カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

カテゴリ: 美術について(主に宗教美術)

いま、上野の東京都美術館で「バベルの塔」展をしているらしい。

http://babel2017.jp/
バベル
「バベルの塔」の絵は、ブリューゲルの絵のようだ。

描かれている人間のサイズとの対比で見れば、ピラミッドに勝るとも劣らない超巨大建造物で、スケールの大きさに驚く。

見た目は、ローマのコロッセオが縦に伸びて塔になっているような感じもする。

今も昔も、塔の存在はランドマークとして多くの人の興味をそそるからか、この絵画展も、けっこう入場者が多いらしい。
東京での展示会は7月2日までだけれども、引き続き7月18日から大阪でも開かれるので、大阪で見に行こうと思っている。

バベルの塔の話では、神様は人間の傲慢さを思い知らせるために人間の言葉を増やして意思疎通を困難にした。

現代では、言葉の壁については、情報化や科学技術の進歩のなかで少しづつ乗り越えていっているように思うけれども、社会的価値観というか物事の考え方については逆に多様化が進んで、共感能力が低下しているようにも感じる。

現代における人間の傲慢さのシンボルとしての「バベルの塔」は、建築物としての塔の姿というよりは、「倫理的な問題をはらんだ生命科学の進歩」のようなものなのかな?とも思った。

ブリューゲルの「バベルの塔」の絵は、建築中の未完成の状態で描かれているけれども、決して完成することがないというメッセージを発しているようで面白い。

「バベルの塔」展では、「聖クリストファーの川渡し」をテーマにした、ヒエロニムス・ボスの「聖クリストフォロス」も同時公開される。

テーマ的に好きなこともあるけれども、この絵も、なかなかいい感じの味のある絵なので、ぜひ実物を見てみたい。
800px-Hieronymus_Bosch_085
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hieronymus_Bosch_085.jpg#/media/File:Hieronymus_Bosch_085.jpg


晴佐久神父の新しい赴任先が、上野教会、浅草教会と聞いて、上野のマリア様の事を思い出した。

上野のマリア様とは、(私が勝手に呼んでいるのだが)上野公園の二つの博物館美術館にあるマリア様の御絵のこと。

一つは国立西洋美術館の「悲しみの聖母」
17世紀中期に、カルロ・ドルチによって描かれたもの。

以前、このブログでもテーマにしたことがある。
http://catholicus.blog.jp/archives/2709549.html
http://catholicus.blog.jp/archives/2723200.html

下記の「親指の聖母」との関係性を想うと、西美関係者の方の収蔵品の集め方?のセンスの良さに感心してしまう。

もう一つは、国の重要文化財である国立博物館の「親指の聖母」


「親指の聖母」は、江戸時代中期に日本で殉教した宣教師シドッチの所有物だったもので、博物館の歴史資料としての所蔵品のためか、修復はせず損傷のままの状態で保存されている。

ドルチの「悲しみの聖母」の複製画のようで、構図などは、そっくりだが、手の部分が服に隠れていて親指しか見えないということで「親指の聖母」とも呼ばれている。

「親指の聖母」はカトリック碑文谷教会にもあり、ホームページでは「江戸のサンタマリア」と紹介されているが、こちらはレプリカでシドッチ神父所有の本物ではない。

あくまで本物は東京国立博物館にある。
ホームページによると長崎奉行所旧蔵品と書いてある。

シドッチ神父のジェノバ出発は1703年。
江戸切支丹屋敷での帰天が1714年。

切支丹屋敷廃止よって宗門蔵のキリシタン諸道具などが神田見附内の多門櫓
(不浄倉)に移されたのが1792年。
その後にこの絵は長崎奉行所に移されたことになる。

関連する年譜を見れば
長崎の大浦天主堂での信徒発見は1865年。
東京国立博物館の創立が1872年。
キリシタン禁教令高札の撤去が1873年

そしていま東京国立博物館の館内にある。

驚くのは、江戸時代のキリスト教関連の資料が残っているという所蔵期間の長さ、古さだけでない。

このように目立つキリスト教信仰のシンボルが、弾圧する徳川幕府側の蔵の中に残っていたということ自体が奇跡的に感じるのである。

この運命的な不思議さを想うと、どうしても観たくなるのだが常設展示ではないようでなかなかタイミングが合わずまだ出会えていない。

なんと2014年に特別公開がされていたようだが、見損なってしまった・・・

シドッチ神父帰天300年後の年だった。
これは迂闊だった・・・

シドッチ神父の人生を想うと、もうこれは聖遺物の存在感にも等しい。

次の公開はいつなのだろうか?


三位一体をテーマに画像をGoogle検索していたら、いままで見たことがなかった魅力的な絵と出会えた。

ルーブル美術館 の「三位一体修道会創設のミサ」という絵。

三位一体修道会創設のミサ

17世紀
のファン・カレーニョ・デ・ミランダという人が描いたもの。

バロック様式のスペイン絵画の傑作らしい。

正直なところ、バロック様式というのはゴテゴテとした装飾過剰な建築のイメージがあってあまり好きではなかった。

この絵もバロック特有の「うねり感」が、「ラッパを吹き鳴らす天使」の部分で目立っている。

しかし表現が巧みだからだろうか?

「躍動感」「力強さ」の表現として、初めて好意的に受け止められたような感じがした。

一方、下部の聖人(マタの聖ヨハネ)のミサの場面では、トリエント・ミサの聖変化の一瞬の緊張感を、構図と登場人物の視線で、みごとに描いている。

「ストップモーションみたいな」と表現すると少し俗っぽいだろうか・・・


上部の「動」と下部の「静」の対比が、この絵の特徴だろう。

宗教画としては「聖霊のシンボルとしての鳩を加えた三位一体の表現の仕方」などで、カトリックらしさの韻を踏んでいる。

ルーブル美術館で、是非、現物を見てみたい。

本日は復活祭。主イエズス・キリストの御復活の喜びをお祝い申し上げます。

今回の内容、タイミング的になんだか復活祭には合わないような感じになってしまいましたが、私の興味関心の流れということでどうかご容赦くださいませ・・・・・

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国立西洋美術館の「聖アントニウスの誘惑」について調べた時に、ヴァニタスという言葉があって、少し興味をもった。

 Wikipedia によると「ヴァニタス」について、次のように書かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%82%B9

ヴァニタス(ラテン語: vanitas)とは寓意的な静物画のジャンルのひとつ。16世紀から17世紀にかけてのフランドルやネーデルラントなどヨーロッパ北部で特に多く描かれたが、以後現代に至るまでの西洋の美術にも大きな影響を与えている。ヴァニタスとは「人生の空しさの寓意」を表す静物画であり、豊かさなどを意味する様々な静物の中に、人間の死すべき定めの隠喩である頭蓋骨や、あるいは時計やパイプや腐ってゆく果物などを置き、観る者に対して虚栄のはかなさを喚起する意図をもっていた。

ヴァニタスは、「カルペ・ディエム」や「メメント・モリ」と並ぶ、バロック期の精神を表す概念でもある。

【語源】
ヴァニタスとはラテン語で「空虚「むなしさ」を意味する言葉であり、地上の人生の無意味さや、虚栄のはかなさなどと深く結びついた概念である。ヴァニタスを語る際、旧約聖書の『コヘレトの言葉』(『伝道の書』)1章2節の有名な言葉「ヴァニタス・ヴァニタートゥム」(「空の空」、「虚無の虚無」)がよく引用される。ヴルガータ(標準ラテン語訳聖書)では該当部分は次のようになっている。

Vanitas vanitatum omnia vanitas.
コヘレトは言う。なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。



「聖アントニウスの誘惑」以外にも、西美の常設展示には、髑髏を大きく描いた、よりわかりやすい静物画のヴァニタスもある。
http://collection.nmwa.go.jp/P.1998-0003.html

絵を観るときに、美しさを愛でる気持ちがないわけではないが、ヴァニタスのようなキーワードを知ると「作者が何を想ってこの絵を描いたのかという謎解き」になり興味深い。

こういう絵をパソコンの画面に映しながら、旧約聖書の「コヘレットの書」を読んでみる。
なんだかだんだん気が滅入ってくるような・・・

しかし人生の儚さを思い、自分の事を見つめ直す動機が与えられる。

バルバロ訳聖書「コヘレットの書」の解説では、バルバロ師は次のように書いている。

この本は連絡のない格言の本のようで、その格言は主としてこの世の空しさを語っている。
一般的にこの本の教えるところは、エピクリイズムにもなりうる希望のない悲観論ではない。
コヘレットはこの世の空しさ、はかなさを知らせることによって、幻滅におちいらず、いく分か人生の楽しみを味わえと教える。
また、神への感謝をもって、適度にこの世の楽しみを味わえと教えるのは、人間がこの世に生きることの目的が快楽にあるというのではない。むしろコヘレットの教えるのは節度である。

バルバロ訳聖書の評判が高い理由がわかるような気がする。

自ら聖書を読むことができなかった中世のキリスト教信徒は、聖堂のステンドグラスの絵を見て、聖書の話を学んだという。

宗教画というものは、現代に生きる私たちでも興味を引き立てられるし、一瞬の視覚体験で「キリスト教世界に触れて入り込む」ような刺激を受ける。

やはり絵はわかりやすい。

美術館の第一級の絵画であればなおさら。

有名な画家の特別展ではなくても、東京上野の国立西洋美術館には、常設展示(パーマネントコレクション)でも素晴らしい作品が多くある。

常設展示は特別展のように混まずに、人が少ないのでゆったりとマイペースで観れるのがいい。
興味を持った絵のみをジックリ見てあとはさらっと流してさっさと帰っても、また来ればいいので余裕を持てるのである。
常設展示は、多くの絵を集中して観ることができないような私のような人に向いているかもしれない。

西美の常設展作品については、拙ブログでも以前に、ロダンの「地獄の門」カルロ・ベルチの「哀しみの聖母」について書いたことがあつた。
http://catholicus.blog.jp/archives/2718072.html
http://catholicus.blog.jp/archives/2723200.html

この時は
予備知識なしで見に行ったのだが、 本を読んでから映画を観るように、物語や背景を知ってからどのように描写されているのか観に行く、行きたくなるというのもそれはそれで良いような気がしてきた。
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