カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

カテゴリ: カトリックの冠婚葬祭


名古屋教区カテドラルのカトリック布池教会。

布池教会は(日本では多そうで実はそれほど多くない?)ゴシック様式の壮麗荘厳な大聖堂ですが、なんと「結婚式の挙式受付と披露宴としての運営を、リゾートトラストに委託している」ということだそうです!

とにかくこのホームページをご覧あれ!

カトリック布池教会
http://www.joseph-kan.jp/

とてもきれいなホームページ!!

これには驚きました!!


良く事情がのみこめないですが、想像はつきます。
おそらく結婚式の問い合わせが非常に多いんでしょうね。

リゾートトラスト株式会社・・・ 
ビジネスとしての目の付けどころがさすがですね。

聖ヨゼフ館というのは、教会なのかリゾートトラストなのか、どちらの施設になるんだろう。


教会がビジネスをしているように見えるだろうか??
もしかして批判もある??

いやいや、私は悪い事ではないと思います。

多くの病院や介護施設や学校の運営にカトリック教会が関わっているように、結婚式も立派な社会貢献、福音宣教です。

日本では、ホテルや結婚式場には結婚式用のチャペルが存在しているほどに、キリスト教の教会で結婚式を挙げたいカップルが多いのですから、ミサもお葬式もしている本物の教会が、そういう思いに対して、正面から向き合い迎え入れることは、とても良い事ではないのか。
というか必要な事なんじゃなかろうか?

壮麗な大聖堂を見て「好奇心」「憧れ」などの気持ち、興味関心が湧くのは素朴で自然な感情です。

どんどん結婚式を挙げてもらって、人生の大きな節目の場として思い出に刻んだ人たちが40年、50年たったとき・・・
また大聖堂を振り返ることがあるんじゃなかろうか?

その時は「洗礼をうけて信徒になれば、お葬式もあげられますから、ぜひ!」なんて言ったりしてね(笑)

カトリック教会の聖堂の建築的価値が、一般的な人々からも認められ愛されているというこの事実を、大変良い事として受け止めたいと思います。

こういうことを書いていると「表面的な事にとらわれて」という声が聞こえてきそうですが・・・

しかし「目に見えるものにとらわれていては本当にダメなのか?」と私は思ってしまうわけです。

私のブログでは、この事がもうテーマになってますね。

手を変え品を変え毎回同じような事を書いていますから(笑)


ところでホームページでちらっと見ただけですが、布池教会の結婚式の祭壇は、祭壇上に十字架があり横に背の高いロウソクを3本づつ立てるセッティングのようです。
そして司祭は祭壇の手前に立つ。

信徒ではないときの結婚式はミサではないのでしょうが、トリエント・ミサに似たセッティングにするんですね・・・



今回は「結婚式はカトリック教会で・・・」ということについて。

昔は、カトリックにおける結婚式というのは、洗礼などと同じ「七つの秘跡」の一つなので、新郎新婦どちらかが信徒であることが、前提だったようです。
現在では「開かれた教会」「結婚式も福音宣教」ということもあって、信徒ではない方の結婚式も行われています。
ただ宗教施設における宗教儀式であり「七つの秘跡」のうちの一つということは変わりませんから、結婚式をされる方には「カトリック結婚講座」という講座を受講していただいています。

一般にはあまり知られていないのかもしれませんが、カトリックで結婚式をすると原則として離婚はできません。
もちろん法律的にはできますが宗教的には許されない。

松田聖子はサレジオ教会(カトリック碑文谷教会)で結婚式をあげましたが離婚してしまいました・・・

三浦カズとりさ子さんもサレジオ教会でした。
カズ&りさ子は離婚してない。
カズは好きな選手なので、さりげなく嬉しい・・・・・

ということで人生いろいろなのですが、最近ではカトリック教会で結婚式をされる方は減っているそうです。

チャペルウエディングというのが一般化し、結婚式場やホテルでは、どこでも結婚式用のチャペルがある。
面倒な講座は受けないでいいし、聖堂の雰囲気もゴージャス。

当ブログは無料プランによるものなので、勝手に広告が表示されるのですが、以前、リンクされていたラヴィーナマリエール聖ペトロニオ大聖堂http://www.daiseido.jp/?gclid=CLmRxPvFup4CFQ8wpAod6V-0oQ
は凄いです!!雰囲気はまぎれもなくカトリック風の大聖堂・・・
ただしカトリックの神父が教会外で司式することはないので牧師さん(プロテスタント)の結婚式になると思います。
カトリック風の大聖堂でプロテスタントの結婚式が行われる不思議な情景ですが、こういうことにこだわるのはクリスチャンぐらいで、そうでない方にとってはどうでもいいことなのでしょう。

私も、ホテルチャペルの結婚式に何度か参列したことがあります。雰囲気がロマンティックなだけで宗教的な感じはしない商業主義的な結婚式が多い。
やはり教会の結婚式とは違います。
人生にとっての大切な節目ですから、意味をよく考え、意義深い結婚式をあげていただきたいと思います。

そんなホテルチャペル結婚式ですが、ただ一度だけ牧師さんのお話で非常に印象に残った事がありました。

「あなたがたお二人は、今日結婚式をあげるまでに、すでに二人で充分に話し合い、結婚を誓いあっていますよね。しかし今日、普段とは異なる正装で、ご両親をはじめ多くの方の前で宗教的な儀式をもって、新たに誓うのは何故ですか?
二人だけの誓いではなく神様の前で誓い合ったということを忘れてはいけませんよ・・・」


わかり易く印象に残った話でした。

なぜ、宗教儀式で結婚式をあげるのか?
結婚式の演出に気を配るのもいいですが、ちょっと考えてみることも必要だと思いますよ!!

偏屈なおじさんの独り言でした・・・

先日、東京に用事がありましたので、思い切ってカトリック府中墓地まで足を延ばしてみました。

東京大司教区の墓地として以前からあり、土井枢機卿様、白柳枢機卿様をはじめとする教区の聖職者のお墓や修道会のお墓などがあります。もちろん一般の信徒の墓もある。

以前訪れたときは20年以上前だったような気がします。ほとんど覚えていないのですが、今回訪れてみてずいぶん木が少なくなったような感じがしました。
武蔵野とはいえ、現代ではもう住宅地のど真ん中。
墓地としての静けさを保つためには、せめて墓地の周囲は大きな木を残すなど周囲から視線や騒音を遮って静寂さを保つような配慮をしてほしかった。住宅地のすぐ横の敷地のギリギリまで墓がありますもんね。

まあ今となっては仕方がない。四の五の言わないでお墓参りをしましたが、教区司祭のお墓は、共同の大きな碑となっていてまだ新しい感じでした。亡くなられた司教様神父様のお名前が書かれていて、岩下壮一神父様ははじめの方にお名前がありました。「『カトリックの信仰』読み始めましたよ!」なんてことお話したりして・・・

すべての亡くなられた司教様神父様ために、感謝しお祈りしました。

後は、縁のある修道会のお墓参り。直接ご縁があったコンベンツアルの神父様は府中墓地ではないんですが、同じコンベンツアルのよしみでお参りさせていただいたら、ゼノさんのお墓があった!

くわしく存じ上げない修道会のお墓もいっぱいあり、とても全部はまわりきれないのですが、信仰に全てをそそいだ方々のお墓ですものね。気持ちの上では全てお参りしたい気持ちになるんですよね。

最後に、遠藤周作さん。田中千禾夫、田中澄江さんご夫妻。吉満義彦さんのお墓もお参りしようと思ったのですが、事前によく調べてこなかったからわからなかった。迂闊でした。

また訪れようと思います。

今年は大変暑い夏でしたが、ようやく秋の気配がしてきました。
夏の暑さがずいぶん昔に比べ厳しくなったためでしょうか?やはり体力を消耗します。
真夏にお葬式が増えてきたように思います。

「お葬式はカトリックで・・・」

などと突然書くと何か宣伝みたいですがそういう事ではなく葬儀の仕方についての話です。
教会に通わなくなってしまった方でも「今際の際に遺言で・・・」ということでカトリックの葬儀を望まれる方がいます。

洗礼を受けたカトリック信徒であるならば、教会でご葬儀をお引き受けする事になりますが、やはり葬儀社だけではなく信徒も奉仕でお手伝いすることになる。

ほとんど知らない方の場合でも「安らかに天国に行って下さい」とお祈りしてお送りします。

ただ私のような信仰の未熟な信徒は「生きていたときに神様の家をほったらかしにして(教会に全く来ないで)、死んでから天国に入りたいなんてむしがいいよなあ」ということも一瞬頭をよぎってしまいます。放蕩息子の兄みたいですね。
ご事情は様々でしょうし、人の信仰を推し量るなどとんでもない傲慢な事。

実は私自身、ずいぶん長い間教会に行かなくなっていた時期があったから、これはすぐ自分に返ってきます。放蕩息子の弟のときもあったわけです・・・強烈に自分の怠りを恥じる事になる。
弟だったり兄になったりああ俗っぽい。情け無い・・・・・

日常的に教会に来られる方は、信徒名簿数にはるかに満たない。
クリスマスや復活祭に来られる方でも半数までいくかどうか。
それでもお葬式だけは教会に戻ってこられるのでしょうね。
世の中、放蕩息子ばかりで、神様もさすがに困惑されるのではないか?

放蕩息子の話は、神の愛を感じる感動的な一節ですが、一方
鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は神の国にふさわしくない」ルカ9-62 とか「主人の思いを知りながら何も準備せず・・・」ルカ12-47 という一節もある。

信仰が未熟な私は、こちらのほうをしっかり胸に刻んだほうがいいみたいデス・・・・・

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