カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

カテゴリ: 聖と俗

書店で雑誌Penのイスラム特集に目を奪われてしまいました。

イスラム小イランのイスファハーンのモスクが表紙。一面に美しい青い装飾がなされたモスクの前で真っ黒いアバヤ(でいいのかな)を着た女性が1人。
同じ写真は本文にもあって、そのページには「在るのは己と神のみ」の言葉がふってある。

日本人でイスラムという人は本当に少数派だと思いますので、どんな人が買うんだろうと一瞬思いながら、あまりにも印象に残って、私も買ってしまいました。
イスラムについては、ほとんど全くといっていいほど知らないので、やはり好奇心です。

私はカトリックなのでイスラムについては信仰の対象ではないので、本当は全く語る立場ではないのですが、イスラムの人たちの信仰の表現のしかたについては前から尊敬を感じていました。

日本の土下座のような完全に敬服するような姿勢で1日に5回もメッカに礼拝。
礼拝のときの、朗々と響き渡る歌声はアザーンと言うのですね。初めて知りました。
やはり神を讃える歌という感じがします。
モスクにしてもアザーンにしても美しいと思う。

宗教は違っても本物感があるものは心を打つのです。

ふとフォークミサの事を思い出してしまいました。ジャカジャカとギターを弾きならして歌う稚拙で軽薄な歌。
およそ聖歌とは思えないまがいもののような感じが情けない。

これって音楽の嗜好の問題なんだろうか?
「本物」「まがいもの」かという問題のような気がするんだけど・・・

カトリックでもグレゴリオ聖歌ラテン語聖歌をもっと復権しないといけない。グレゴリアンもやはり「本物」なんです。

雑誌Penですがキリスト教特集に続いてイスラム教特集が出たことに少し驚いてます。こういう特集を買う人が多いということですものね。
書店の店頭では「超訳 ブッダの言葉」なんて本もベストセラーになってる。
ほとんど好奇心からだとは思いますが、購入する人が求めているものは、「本物の宗教ってどんなんなの?」という感じじゃないだろうか。
世の中いかがわしい宗教であふれてますからね。

「本物の教会」「本物の聖歌」
「本物」「まがいもの」 そういう見方も必要。

ということで「本物」って何?ということになってくるのですが、Rickさんのブログで書かれている「絶対的客観」という言葉に少しヒントを感じたのでした・・・

街にでると、最近、カボチャの人形のデコレーションなどをよく見かけるようになりました。
この4〜5年でしょうか?
クリスマス、バレンタインデーなどと同じく、ショッピングセンターの店頭を賑わしています。

ハロウィンのこと、私はあまり詳しく知らないんです。
アメリカ由来で「カボチャのランタンを飾り、子供がお化けの仮装をする」習俗ということぐらい・・・

カトリック的にはいままで何もなくて一回もお祝いした事ない。
翌日の11月1日は「諸聖人の日」で祭日、11月2日は「死者の日」ですが、10月31日は普通の日・・・なのです。

「アメリカ由来だから、キリスト教と何か関係あるんだろうな」と思いながらも、今までうやむやにしてきたので、あらためて wikipedia を検索をして調べてみました。

ハロウィンというのは、All Hallows' Eveの発音なまりのようで、「諸聖人の日」が全く関係ないわけではないんですね。
知りませんでした・・・教養の未熟さをまた実感デス。
ケルトのサウェン祭が起源のようで、カトリックでもケルト系のアイルランドなどではお祝いするようです。
直接、関係があるとは言えないけど間接的に関係している感じですね。

ハロウィンのシンボルになってるジャックランタン(カボチャのランタン)には「ジャックオーランタンの伝説」という話があるようで、聖ペトロがでてきたりしてなかなか味のある話。
いかつい顔なのは悪魔からもらった種火だからなんですね。
ウィルオウィスプ Will o' the wisp っていう言葉があるようだけど、日本でも幽霊がでるときに周囲にただよう人魂のことを「鬼火」って言う事もあるから、とてもよく似ていておもしろいです。

ただ、最近では、山手線や大阪環状線で暴れる外国人がいるらしい。不良外国人は歓迎できません。本来の意味を離れて馬鹿騒ぎするくらいなら、お祝いしない方がマシですね・・・・

wikipediaを見ていて、少し驚いた事が一つ。小笠原諸島には欧米系帰化人の方がおられるんですね。ペリー提督がくる前から小笠原に入植していたらしい!!!
調べていたことが横道にそれて、別の検索が始まって・・・・時間がなんぼあっても足らん。


私の教会で、今聖書講座があるんですが、講師のなかには現役の司教様が二人も含まれていてなかなか豪華な講師陣です。
昔は、司教様から聖書講座を受けるなんてことはあまりなかったような気がする。
ボンクリの私は、聖書の理解にところどころ未熟なところがあって、この聖書講座はぜひ受講したいのですが、しかし残念ながら、その講演をじっくり聞ける余裕がない。

教会のお役をあれもこれも仰せつかっているのでそちらの方で時間をとられる。

正直、教会のお役のほうは,損くじひいたと思うお役があるのが本音。

そのうちのひとつは、他の教会と合同でやる行事の担当。いろんな教会の担当者が集まってミーティングとかなんやらかんやら。

同じカトリック教会でも、教会によってずいぶん信徒のカラーが違う。

社会活動に熱心な教会の担当者なんか、まるで労働組合の人みたいな雰囲気だった。
わたしは労働組合の委員もやらされたことがあるから雰囲気がわかるんです。
労働組合では、何かを学んだということはあまりなかった。時間ばかりとられて・・・

行事そのものは社会奉仕としてはそれなりに異議があることなんだけど、なんとなく進め方が気にいらない。
「教会にきて、なんでこんな組合っぽいことせんとあかんねん・・・」
とどうしても思ってしまうのですが、そこはぐっとこらえる。

せめてブログでこういう画像をアップさせていただいて気分を発散させていただきます!!(笑)

ノートルダム寺院中3 フーテンの寅さん風に「教会ってとこはな、労働組合じゃねえだろよ!!」と言ってみたいもんですねえ・・・


「聖と俗」なんて、すごいタイトルで前回書いてしまいましたが、書いてて面白かったので第二弾。

通勤電車で揺られる時間。時にギュウギュウ詰めになったりして、しんどいものがありますよね。

若い人なんか、そんななかでヘッドホンで激しいロックなんか聞いて、あれけっこうヤバいなあ〜。

漏れる音が迷惑とかそんなんじゃなくて、精神的に攻撃的になるでしょロックは。
頭ん中で「こらっ寄ってくんな!押すな!これ以上押したら蹴るぞ!」って状態ですよね。

キリスト教とロックは相容れないんです。(笑)

ということなのでロックは聴きませんが、少しおだやかな気持ちになれる音楽はないかなということで、この前スシ詰め状態のときに、J.S.Bach なんかを聞いてみたんですけどこれが大正解!
「殺伐とした状態なのに頭の中では聖なる音楽が」という感じ・・・
あまりのギャップで少し可笑しかったけど良かった!
Mozart も試してみたけど、少しせからしい感じがして J.S.Bach のほうがいい。
グレゴリアン・チャントは少し哀感があるから、元気を出すということでは朝の電車には向いてなかった。

「満員電車では穏やかな気持ちになる音楽を聴きましょうキャンペーン」とか、JRとかがやったりして・・・

身近なJ-POPということでは、私は池田綾子さんの曲が大好きで、こちらをおすすめ。
「海の唄が聞こえる」「宵の道」「君と在りしの日々の歌」「星降る森」・・・
ゆったりしたメロディで、少し日本的な情感がある。
こちらも穏やかな心持ちになります。

池田綾子さん。JR九州のイメージプロモーションビデオ「七つの鉄道の物語」http://www.jrkyushu.co.jp/dvd/index.jsp で知ったんですがこれがまたいいんです。

映像と音楽だけなのに不思議な情感があって、九州にものスゴく行きたくなる・・・

鉄道の話になってしまって、話が大幅に脱線したところで、今日はこれでおしまい。





「日曜日に教会に来ている時だけが信徒なのではなく・・・」というメッセージが、よく高位聖職者の方のお話にでてきます。

耳にいたい話です。

信徒といえども職業人。いろんな仕事をされている方がいるはずですが皆さんはいかがでしょうか?

医師や看護士などの生命を守る仕事や、農業とか漁業とかの自然相手の仕事では、宗教が頭をかすめることがありそうですね。
介護や福祉、教育、警察消防、もそうかな?
ひと相手の仕事ということでは、もしかするとバーのマスターとかも・・・

でも私の仕事のような普通のビジネスの世界では、せいぜい「誠実である事」というぐらいかなあ・・・
宗教が頭をよぎるほどドラマティックではなく、信徒であることを意識しないですんでいるのでしょうね。

それでも、聖書の一節一節が頭の中にきちんと入っていると、日常の仕事の場でも、その一節が思い浮かんだりするのかもしれないから、もう少し聖書を読まなければと思います。
聖書は難しく「なぜ?」のままで止まっているところも多いから、そういう箇所の謎解きをしていかないといけませんね。

現時点のわたしにとっては、俗なる時間から離れて、聖なるごミサに与ることが、ささやかな刺激・・・

フィーリング信徒ですいませ〜ん。





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