カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

カテゴリ: 教会建築について(日本の名聖堂100選・幻の名聖堂)

長崎市内の教会は、大浦天主堂、浦上天主堂、中町教会、それと日本二十六聖人記念館を訪ねた。

こういう旅の宿命だが、後半はやはり目が、空間や建物に慣れてしまう。

加えて、旅行記を書くにしては帰ってからの日数が経ちすぎた。
訪問時間の短さや、天候の不順もあったので、正直、記憶が五島ほど鮮明に残っていない。

浦上天主堂は、土砂降りの豪雨に足止めされ、強烈な雨の印象と、列車出発のタイムスケジュールの焦りで集中力が削がれる。

そして日本二十六聖人記念館は、本当に時間がなく30分ぐらい。
手紙が多くあったが、一点一点じっくり読むことができず、これではなんのために立ち寄ったのかという感じに・・・
貴重な資料が豊富にあることがわかったので別の機会に再訪するしかない。

中町教会も後からネットで画像を見て「こんな凄い祭壇だったのか!」と驚く始末で、いったい何を見ていたのかと自分で自分に呆れてしまう。


しかし・・・

それでも大浦天主堂だけは特別な想いがあるので、やはり違った。

日本のカトリック信者にとって、ここはまぎれもなく「聖地」なのである。

浦上信徒発見のストーリーとその歴史的な意味はわかっていたし、加えてさらに、今回の旅行で五島や神ノ島の潜伏信徒のプチジャン神父訪問の逸話を新たに知ったので、一歩一歩の道筋で次々に想いが積み重なり心臓の鼓動も高まる。

しかし現実には建物内は、現在の観光コースに組み入れられた姿では、なかなか「祈りの家」としての静謐の維持は難しいので「この観光客の多さの中で、聖なる空間としての緊張感を感じ取るには修養がいるのだろうな」と、入り口の扉の手前で、ある意味、覚悟?をして中に入った。

ところがたまたまだが、少し思いがけない出来事が起きていたのである。

外国人(南米系?)と思われる20人位のグループがマリア様の御像の前で、誰はばかることなく「テゼの歌」風の聖歌を朗々と歌い、祈っているではないか!

大浦天主堂の、観光施設のような状態とは違う「祈りの家」としての光景、表情を、一瞬だが目撃し体験した。

ささやかだが、これはやはり私にとってはお恵みだった。


訪問を終えた後にだが、「拝観時間を『一般拝観時間(建造物の見学時間)』と『巡礼時間』に分けてもらうわけにはいかないだろか?」と思った。

「巡礼時間」ではなく「祈りの時間」という呼び方でもいい。

観光と巡礼はやはり目的が違うのである。

少し難しいかもしれないが・・・



建物は、荘厳壮麗さにおいてやはり大変美しい。

浦上信徒を始めとする長崎の潜伏キリシタンにとって、大浦天主堂の姿がどのように目に映ったかは、現代人の我々からは想像することしかできない。

おそらく我々の想像を超える視覚による霊的な衝撃」があったのではなかろうか。

前回「『聖体ランプ』というのは聖体が聖櫃の中にあることを示すサインなので、観想修道院ではなくてもカトリック教会の聖堂には必ずある」と書いたが、実は、聖体ランプ、聖櫃が一目では見当たらない聖堂がある。

こういう教会は、たいがいの場合、別に小聖堂があって聖体ランプ、聖櫃は、そちらにある可能性がある。

もちろん聖櫃が主聖堂にある教会も多いので、この違いが少し気になってきた。

Google検索で「小聖堂 聖櫃」で検索をかけ調べてみたら、1999年ごろに、鹿児島カテドラルで聖櫃の場所を巡って意見が分かれ、司教である教区長の裁定で小聖堂に決定したという話が見つかった。

カトリックの場合は、教会の公文書に基づいて教区長が判断するので、教区長の説明も「司教儀式書」や「ローマ・ミサ典礼の総則」を引用している。

少し意外だったが、
当時の「ローマ・ミサ典礼の総則」では「(聖櫃は)信者の個人的な礼拝と祈りにふさわしい小聖堂の中に設置されることが切に勧められる。」という一文があり、小聖堂のほうが望ましいとされていたようだ。

この1999年当時の「ローマ・ミサ典礼の総則」が何版に当たるのかは知らないが、
この時は、聖櫃を主聖堂から小聖堂に移すほうがいいという考え方があったのは事実である。


ただし、現在の「ローマ・ミサ典礼の総則(暫定版)第三版」では「小聖堂の中に設置されることが切に勧められる。という記述はもうない。

聖体の保存される場所
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a)内陣内
 この場合、祭儀を行う祭壇から離れたところに、よりふさわしい形と場所を選ぶ。ただし、もはや祭儀のために使用されない古い祭壇の上を妨げるものではない。
b)あるいは、他の小聖堂内。この場合、信者の個人的な礼拝と祈りにふさわしく、教会堂と有機的につながった、信者の目にとまる場所にする。

となっている。

教会(聖堂)設計のレイアウトや意匠に影響を及ぼす、このような教会公文書の変化の理由について、いまのところこれ以上は詳しく知らないが、聖櫃の場所というのは、現在の通常形式のミサの誕生とともに、いまも様々な考えが錯綜しているのだろう。

私はやはり、主聖堂で聖櫃や聖体ランプが視線に入らない(小聖堂にある)ような聖堂は、どうしても何か足りないような感じがしてしまうので、主聖堂の内陣のなかへの設置を良しとする、このようなささやかな変化は好意的に受け止めたいと思った。


「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が、世界遺産候補としてユネスコに推薦されている。

この世界遺産候補の長崎の教会群については、次行の長崎県のサイトが詳しい。
https://www.pref.nagasaki.jp/s_isan/outline/02.html
訪問マナーなどについても、とてもわかりやすく解説されていて良いサイトだと思う。

私は関西に住んでいるので、世界遺産に認定された後の京都・奈良の環境変化が、実感としてよくわかるところがあって、今後もしかしたら、長崎の古い伝統的な教会建築も(社会的な興味関心の対象として)少し脚光をあびるかもしれないと思った。

少なくとも外国人ツーリストは確実に増える。

カトリックとしてうれしい反面、個人的には「うるさくなったらイヤだな」という本音もあって、少し複雑な心境・・・・・

今でも大浦天主堂などは、観光客向けの拝観時間の間は、お祈りができるような雰囲気とは言い難いのである。

大切なのは、建築としての価値だけではなく歴史を知ることであって、上記の長崎県のサイトは、その点でも良い説明がなされていた。

今後、観光客の訪問者が増えることを想定した対応を、教会としていまから考えておく必要があるのだろう。


ところで、この世界遺産の候補となった教会だが、充分に納得が行く教会が選定されていると思った反面、「えっあの教会が選外か!」という感もあった。
対象を絞らなければならなかったのだろうか?

天草の崎津だけは選定されているが、長崎県外が極端に少ない
長崎の近隣県でも、古い風格のある凄い教会があるのである。

私は、偏屈(笑)なので選定外教会にも注目をし続けていきたい。


ということで、長崎近隣県の大都市のど真ん中に立地する、ある教会の画像をアップしたい。

祭壇のしつらえが、トリエント・ミサに完璧に適している。

こういう教会で、トリエント・ミサがあったら、一生に一度経験できるかどうかというぐらいのとても印象に残るミサになるだろう。

空想してしまう・・・・・

201505手取教会内部



10月5日に、ウナ・ボーチェジャパンの特別形式ミサ(トリエント・ミサ)があった京都の北白川教会(カトリック聖ヴィアトール北白川教会)について書こうと思う。

主任神父様のお人柄を含めいろんな点で魅力的な教会なのだが、建物としての教会(聖堂)という点でも大変感心したので、今回はその話題にしたい。

新しい教会なので、建築意匠としては現代的なコンクリートづくり。

デザインの好き嫌いは意見が分かれると思うが、新しい建物としてのクリーンさがあるし、きれいな庭を横に見る道路からのアプローチがとてもいい。

スロープがあったり、徹底的に段差を排した設計も、教会は高齢者が多いのでバリアフリーの視点で大変好ましい。


特に私が一番感心したのが、レイアウト(間取り)。

航空写真と記憶を元に図にしてみたが、こんな感じ。

北白川教会航空写真


比較的にエントランスが広い。

教会というところは、ミサの前後に一斉に人が出入りするので、エントランスの広さは重要な感じがする。

緊急時を考えた避難という面で、一度に多くの人が外に出られるということもあるが、教会というところは、聖堂の中が基本的に祈りの場であるために、ミサの後に入口付近で立ち話をすることが大変多い。
この教会は、この「立ち話をするためのスペース」をエントランスの広さとホールとの隣接によってあらかじめ確保しているのである。

このホールの位置がまた絶妙。

聖堂とも隣接していて、扉を大きく解放できるようになっている。
おそらくクリスマスなどの祭日で会衆が増える場面を想定しているのである。

またホールには様々なイベントを想定した、低めのステージもある。
聖堂を使わなくてもチャリティコンサートなどが可能ということだ。

初めて教会に来た人にとっても、事務所がエントランスに隣接しているので、声をかけやすい位置関係になっているということが大変良い。

トイレの場所も迷わないし、建物の中にありながら聖堂との距離を保った位置。

良いことづくめではないか・・・

とにかくエントランスがこの教会の最大のポイントなのであろう。

というか、教会というところはエントランスが極めて重要であるということを認識させられる建築である。

設計者のレベルの高さもあると思うが、この設計は、設計者が教会というところを詳しく理解できていないと出来ない設計のようにも思う。
設計を依頼したときの依頼の質の高さがわかる。

教会の建て直しを検討されている教会役員の方がおられたら、是非、見学をされることをお薦めしたい。


エントランス「入り口」というところは、「開かれた教会」の視点でも象徴的だ。

入口から入ったときに声をかける場所がすぐわかり、直感的に各部屋がどういうところかがわかり易い教会と、誰に声をかけたらいいか、どういう意味を持つ部屋かわからない教会・・・

小教区も様々だが後者のような教会はけっこう多い。

建物の建て直しは、なかなかできるものではないのだが、北白川教会の建築のコンセプトに学ぶことは大変多い。

外に開かれた教会という意味において
これは何も建物だけの話ではないような気もする・・・


ちなみに晴佐久神父の多摩教会は、エントランスにカウンターがあり、ミサのときには受付係の方がいる。魅力的な教会であることが、こういうところでもわかる。

名古屋に行ってきました。

車に興味を持ち始めた我が子をトヨタ博物館に連れて行ってあげるのが第一の目的。

名古屋には、トヨタ博物館とトヨタテクノミュージアムという二つの博物館があるのですが、さすがはトヨタが作った施設です。
コンセプトがいい。展示の内容もいい。施設のアメニティがいい。三拍子揃った素晴しい博物館でした。
二つの博物館はコンセプトが少し違いますが、両方とも否のうちどころがないと言ってもいいんじゃないでしょうか。
創業からのトヨタの歴史もドラマテックですね。もっと詳しく知りたくなりました。

トヨタテクノミュージアムのすぐそばには「ノリタケの森」というノリタケの施設もあるのですが、ここもアメニティがとてもいい。
やはりメーカーだけに食器がよくわかっているというか、見せ方にも妙があるのでしょうか。
見てるだけで楽しくなりました。

洋食器を魅力的に見せるために、雰囲気のいいレストランまで併設するというセンスが凄いですよね。
なんとディナーは要予約です・・・
高そうなので食べませんでしたが・・・

食器というものは100円ショップからヨーロッパの高級食器までピンからキリまであるので、事業経営が難しい業種だと思います。先端技術を活かした新規事業展開をしながら、食器づくりでも埋没しない、事業放棄しないノリタケは流石です。
質の高いモノづくりを目指す姿勢にちょっと感動があります。

一般に名古屋は、あまり観光する街という感じではないのですが、やはりモノづくりというのも文化なので、見せ方さえよければ観光してまわっても充分に刺激がありました。
きしめん、味噌煮込みうどん、味噌カツなどの庶民的な食べ物でも魅力的。
近畿圏からは車で気軽に行ける距離圏なのが、私達家族にとってもいい。
時折、気分転換もかねておじゃまさせてもらうのもいいかなと思いました。



ところで、名古屋の教会はどうだったのか?
カトリックのブログなので、何かカトリックについても書かないといけない。

かねてよりHPを見て行ってみたかった名古屋カテドラルのカトリック布池教会に行ってみました。

カトリック布池教会2

二つの尖塔が思っていたよりも大きい!
ゴシック風の聖堂もとても壮麗。
ステンドグラスと良く合ってます。

実は建物だけでなくミサに与っても名古屋の流儀に大変驚きました。

聖変化の時は参列者全員、一斉に跪き。
御聖体を直接、口で拝領する人、多数。
閉祭の歌はラテン語聖歌。

名古屋は凄い・・・

いや、あたりまえの事をあたり前に続けていると思うべきか・・・

関西では、ラテン語ミサをうんぬんする前に、ミサの基本所作で跪きができていない教会はとても多い。

名古屋の流儀にとても力づけられる旅となりました。

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