチメンタルなところにばかりこだわっているから進歩がない。
私はやはりこういう サヨクの感性 が苦手なんですよね。

中国人窃盗団の話がよく話題にのぼっていた頃、日本領事館への公安警察の主権侵害事件が起きたあたりから、なんとなくでしょうか?
その後も「毒入り餃子事件」「反日デモの暴動化」「石垣島近海の領海侵犯事件」「新幹線技術の盗用」など次々に腹の立つニュースが続いたものだから、すっかり中国の印象は悪くなりました。
ビジネスでは大事なパートナーだし、多少の民族気質の違いはあっても同じ東アジア人の似たものどうしで反目するのはどうかとも思うのですが、この隣国に親しみがわかないのは、上記のような理由の積み重ねによるもので仕方がない面もあります。
長い歴史のある文化大国の中国でなぜこのようなモラルの低下が起きてしまったのか?
元中国の民主活動家で日本に帰化した石平さんは「文化大革命による儒教的モラルの破壊が原因。その後は凄まじいほどの拝金主義となった」と述べています。

文化大革命・・・
毛沢東とその側近である四人組が、政敵である劉少奇や小平らを追い落とすために、仕掛けた権力闘争だったとされていますが、「造反有理」「革命無罪」の名のもとに、まだ未熟な少年達を紅衛兵という実行部隊として動員し、知識層、文化人への大粛清を行ったということが、その印象となっています。
 毛沢東語録の「革命はお上品なものではない。暴動であり他の階級を打ち倒す激烈な行動である。」という言葉や「破四旧(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣)」というメッセージが、文革とはどういうものであったのかを感じさせます。 周恩来を孔子になぞらえ伝統宗教である儒教も徹底的に批判され、あらゆる宗教施設、文化財が破壊されたといいます。

この「破四旧」という言葉。印象に残ります。権威と伝統を嫌う
左翼の性質がこの言葉にも表れてる。

紅衛兵による吊るし上げは、公衆の面前で三角帽子を被せ自己批判させるという屈辱感を与え精神的に追い込む方法で、おぞましくサディスティックなやり方にゾッとします。

劉少奇の最後をwikipediaで読みましたが、惨く悲しい結末でした・・・
一時は国家主席まで上り詰めた劉少奇も文革によって徹底的な批判にさらされ始め「すべての国家と党の役職から辞任し、国の混乱を終わらせ、農業をして暮らしたい」と毛沢東に申し出るわけですが、そのとき毛沢東は終始同情的な態度で接し「ゆっくり休んで自身を再教育せよ。ヘーゲルを読んではどうか」などと答えたらしい。しかしその後に起きた紅衛兵による劉少奇への執拗な吊るし上げについては全く黙認したそうです。
自宅に監禁され家族とも離され入浴も許されず屈辱を受けながら衰弱して死亡。婦人の王光美は中華民国高官を父に持ちフランス語英語ロシア語に堪能だったそうで、その華やかな容姿と知性に対して、毛沢東夫人の江青から激しい嫉妬にさらされていたといいます。江青から「徹底的に恥辱を与えよ」という指示がでていたという話もあるそうです。

理不尽な弾圧を受けて亡くなった人のために祈りたいと思います。

共産主義者を自称して憚らないカトリック信者もいるそうですが、共産主義ってそんな甘ちょろいもんじゃないですよね。文革だったらカトリックは真っ先に粛清ですね。

日本の左翼もサヨクも正平協も、紅衛兵みたいに乱暴じゃないとしても「権威と伝統の否定」という考え方はいっしょなんですよね。

共産主義の本性は文化大革命に有り!
ゆめゆめ文化大革命の事は忘れてはいけません。
文化大革命はその字のとうり文化の革命、破壊なんです。

もう既に暑い日が続いていますが、なんとも暑苦しい記事展開になってしまいました・・・・・
暑いですねえ・・・

1.「権威」や「伝統」をあまり尊重しない
2.「自由」と「平等」と「平和」という言葉が好き
3.「権利」について語る(「義務」については語らない)
4.「権力」を嫌う(リーダーシップの強い政治家を嫌う)
5.個人的な問題を社会の問題ととらえる(社会の責任に転嫁する)
6.被害者意識で人権を考える。
7.愛国心を重視しない。
8.平和については性善説で考え空想的
9.軍隊は必要ないと思う。
10.○○○ネットワークというようなあいまいな組織を好む
11.格差があるのは差別の結果だとして糾弾する。

12.歴史観が唯物史観的。又は歴史観があまり無い。

ご意見もいただいてブラッシュアップもできて、とりあえず「サヨク」のイメージキーワードもこれで完成?ですが「サヨク」とは人間のタイプであるということで、だいぶイメージがクリアになりました。
世の中ではどんなタイプの人達とも共存していかねばなりませんが、正直なところ価値観の違いを乗り越えておつきあいするのはしんどい。できれば接点はなるだけ持ちたくないのが本音です。

残念な事に、日本のカトリック教会においては、正平協というサヨクエネルギーのかたまりのようなわかりやすい組織が存在しているからサヨク的な空気はただよっています。
政治的なメッセージに辟易している人も少なくはないし、100%サヨクのような人はなかなかいなくても、教会の掲示板には正平協のポスターが必ずあるし、正平協の影響力はやはりあります。

ただ実は・・・政治的なサヨク色は感じなくても、「変更」「改変」「刷新」という教会の動きのなかで、伝統色を薄めようとする意図に、私は「サヨク」を感じてしまいます。

「権威」や「伝統」をあまり尊重しない
からです。

「天使祝詞」
もついに公式には使用しないということになってしまいました・・・・・またひとつ伝統を失います。

サヨクの精神構造のコアにあるのは「反権威」「反伝統」ではないのか?
政治色を帯びていないだけにわかりにくく根が深いです。

キリシタン迫害の時代。
「8代あとには、ぱっぱ様のふねに乗ってパードレが来てくださる」という話を伝えた長崎外海の伝道士バスチャンは、そのパードレの見分け方を

1.聖母マリアを崇敬していること
2.独身であること
3.ローマ教皇に従うものであること


としたそうです。
この条件は今でも生きていると思いますが、「刷新」の動きのなかで、変わってしまう日が来るのでしょうか。
既にあやしい人もいるような気がしますが・・・・・

教会の掲示板にある本田哲郎さんのポスターをじいーっと見ながら、この方ははたして伝道士バスチャンの条件に合ってる方なのかと、疑い深い目でジロジロ見る、わたくしめなのであります。

日本のカトリック教会的には「サヨクな人」はヴァチカン的なものを「変えたがる人」であり、その反対は「ウヨクな人」ではなくただ単に「変えたくない人」「伝統を守りたい人」なのです。

「変化」→「不安定」→「動揺」
「変わらないもの」→「安定」→「浸透・深化」


という単純な話のような気もするのですが、なぜ「刷新」しなければならないか、わたしにはさっぱりわかりません・・・・・

ところで「変えたくない人」「伝統を守りたい人」というのは、どのような人なのでしょうか?
教会では表面的にはあまりわからないように思っていましたが、実は思いもよらない若い人が「伝統を守りたい人」であることがわかり驚く事があるのです・・・

「カルトの人」について書いた際、インターネットの「はてなキーワード」にその特徴と見分け方が書かれていて、非常に参考になったのですが、これにならって、私も「サヨクの人」の特徴を考えてみました。

イメージ主体で書くので、ネガティブな言葉を避け、極力、客観的に。

1.
「権威」や「伝統」をあまり尊重しない
2.「自由」と「平等」と「平和」という言葉が好き
3.
「権利」について語る(「義務」については語らない)
4.
「権力」を嫌う(リーダーシップの強い政治家を嫌う
5.個人的な問題を社会の問題ととらえる(社会の責任に転嫁する)
6.被害者意識で人権を考える。
7.
愛国心を重視しない。平和については性善説で考え空想的
8.
軍隊は必要ないと思う。
9.○○○ネットワークというようなあいまいな組織を好む

う〜ん難しいですね。 やはり、私の思い込みが入り込んで、決めつけてしまっている感じもして未消化ですが、ただキーワードはピックアップできたような気もします。

思想信条としてマルクス主義者や共産党員とは限らず、「サヨクな人」は、どこにでもいるような人なんですよね。
Rickさんが「啓蒙思想。フランス革命」との関係をブログに書かれていましたが、精神構造というかバックボーン、源流にあるものを、もう少し私も知る必要があると思いました。

日本人がもともと持っていたやさしい気質とずいぶん変わってきていますよね。

かなり前ですが、曾野綾子さんがエッセイで「『損をすることには黙っていない』ということを教育現場で教えていることに驚いた。」と書かれていたのですが、教育の結果として、現在の「サヨクの人」の気質にも影響しているようにも感じました。

「サヨクの人」の特徴のコアにあるのは「反権威」かななどと思いつつ「『人間は神のしもべである』という言葉を、一番理解してくれそうもない人達なんだよなあ・・・」とああでもないこうでもないとブログの記事を考えていた一週間でした。

「サヨク」(漢字の左翼ではない)という言葉が使われ始めたのはいつ頃からなのでしょうか?
明確な定義はないのかもしれませんが、明らかに漢字の「左翼」とはイメージが違って、最初に使いはじめた人の感性に感心してしまいます。

私の場合、漢字の「左翼」だと「全共闘、マルクスレーニン主義、共産主義、毛沢東、文化大革命、人民、ソ連、北朝鮮、ポルポト派の大虐殺」という感じのイメージキーワードの展開。
「革命」がイメージのコアでしょうか?
「反権力→革命→体制転覆→政権掌握→全体主義→民衆支配」・・・( ̄▽ ̄;)
イメージ今の若い人は「ソ連」と聞いてもピンとこないですよね。「左翼」はもう過去のものとなりつつありますね。

「サヨク」だと「平和憲法、人権、市民団体。○○市民ネットワーク、福島瑞穂・・・」少しソフトな感じかな。こちらは現在進行形。

私の場合、知識や教養の不足もあって何でもイメージで捉えてしまうのですが、それほど実体と違う感じもなく、キーワードを連ねていくとやはり「名は体を表す」感じがしてきます。
情報過多の時代だし全てを把握するのは不可能でキャパシティの少ない私は感性で見極めです・・・(汗)

「サヨク」の人の世界感に共鳴するか否かという事は、書かなくてもいいですよね。私は「サヨク」の主張にはネガティブ。

ただ最近思うのは、「サヨク」というのは思想や政治信条なのではなく「自己中心的な人」「自己愛が強い人」「慎重な人」「正義感が強い人」というような「人間のタイプ」なのではないかと思えてきました。

「サヨクな人」とはどんな人なのか、偏見にとらわれず、そのイメージをシリーズで考えたいと思います。

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