カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。

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・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。

カテゴリ: 世の中のことについて

テレビドラマの、キャスティングや役者の演技について、家族で語り合うのは楽しい。

自分なりに人物イメージを描いている歴史ドラマなんかでは特にそう。

「やはり秀吉はこの人だね!」というような「はまり役」というのもあるし
「意外なキャスティングだったがこの信長はなかなかいいね!」というのもあります。

意外なキャスティングが巷で話題になるような場合は、プロデューサーさんとしては、おそらく「してやったり」という感じなんでしょうね。


若手女優の倉科カナさんの言葉ですが、役者にとって演じるということは「キャラクターの人生を生きること」だそうです。
http://www.filesend.to/plans/career/body.php?od=120424.html&pc=4

キャスティングと演技力によってキャラクターにただならぬ存在感が生まれているときは「役者がキャラクターに転生?している!」ということになるんでしょうか?


こういう話で思い出されるのが、フーテンの寅さんを演じ続けた渥美清さんの事です。

以前も書きましたが、寅さんを演じ続けた渥美清さんは、私生活では、必ずしも寅さん的なタイプではなかったらしい。

おそらく寅さんのイメージから脱却したいと思っていたでしょうが、寅さんほどの存在感になると、対極のキャラクターを演じて「フーテンの寅」のイメージを壊すことも難しいし、かといって寅次郎に同化しつづけるのも、架空の人物に自分の存在を乗っ取られそうになるような感じを持ったかもしれません。

渥美さんは寅次郎の事をどんなふうに思っていたんだろう・・・

寅次郎の目線で渥美清を見ている事があったりして・・・

渥美清さんは、本当に渥美清と車寅次郎の二人分の人生を生きたんでしょうか?

少しミステリアスです。


演じるということについて、演出家の平田オリザさんも「生きることは演じること」という言い方をされています。

以下の青字は平田さんの話。
http://diamond.jp/articles/-/13438

ペルソナ(仮面)という言葉があります。人は社会的な関係のなかでいろいろな仮面をかぶって生きています。たとえば大人の男性ならば、「夫」や「サラリーマン」「マンションの管理役員」「週末のボランティア」など、社会生活のなかでさまざまな役柄を演じながら、かろうじて人生を前に進めている。

 日本人は演じるという事に抵抗があり、自分を偽る、自分に嘘をつくというイメージが強いのですが、なにも仮面をかぶることが悪いわけではない。むしろ本来の自分などなく、いろいろな仮面が自分というものを形成しているのだ、と考えるべきなのです。


ネット社会になって、ハンドルネームというものを使うようになった現代、平田さんの話は、何か実感してしまうところがあります。

「本来の自分などない。いろいろな仮面が自分を形成する・・・」

考え込むととても難しい話ですが、渥美清さんが車寅次郎と共存して生きたように、私たちも、様々なペルソナを持って生きている。

ペルソナが影響し合いながら「自分」を高めていけるようにしたいものです。


ところで、平田オリザさんのお芝居の演出ですが、

「ときに聞き取れないようなぼそぼそした声で喋る」
「複数の会話が同時進行する」
「役者が観客に背を向けて喋る」

といったある意味、演劇とは思いがたい?淡々とした演出だそうで、これは「人間の日常はドラマティックな出来事の連続ではなく、静かで淡々とした時間が多くを占めるが、人間のそのものの存在が十分に劇的であり、驚きに満ちている」という考えによるものだそうです。

私は、演劇もミュージカルも歌舞伎も、このところほとんど見てないのですが、なんだか平田さんのお芝居を見たくなりました。

平和は尊い。

誰も平和がイヤだという人はいないのに、日本においては憲法をめぐって意見が食い違う。

争点は過去より、護憲か改憲かというラインなのですが、最近もっと根本的な憲法の理念の賛否について争点にしたほうが良いと思い始めました。

つまり、「日本国憲法の理念は正しいが条文に不備がある」という改憲と「日本国憲法は破棄すべきである」というのとではやはり意味が違うからです。

石原慎太郎さんが「日本国憲法は破棄すべきである」という主張のもとに、日本維新の会を離脱しました。
これは政治をわかりやすくするということでは良かった。
同じ主張の議員は、石原新党に加わって立場を鮮明にしてほしい。 

そうしてもらうことで、ハッキリ支持不支持の線を引けるというものです。

私は、「現行憲法破棄論」というのは、戦後民主主義を全面否定する主張のように感じるので、その主張については明確な拒否感がある。

「現行憲法を破棄し自衛隊を国軍にする」そのような姿になった日本が果たして戦争の歴史を学んだ姿といえるのか、想像力を持って考えれば、その姿はもう許容できる姿ではなくなっています。

戦後の日本が、まがりなりにも平和を保てたのは「憲法」と「安保、自衛隊」が併存しつつ機能してきたからじゃないのか?

私は「『安保、自衛隊』は決して否定しないが『現行憲法』は大事」だと思います。

条文修正は拒否しませんが、憲法の「理念堅持」ということでは私も護憲派なんでしょう。


その「護憲」を最も重視する政党は社民党。

しかし私のようなタイプの人間が、護憲政党である社民党を支持してきたというと全く違っていて、むしろ社民党は一番嫌いな政党です。

福島前党首がプロライフ視点で最も許容できない政治家ナンバーワンだし、護憲の主張も一言一句変える事を許さないという姿勢が教条的で全く共感できない。
拉致問題での欺瞞的対応というのもありました。


ところがその社民党ですが、選挙を重ねるごとの、壊滅的敗北を経て、ようやく過去の教条的姿勢に対する反省が生まれているようです。

http://www5.sdp.or.jp/special/kenpo/116teruya.htm

「護憲派の主張や運動が教条的で、市民や若者らにわかり易く説明し、語りかけない胡散臭さも感じていた。」
「市民が権力と対峙するためには、少しでも意見が違うと『本物じゃない』などとどんどん排除していき、自分たちで勢力を小さくしていくというくり返しをやめないといけない。」


という言葉がホームページにありました。

「今頃、気づいてももう遅い。もう手遅れ」と思いますが、少なくとも「話し合うことの大事さ」に気づいたことだけはマルでしょう。 

なぜ支持政党でもない「社民党の反省」について、今回、ブログの記事にしたのか?

カトリック教会の一員である私は、やはり「正平協」のことが、頭をかすめるからなんですよね。


ちょっと重い話題になりすぎたので今週は二本立て。

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ワールドカップが終わりました。

あっ終わってないか!

日本代表にとってのワールドカップが終わりました。


本田選手

「本当に無念の一言というか。それを招いたのはもちろん自分自身なので。すべてを受け入れる必要があると思います」

「非常に悔しいですけど、これが現実ですし、『優勝』とまで言って、この散々な結果ですから…。自分たちが未熟過ぎた結果なわけですから。今はすべてを受け入れて、今後どうしていくか。少し時間をかけたいなというふうに思います」

「もっとね、希望や夢を最後まで見せたかったのですけど、本当に口だけで終わってしまって、非常に残念に思っています。申し訳ないと思っています」


残念さ悔しさが本当に伝わってきます。
本田選手をはじめ、全ての日本代表選手の健闘を讃えたいと思います!!



ザック監督

「責任は全て私にある」「何かがこのチームに足りないのだろう。足りないものを新しい監督が、新しい文化を持ってきて埋める。そういう時期が来た」

「新しい監督が新しい文化を持ってくる。ゲームの中で自分たちに不利な出来事が起きても左右されず、継続してプレーを出していけるように」

「この素晴らしいチームの監督で誇りに思う。4年間の仕事に感謝している。もう一度メンバーが選べるとしても同じメンバーとスタッフを選んだ」

「選手たちに感謝しないといけない。私の信念を感じて実行に移してくれた。少しずつだが彼らの継続的な成長が見られた」

と言い訳を一切せず、感謝の意を述べた。



こういうコメントを残して去っていくというのが、もう本当に本当に本当にカッコイイ!!ですよね。

芸能界の人を想定して「理想の上司は誰?」なんていうアンケートがよくありますが、

この監督コメントを読んだだけで、私は「ザック!」と答えてしまいそうですねえ・・・

敗れてもドラマ。

ザック監督に感謝です!!!

とても重い気持ちにさせられるニュースを読みました。

新型出生前検査が導入された結果、染色体異常の疑いがある陽性判定者がさらに羊水検査で確定された場合、97%の割合で人工妊娠中絶が行われたという記事です。

この検査。

出産前の妊婦、若い夫婦を、精神的にかなり追いつめる検査になってないでしょうか?

生まれてくる子供の人権を考えれば、生命倫理の問題だからです。

カトリックの場合は、診断結果によって中絶することは大きな罪であり認められず、カトリック信者の夫婦の場合はその信仰によって、この新型出生前検査の受診を辞退するケースが増えていくと思います。


カトリック中央協議会ホームページを見てみました。

おしらせ欄に、日本カトリック正義と平和協議会が集団自衛権行使容認の事で安倍内閣に反対の意見書を送った記事がトップになってます。

あいかわらず日本のカトリック教会の司教様方は、日本の社会問題に対しては、脱原発や憲法改正反対に熱心なご様子。

しかし残念ながら、この新型出生前検査導入に伴う人工妊娠中絶の問題については、中央協議会ホームページのおしらせ欄には見当たらない。

私は、こういう命の問題こそ、意見表明が必要だと思う。

社会が教会(カトリックに限らず宗教界)に対して意見を求めているのは、このような問題に対してではないのか。

「集団自衛権行使容認に反対」しておきながら「新型出生前検査導入に伴う人工妊娠中絶問題」に対し沈黙していたのでは、教会の姿勢としてあまりにも空しいんじゃないか?

私は、カトリック中央協議会ホームページのこういうバランスの悪さが大変気になり、この事でも気持ちが塞がります。

まだ声明がでていないのはタイムラグ?

そうであってほしいと思います。

先月の19日ですが、驚いたことに国会でカトリック教会のことが質疑応答がされたらしい。

場所は衆議院内閣委員会で質問者は、日本維新の会の中丸啓(ひろむ)議員。

(中丸議員質問)
それでは次に、外務省の欧州局の局長宛に持ち込まれた意見、質問趣意書についておたずねします。これはカトリック教会ですけども、岡山の赤磐市議会議員から届けられた意見趣旨書があるんですけれども、バチカン市国から指名されて日本に配属されているいわゆる司教の方々がどういったことを信者の皆様に対して言っているかということなんですけども、一例をあげてみます。


反政府デモ活動への積極的参加することは、信者の義務であると呼びかけ、宗教指導。
中核派は革マル派が主催する活動デモ・反政府デモへの積極的参加することは、信者の義務であると呼びかけ、信者として反政府意識を持つように呼びかけ、反政府活動は信者の義務だと宗教指導。
宗教の言葉を引用し、日本型社会構造及び文化意識への批判を行い、反対運動というのは信者の義務であると扇動。
憲法改正は戦争を起こす行為であると議論そのものを否定し、また改憲反対活動を信者に義務として奨励し遂行。
いわゆる従軍慰安婦なるものの存在を政府に認めるように求める活動は信者の義務として奨励遂行。


と、 このようなことを、全国のカトリック教会組織を用いて行っているようなんですけど、ここだけ見れば完全な反社会活動と言わざるを得ない内容なんですけども、それについてどうかという趣意書が出ているということなんですけど、今日、外務省の参考人に来ていただいていると思いますので、その取り扱い、今どうされているかを教えていただきたいと思います。

(外務省答弁)
お答え申し上げます。
今、議員がご指摘の紙は当方で受け取っております。
日本国内におけるカトリック教会の動向等について、外務省としてお答えする立場にございませんので、コメントを差し控えさせていただきたいと思います。


(中丸議員質問)
受取ったということだけだと思うんですが、これはほとんど我が国に関する内政干渉、もっと言えば国内騒乱煽動を組織的に行っているとも受け取れるとも思えるんですね。
これがカトリック教会がという意味ではなくて、こういう宗教活動からどんどん発端を発していった、昔、オウム真理教という事件も国内ではあったわけですから、まぁそこまでのものとは思いませんけども、こういう存在があって、外務省として答えられないということであると思うんでしたけども、国家公安委員長、こういった国内での信教の自由を大事にしなければならない、言論の自由を大事にしなければならないということでしょうけども、明らかな反政府活動的なものとなってきたものについて、どういう風に考えていったらいいのか、ご所見を伺いします。

(国家公安委員会答弁)
一般論として申し上げますけども、警察が、そういった諸外国からいろいろな対日の諸工作が仮にあったということで、そう いったことは実は平素から我々も関心をもって集めていますので、具体的な中身の言及についてはご容赦ください。その中で具体的に違法行為というものがある ということならば、私たちは厳正に取り締まっていくという、こういうことが警察の基本スタンスであります。


「反政府活動」「内政干渉」「国内騒乱扇動」だって。

外務省に質問するということは、バチカン市国が謀略を仕掛けているって言う見方?

ちょっと酷いなこれは・・・

今の日本のカトリック教会は、こんな見方をされてるわけ?

この中丸議員、維新の会でも「たちあがれ日本」系のようで、民族主義的というか国家主義的な人の中にはこういう人もやはりいるということがわかります。

カトリック教会に対し、少し穿った見方をしてる。

そして誤認があります。
「信者の義務として」という言葉が何回もでてきますが、そんな事実はなく完全に誤認。

何かの政治運動に、参加を強要されたり義務とされた事実は、私の周囲では全くありません。

日本のどこかの小教区で義務づけがあった? そんな話も聞きませんが・・・


なぜ中丸議員が日本のカトリック教会に目が向いたのかちょっと不可解で、質問そのものにも驚きましたが、私がもっと驚いたのは中丸議員に対し情報を提供し働きかけた一部のカトリック信者がいるという事です。

私も正平協にはかなり不信感がありますし、偏った政治発言に辟易することも多い。

しかし国会議員を通じて政府に働きかけ、国家から教会に圧力をかけて動きを是正させようなんて、そういう発想をすること自体、根本的に、完全に間違っていると思う。

日本でのカトリック教会の歴史は、弾圧迫害の歴史。そのことを忘れたら絶対ダメです。

今回、中丸発言に関与したカトリック信者は、この大変な誤りに気づいてほしいと思います。

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