カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。

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・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。

カテゴリ: 本や映画について

梯久美子さんの「散るぞ悲しき」は大宅壮一賞を受賞しています。
主観や推測を極力抑え、客観的な事実を丁寧に積み重ねていく文体で、読む人がそれぞれの視点で、いろんな感じ方が出来る本だと思いました。

戦記としても非常に詳細で克明。リーダー論、父親論としても読める。
硫黄島総指揮官であった栗林中将は、非常に優れたリーダーであるとともに極めて愛情の深い慈父だった。
残された手紙によって「親子の情」「家族の絆の深さ」ということが伝わります。

栗林中将の事が話の軸にはなっていますが、そのサイドストーリーの中で登場する兵士たちの一点一点の手紙にも涙しました。

硫黄島の戦いは、装備に格段の差がありながら日本軍よりアメリカ軍のほうが被害が多かったということでその奮闘が有名ですが、硫黄島の兵士たちはそのほとんどが召集兵で、年配の子持ちや十代の若者も多かったんですね。
ほとんど後方支援がなく大本営から捨て石とされた。
国家とは何か?ということも思いました。

死ぬ事はほとんどわかっており、言葉では書き表しきれない悲惨な状況であったにもかかわらず士気を保てたのは何故だったのか?

どんどん引き込まれて、アっというまに読み終えてしまった。
文学性が高いということで評価されたという事がよくわかりました。

戦争を知るという事では必読の書になるかもしれません。
とにかくお薦めします・・・

カトリック教会では平和旬間の時期になってきました。

カトリック教会ということを抜きにしても、8月は「広島・長崎の原爆投下」「終戦の日」がありますので、戦争の鎮魂、慰霊の月ですね。

戦争体験者もかなり少数となってきていますので、未体験の私たちは世界大戦がもたらした惨劇をやはり知ろうとしなければならないのだと思います。

DVDは買って持っていたのだけどなかなか見れないでいた
「シンドラーのリスト」
を意を決してようやく見ました。

ホロコースト。地獄の世界だった。
普通の生活をしていた人たちが、なぜあんなことになるのか。
人間が人間を人間としてみなくなったとき、狂気ともいえる残虐行為も厭わなくなるんですね。
激情に駆られてではなく、淡々と次々に、あるいは気まぐれに殺していくところに悪魔的なものを感じた。
その分、地獄から救い出したシンドラーの行為に対する感動は大きい。

映画は映像で見せられるから衝撃が強いですね。
しかし映画といっても事実がベースになっています。
「戦争の暴力性」「占領され支配される恐怖」「悪とはなにか」などいろんなことを考えさせられます。

ホロコーストについてはナチスドイツがやった特殊な事と思いがちですが決して特殊な事ではないのではないか。
戦闘状況に伴う虐殺ならば、日本も南京虐殺の事が言われている。
日本を厳しく非難する中国や韓国だってはたしてどうでしょうか?
どこの国がとか、どの民族がというのではない「悪」の問題・・
正平協は、日本軍の戦争犯罪の問題ということで「日本」を強調しすぎてしまって「悪」の問題が「日本」の問題にすりかわっているように感じる。

ところで、この現代の日本で、また子どもたちが今度は餓死という姿で亡くなった。飽食とも言われる現代の日本で餓死!
自分の子供ですら人間と思えなかったんでしょうか?
この親はナチスの収容所所長と変わらない。
戦争がなくても平和とは言えません。
小さなホロコーストは現代の日本でも起きているんです・・・

ここでも悪魔のはたらきを感じる。

アメリカがハリウッドという文化資産を使ってのビジネスに成功しているのを受け、日本も対抗して漫画やアニメで「クールジャパン」を打ち出そう!としています。

日本人として応援したい事ではあるのですが、実は私は、その中身についてはかなり懐疑的です。

国民的な支持を受けている宮崎アニメも、技術的なところでは関心することはあるのですが好きではありません。

宮崎アニメ、何か不可解な世界観を押し付けられる暑苦しさのようなものを感じます。
登場人物がなんか変にクセがある。
ストーリーも変に凝り過ぎて複雑過ぎ。

かろうじて受け付けられるのは「となりのトトロ」と「風の谷のナウシカ」ぐらい。
ナウシカのころはまだクセのある登場人物は少なかったけど、それでもストーリーはかなり複雑すぎでした。

「千と千尋の神隠し」の美術は醜悪そのもの。グロテスクさが偽悪趣味で不快でした。

しかしなんといっても一番いやなところは、親子の情愛が淡白なところ。親が変にさめてて共感できない。「となりのトトロ」ですらそれを感じます。アニメは子どもへの影響力が強いので、宮崎アニメの「親子の情愛が淡白さ」はかなりひっかかります。

やはり私は宮崎駿という人の世界観には共鳴できないし、その個性が善くも悪くも出過ぎで辟易します。

そんなこんなで、自分の子どもにも見せたいいいアニメはないか探してたんですけど、以前より気になっていた「劇場版 フランダースの犬」を見てみました。

これは良かった!

大人が見ると、表現が子ども向けで、実写に比べ感情移入に時間がかかりますが、舞台であるベルギーの街や自然の描写が美しく、日本のアニメ技術のレベルの高さを感じます。ゴシックの大聖堂の感じも良かった。

要所要所でジーンとなりました。「フランダースの犬」は宗教を感じる話。ルーベンスの「キリスト降架」が効果的に使われ、聖週間を前に、いいアニメを見れて良かった。
やはり原作がいいんですね。

宮崎駿がいまひとつに感じるのは、キリスト教的ではないからなのかなあ? そこまでムキにならんでもと言われそうですが嫌いなものは嫌い。

宮崎アニメが好きな人には、かなり耳障りな事を書いてしまいました。
ごめんなさい。
偏屈なおじさんの戯言としてお聞き流しください。







「フランダースの犬」は、日本人が大好きな話ですが、話の最後の部分は悲しすぎて、アメリカで映画が作られたときはハッピーエンドに変えられたそうです。

ネロ少年。最後まで困窮し苦労し続けて、大金を拾っても不義をせず、悲惨とも思える死を迎えます。
以前テレビアニメ化されたときも大好評で視聴率も大変高かったそうです。最終回を前にして「ネロとパトラッシュを死なせないで!」という投書が殺到したそうですがしかし命を引き取る終焉でした。
ただラストシーンでは7人の天使を登場させ、天に昇天する姿で終えました。
神様のもとへ旅立つシーンでなければ救いがなさすぎたからでしょう。
ラストシーンはスポンサーであるカルピス社社長でクリスチャンの土倉富士夫氏の意向があったそうです。

ただこの悲惨ともいえる最後の箇所にこそ、この話の真骨頂があります。

この話はキリスト教を強く感じさせるところがあって不幸の連打は旧約聖書のヨブ記のようだし、ネロの死はキリストの受難を想起させます。

この世の幸せとは別の天国の幸せがある。「そんな宗教的な話ばかりして!」と言われそうですが、この話は宗教がなければ救いがないんです。

先日、いつもと少し違う通勤電車に乗ったのですが、隣に座った若い女性(20代前半?)2人が、いやな会話を聞かせてくれました。

女性A
「○○くん知ってるう。彼もう仕事やめるんだって」

女性B
「どうして?」

女性A
「もうお金には困らないから働く必要がないんだって。お金なら有り余るほどあるからこれ以上いらないんだって。」

女性B
「株?いいなあ〜。うらやましい〜」

女性A
「お金に不自由しないんだったら働く必要ないよね〜。お金のために働いてるんだから・・・・」

女性B
「そうよね〜」

朝の通勤電車でまわりはみんな仕事に行く人なのに、目一杯モラルの下がるような会話をしてくれました。大きな声でわざとまわりに聞かせるように話して悪趣味な会話です。20代の若い時は変な偽悪趣味になるときありますものね。
正直なところ「うらやましいな」と思つつも、ブログのネタを考え始めたのですが、唐突ですがふと「フランダースの犬」の話が思い浮かびました。

(つづく)


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