カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

カテゴリ: 教会建築について(日本の名聖堂100選・幻の名聖堂)

用事があって熊本に行ってきた。

熊本市は、もう人口が80万人ほどの規模となっていて、政令指定都市になっているらしい。
九州では、北九州市、福岡市に続いて三番目だそうで、熊本は、九州で3番目の規模の大都会ということになる。

九州の都市は、新幹線に沿って発展している感じがする。
人口の多さが、街の活力とイコールではないかもしれないが、やはり文化的に東京の存在感に飲み込まれないためには、そこそこの人口はあったほうがいいのかもしれない。

その熊本市の中心部に手取教会がある。





















場所は、道路を挟んだ正面に老舗の鶴屋百貨店があり、上通りと下通りの大アーケードの繋ぎ目のあたりなので、熊本の繁華街のど真ん中と言ってもいい。  

その中心部に、ちょっと周辺の賑やかさとは対照的な、素晴らしい佇まいの伝統様式の聖堂がある。

長崎や五島にあるような聖堂にも匹敵するしつらえだと思ったら、鉄川与助さんによる設計施工だった。

そういうこともあって聖堂の中も素晴らしい。
























祭壇の存在感が凄いが、内装全体が祭壇に合ったしつらえで、バランスの整った良さがあった。

この佇まいの聖堂で主日ミサに与かったが、そういう経験を得られたということに、とても感激している。

主日だけでなく平日も毎日ミサがあるようだ。

私の与ったミサも参列者が多かったし、案内をみたらグレゴリオ聖歌のサークルもあるようなので、信徒数も多いのだろう。

聖堂だけでなく、入り口に売店があり、社会との接点になっている。
(外観を見ただけだったが)信徒館司祭館も新しくてきれいな建物だった。

関西や東京の教会もそこそこ知ってるつもりだったか、あらゆる面で、手取教会の魅力は突出している。

80万人都市の中心部にある拠点教会として、とても魅力的な教会で、定年後にフリーになったらこんな街に移り住んでこの教会に通いたいと妄想してしまった。

日本の地方には、関西や東京を超える良い教会がある。


話を聖堂のしつらえに戻してしまうが、この手取教会の聖堂は、特別形式ミサ(トリエント・ミサ)を想定した場合、奥の祭壇が一段高くなっているのがとてもいい。

この聖堂で、特別形式ミサができる日が来ることを願いたいと思う。 

「ボーヴェー大聖堂。鉄筋のない時代に石組みだけで48mまでの天井高まで到達。パリのノートルダムの1.5倍の高さで、12階建てのビルがすっぽり入る。」と前回書いたが、このボーヴェー大聖堂にはいろいろと逸話があるらしい。

1247年に工事が始まり空前の高さの48mで完成したものの支持構造の強度不足で12年後にヴォールド天井が大崩落!

支柱の数を倍に増やして1323年の内陣が再建。しかし百年戦争で中断。
1500年に再開。1569年に交差部に153mの高さの塔が完成。しかし今度はこの塔が傾斜し始める。
専門家を交えて対策協議をしているさなかに大音響とともに倒壊!

ゴシック建築の限界とされているようだが、300年かけて限界を極めるところまでやるというところが凄い。

ネットで画像を見ただけだが、強度を保つ為か外観はまるで要塞。

少しゴツゴツしすぎてるようにも感じるが、内陣はさすがにその高さが荘厳さを感じさせる。
その場にいたら上のほうに引き上げられるような感じがするのではないだろうか?

余談だが、聖ジャンヌダルクをイギリス軍に引渡し、異端裁判の判事をしたピエールコーション司教はボーヴェーの司教だったように記憶しているが、この大聖堂の司教だったことになる。

(※ボーヴェー大聖堂の逸話については河出書房の「図説 大聖堂物語」から一部引用)




ブログを始めてから8年も経ってしまったが、最近になって、文章を書く難しさを痛感している。

同じようなことを書いていても、文章の表現の仕方で、印象がガラッと変わるということを、あまり真剣に考えずに続けてきてしまったので、そういう文体の違いが気になって仕方がない。

そういうわけで、以前書いた内容を再読しながら書き直すという、あまり生産的ではない作業が始まってしまった。

しかし、読み直しによって、「こんなことを書いていたのか」という新たな発見もあって、アーカイブとして眠らせるのはもったいないという思いと、最近、もうネタが尽きてきたということもあって、文章表現を変えたうえで日付を更新することにした。


以下は、その更新記事になる。

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カトリック教会らしい教会(建造物)をイメージするとき、どんなイメージが一般的なのだろうか?

ひとそれぞれとはいうものの、ゴシック様式の教会のイメージが強い感じがする。

初めてヨーロッパに行って、ミラノのドーモを見たときは、本当に驚いた。

その時の衝撃と感動で、私の場合もやはりゴシックの建築様式がカトリック教会らしさの典型になっている。

ただ、このゴテゴテした感じを嫌う人もいて「ゴシック」という言葉自体が15〜16世紀あたりからの蔑称らしい。

ところが驚いたのはゴテゴテしている部位も建築的に理にかなったところが多く、装飾のための装飾ではないようで、それぞれに一理あるらしい。

1.力学的には壁で支えているのだけど、採光を重視するために壁を薄くする必要があり柱がとび出てくる。

2.「リブヴォールト」(こうもり天井)は重力を横に逃がすための形状。

3.「フライングバットレス」(外側からアーチを支える柱)は外壁が横に広がろうとする力を外側から押さえ込む。

4.外側に飛び出た雨樋「ガーゴイル」(動物の形が多い)は雨水が外壁やガラスにかからないようにして、少しでも損傷を抑える。

5.「ステンドグラス」も採光のためだけでなく、
暗い聖堂で明るく光って見やすい聖書絵巻の役割を果たす。

極めて機能的で、その機能にもとづいた特徴的な形状を、装飾によって際立たせゴシック教会らしさを形作っている。

まさに機能する芸術。

高さを競い、ボーヴェー大聖堂は、鉄筋のない時代に石組みだけで48mまでの天井高まで到達した。パリのノートルダムの1.5倍の高さで。12階建てのビルがすっぽり入る。

科学のない時代に構造解析した訳でもなく、経験則で職人が築き上げた。

奴隷労働でつくられたわけでもない。

これほどのものを創るエネルギーはいったい何なのか?

美しさを感じるとき「削ぎ落とされたシンプルな美しさ」と「複雑で緻密な美しさ」のそれぞれ対極があるけれども、ゴシックは後者のわかり易い例かもしれない。

長崎市内の教会は、大浦天主堂、浦上天主堂、中町教会、それと日本二十六聖人記念館を訪ねた。

こういう旅の宿命だが、後半はやはり目が、空間や建物に慣れてしまう。

加えて、旅行記を書くにしては帰ってからの日数が経ちすぎた。
訪問時間の短さや、天候の不順もあったので、正直、記憶が五島ほど鮮明に残っていない。

浦上天主堂は、土砂降りの豪雨に足止めされ、強烈な雨の印象と、列車出発のタイムスケジュールの焦りで集中力が削がれる。

そして日本二十六聖人記念館は、本当に時間がなく30分ぐらい。
手紙が多くあったが、一点一点じっくり読むことができず、これではなんのために立ち寄ったのかという感じに・・・
貴重な資料が豊富にあることがわかったので別の機会に再訪するしかない。

中町教会も後からネットで画像を見て「こんな凄い祭壇だったのか!」と驚く始末で、いったい何を見ていたのかと自分で自分に呆れてしまう。


しかし・・・

それでも大浦天主堂だけは特別な想いがあるので、やはり違った。

日本のカトリック信者にとって、ここはまぎれもなく「聖地」なのである。

浦上信徒発見のストーリーとその歴史的な意味はわかっていたし、加えてさらに、今回の旅行で五島や神ノ島の潜伏信徒のプチジャン神父訪問の逸話を新たに知ったので、一歩一歩の道筋で次々に想いが積み重なり心臓の鼓動も高まる。

しかし現実には建物内は、現在の観光コースに組み入れられた姿では、なかなか「祈りの家」としての静謐の維持は難しいので「この観光客の多さの中で、聖なる空間としての緊張感を感じ取るには修養がいるのだろうな」と、入り口の扉の手前で、ある意味、覚悟?をして中に入った。

ところがたまたまだが、少し思いがけない出来事が起きていたのである。

外国人(南米系?)と思われる20人位のグループがマリア様の御像の前で、誰はばかることなく「テゼの歌」風の聖歌を朗々と歌い、祈っているではないか!

大浦天主堂の、観光施設のような状態とは違う「祈りの家」としての光景、表情を、一瞬だが目撃し体験した。

ささやかだが、これはやはり私にとってはお恵みだった。


訪問を終えた後にだが、「拝観時間を『一般拝観時間(建造物の見学時間)』と『巡礼時間』に分けてもらうわけにはいかないだろか?」と思った。

「巡礼時間」ではなく「祈りの時間」という呼び方でもいい。

観光と巡礼はやはり目的が違うのである。

少し難しいかもしれないが・・・



建物は、荘厳壮麗さにおいてやはり大変美しい。

浦上信徒を始めとする長崎の潜伏キリシタンにとって、大浦天主堂の姿がどのように目に映ったかは、現代人の我々からは想像することしかできない。

おそらく我々の想像を超える視覚による霊的な衝撃」があったのではなかろうか。

前回「『聖体ランプ』というのは聖体が聖櫃の中にあることを示すサインなので、観想修道院ではなくてもカトリック教会の聖堂には必ずある」と書いたが、実は、聖体ランプ、聖櫃が一目では見当たらない聖堂がある。

こういう教会は、たいがいの場合、別に小聖堂があって聖体ランプ、聖櫃は、そちらにある可能性がある。

もちろん聖櫃が主聖堂にある教会も多いので、この違いが少し気になってきた。

Google検索で「小聖堂 聖櫃」で検索をかけ調べてみたら、1999年ごろに、鹿児島カテドラルで聖櫃の場所を巡って意見が分かれ、司教である教区長の裁定で小聖堂に決定したという話が見つかった。

カトリックの場合は、教会の公文書に基づいて教区長が判断するので、教区長の説明も「司教儀式書」や「ローマ・ミサ典礼の総則」を引用している。

少し意外だったが、
当時の「ローマ・ミサ典礼の総則」では「(聖櫃は)信者の個人的な礼拝と祈りにふさわしい小聖堂の中に設置されることが切に勧められる。」という一文があり、小聖堂のほうが望ましいとされていたようだ。

この1999年当時の「ローマ・ミサ典礼の総則」が何版に当たるのかは知らないが、
この時は、聖櫃を主聖堂から小聖堂に移すほうがいいという考え方があったのは事実である。


ただし、現在の「ローマ・ミサ典礼の総則(暫定版)第三版」では「小聖堂の中に設置されることが切に勧められる。という記述はもうない。

聖体の保存される場所
315
a)内陣内
 この場合、祭儀を行う祭壇から離れたところに、よりふさわしい形と場所を選ぶ。ただし、もはや祭儀のために使用されない古い祭壇の上を妨げるものではない。
b)あるいは、他の小聖堂内。この場合、信者の個人的な礼拝と祈りにふさわしく、教会堂と有機的につながった、信者の目にとまる場所にする。

となっている。

教会(聖堂)設計のレイアウトや意匠に影響を及ぼす、このような教会公文書の変化の理由について、いまのところこれ以上は詳しく知らないが、聖櫃の場所というのは、現在の通常形式のミサの誕生とともに、いまも様々な考えが錯綜しているのだろう。

私はやはり、主聖堂で聖櫃や聖体ランプが視線に入らない(小聖堂にある)ような聖堂は、どうしても何か足りないような感じがしてしまうので、主聖堂の内陣のなかへの設置を良しとする、このようなささやかな変化は好意的に受け止めたいと思った。


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