カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

カテゴリ:本・雑誌・映画について > フランダースの犬

テレビアニメ版「フランダースの犬」ですが、いまNHKのBSプレミアムで再放送しています。
毎週月曜日の6:30〜6:55まで。
http://www.nhk.or.jp/bs/t_anime/

春からやっていて観たり観なかったりだったのですが、最近の回ではネロのおじいさんの体調が少しおもわしくなくなってきたため、気になってビデオ録画で毎週欠かさず観るようになりました。

そろそろクライマックスが近づいているような気がします。
もう既に知っているラストなのですが・・・

子供につき合って時折観ている「ドラえもん」に辟易している私にとっては、カルピス劇場アニメの質の高さ(技巧的な事だけではなくストーリー性)は、ほんとに感心します。
カルピス劇場の制作会社は日本アニメーションという会社ですが、現在は「ちびまる子ちゃん」を制作しているようで「なるほど」という感じがしました。

テレビアニメの「ドラえもん」は、藤子不二雄さん原作の「ドラえもん」とは、もう別物になってしまっていて、制作スタッフの社会観に不安を覚えることがあるのです。

アニメ制作会社の制作の質では、どうやら「ドラえもん」の「シンエイ動画」よりも「日本アニメーション」のほうが、はるかに良い感じ。

私も1人の親として少しでも良いほうを子供に勧めていきたいと思います。
テレビ局の人もちょっと親目線で考えて欲しい。
誰もこんなブログを読んでないと思いますが・・・(笑)

「フランダースの犬」は地元ベルギーでは、原作本はほとんど知名度がなかったようですが、アニメ化された作品では80%の視聴率となり(観光目的かもしれませんが)ネロとパトラッシュの銅像までできました。

こういう事象はアニメの質の高さが普遍的なものであったという証明として思ってもいいと思います。
素直に日本人として誇らしいですよね。

前回、宮駿さんが「フランダースの犬」を「視聴率的には成功したがゴミみたいな作品」と評した事を書きましたが、地元ベルギーの人はそうは思っていなかったということで、とても良かったと思います。


この「視聴率的には成功したがゴミみたいな作品」発言には、私はかなりひっかかっていて、どう受け止めてよいかの戸惑いがあり「『より作品の質を高めたかったというプロ魂ゆえの発言』と思いたい。」というような前向きな事も前回書きました。

しかしちょっと誤認でした。
私は宮駿さんも主要な制作スタッフの一員だと思いこんでましたが、宮駿さんは「フランダースの犬」では、第15話の背景か何かでほんの少しかかわっただけらしい。
宮さんの存在感の大きさからすれば制作スタッフとは言い難い関わり方という感じ・・・

スタジオジブリアニメとカルピス劇場アニメのキャラクターデザインの類似性から、ネロやパトラッシュのキャラクターデザインも宮駿さんがデザインしたものと私は勝手に勘違いしてました。

自分の作品でもないのに、会社仲間の作品を『ゴミ作品』呼ばわりはちょっと酷いんじゃないか・・・

「フランダースの犬」のキャラクターデザインは、もりやすじさんでした。

宮駿さんの先輩格に当たる人のようです。

「ゴミ発言」はもしかしてライバル心からの発言? ちょっと大人げない。
「日本を代表するアニメーターの発言としてちょっとどうよ!!」という感じ・・・

もりやすじさんの人柄は「いつも穏やかで気品にあふれた森さんの絵そのもの。絵柄に人柄が表れる」と評された方だったらしい。

「穏やかで気品にあふれる」と評された、もりやすじさんの絵ですが、ほんとにほんとにやさしくて可愛い。

「絵柄に人柄が表れる」っていいですね。

もうイースターから一週間が過ぎてしまいました。
遅くなりましたが、主の御復活おめでとうございます。

お花見のベストシーズンなのに、この土日も天気が悪いですが復活祭の日曜日も寒かったですね・・・
桜はいい感じに咲いていたのですが、寒くてお花見をする気にもなれず、ミサが終わったらそそくさと帰宅してしまいました。

「たまには家でビデオでも見ようか」ということで、久しぶりに自宅で、家族みんなで映画鑑賞。
劇場映画版アニメ「フランダースの犬 Dog of Flanders」のDVDを見ました。

基本的にストーリーがいいので、充分に感動出来る映画になっています。
アニメであったり子供向けであったりする部分は相殺されるんですよね。

感動というか感涙のポイントは、やはりラストシーン。
いっしょに見てる子供の手前、号泣はしませんがそれでも涙がでてしまう。

主人公ネロの死は、これでもかと言わんばかりの不幸の連打で、とにかく「かわいそう」の一言に尽きますが、臨終の間際に普段は見れない大聖堂のルーベンスの名画をついに見ることができたというところが唯一の救いになっています。

テレビシリーズの際、ラストシーンを変更しネロが死なないように、との嘆願が多くあったらしいのですが、「死は終わりではなく、天国への凱旋」という考え方が反映されたラストとなりました。
スポンサーのカルピスの社長でありクリスチャンでもあった土倉 冨士雄氏の意向があったとWikipeに記載されてます。

この世では、誰からも助けてもらえることなかった不遇の死ですが、ネロは神の慈しみのなかで天国に凱旋する。
ルーベンスの絵との偶然の出合いも、その表現の一つとなりました。

とてもいいアニメ映画だと思います。

ところで、Wikipeでは、テレビシリーズの際に、あの宮崎駿さんも、わずかに一部で製作者の1人として加わっていたと書かれてました。
ちょっと驚いたのですが、宮崎さんは「フランダースの犬」については「僕はゴミみたいな作品だと思うんですけどね」というコメントを残しているらしい・・・

もっといい作品に高めたかったというプロ魂ゆえの発言と思いたいですが、もし「フランダースの犬」のストーリーや世界観を揶揄する発言ならば少し暗澹とした気分になります。

世間一般では、宮崎駿さんは良質のアニメ制作者として評価も高く、子供たちへの影響力が強いからです。

丁寧に製作されているという意味で、宮崎アニメの質の高さは確かに認める。

全てのアニメを見たわけではないし、良い作品もあると聞く。

しかし例えば「千と千尋の神隠し」の美術は偽悪趣味そのものだし、あんな醜悪な世界を子供に許容させる感性がよくわからない。

私は「ゴミみたいな作品はむしろ『千と千尋の神隠し』のほうじゃないのか」と思ってしまう・・・

「風の谷のナウシカ」は原作本まで読みましたが、結局何がいいたいんだかなんだかよくわからない。
原作本のストーリーのディティールでは「この人は無神論者かな?」と思わせる箇所が何箇所かありました。

宮崎駿さん。子供向けアニメの王道を歩んでいる人ではなく、クセのある作品を作る人だと思います。

「好きな方はどうぞ」という感じですが、良質のアニメだからと手放しで評価し、すべての作品をテーマ的にも優良なアニメのような感じで別格扱いするのはどうなのかな?と思ってしまうのでした・・・

アメリカがハリウッドという文化資産を使ってのビジネスに成功しているのを受け、日本も対抗して漫画やアニメで「クールジャパン」を打ち出そう!としています。

日本人として応援したい事ではあるのですが、実は私は、その中身についてはかなり懐疑的です。

国民的な支持を受けている宮崎アニメも、技術的なところでは関心することはあるのですが好きではありません。

宮崎アニメ、何か不可解な世界観を押し付けられる暑苦しさのようなものを感じます。
登場人物がなんか変にクセがある。
ストーリーも変に凝り過ぎて複雑過ぎ。

かろうじて受け付けられるのは「となりのトトロ」と「風の谷のナウシカ」ぐらい。
ナウシカのころはまだクセのある登場人物は少なかったけど、それでもストーリーはかなり複雑すぎでした。

「千と千尋の神隠し」の美術は醜悪そのもの。グロテスクさが偽悪趣味で不快でした。

しかしなんといっても一番いやなところは、親子の情愛が淡白なところ。親が変にさめてて共感できない。「となりのトトロ」ですらそれを感じます。アニメは子どもへの影響力が強いので、宮崎アニメの「親子の情愛が淡白さ」はかなりひっかかります。

やはり私は宮崎駿という人の世界観には共鳴できないし、その個性が善くも悪くも出過ぎで辟易します。

そんなこんなで、自分の子どもにも見せたいいいアニメはないか探してたんですけど、以前より気になっていた「劇場版 フランダースの犬」を見てみました。

これは良かった!

大人が見ると、表現が子ども向けで、実写に比べ感情移入に時間がかかりますが、舞台であるベルギーの街や自然の描写が美しく、日本のアニメ技術のレベルの高さを感じます。ゴシックの大聖堂の感じも良かった。

要所要所でジーンとなりました。「フランダースの犬」は宗教を感じる話。ルーベンスの「キリスト降架」が効果的に使われ、聖週間を前に、いいアニメを見れて良かった。
やはり原作がいいんですね。

宮崎駿がいまひとつに感じるのは、キリスト教的ではないからなのかなあ? そこまでムキにならんでもと言われそうですが嫌いなものは嫌い。

宮崎アニメが好きな人には、かなり耳障りな事を書いてしまいました。
ごめんなさい。
偏屈なおじさんの戯言としてお聞き流しください。








カトリック信徒のなかには、不遇な境遇にある人を捜し出し、その不幸を社会問題にすり替えて告発する人がいて、いろいろな集会をひらいたりしていますが、私は共感できない。
なんか感じ方がちがうというか感性が違うというか・・・
こういう人たちはフランダースの犬を読んでも「ネロ君の悲劇をくりかえすな!」というような告発スタンスになるのでしょうね。

ところでフランダースの犬の話は、現地のベルギー人よりも日本人の方が好きらしいです。
日本人の琴線にふれる何かがあるのではないか。
日本人の琴線にふれる事。これがキリスト教の土着化。
(太鼓や三味線でミサやって形だけ和風にしても意味なし→まだこだわってる私・・)

ネロが旅立った場所である「教会」というところ。
そこは誰にでも開かれていて、美しさに天の国を感じられる場所であること。
それが私がもとめる教会なのでしょう。

やはりフランダースの犬は名作です。。。
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追記

ハンドルネームカタカナに変更しました。

もう少し肩の力を抜くというか、構えずに素直な自分が出せるようにしていきたいと思います。


フランダースの犬の話は、皆さんご存知ですよね。日本人が大好きな話のひとつです。
もっとも話の最後の部分は悲しすぎて、アメリカで映画が作られたときはハッピーエンドに変えられたそうです。

ネロ少年。最後まで困窮し苦労し続けて、大金を拾っても不義をせず、悲惨とも思える死を迎えます。
以前テレビアニメ化されたときも大好評で視聴率も大変高かったそうです。最終回を前にして「ネロとパトラッシュを死なせないで!」という投書が殺到したそうですがしかし命を引き取る終焉でした。
ただラストシーンでは7人の天使を登場させ、天に昇天する姿で終えました。
神様のもとへ旅立つシーンでなければ救いがなさすぎたからでしょう。
ラストシーンはスポンサーであるカルピス社社長の土倉富士夫氏の意向があったそうです。氏はクリスチャンでした。

ただこの悲惨ともいえる最後の箇所にこそ、この話の真骨頂があります。

引き離すことができない程にパトラッシュを強く抱きしめたままのネロの最後は、まだ温かさの残るパトラッシュのぬくもりにキリストを感じつつ、あこがれのリューベンスの美しい絵に天の国を見て、旅立った・・・(いかん、泣けてきた・・・)
※[キリスト教でない人は「キリスト」のところを「つつみこまれるようなやさしさ」というような言葉に置き換えて読んでもらっても結構です。]

この話はキリスト教を強く感じさせるところがあって不幸の連打は旧約聖書のヨブ記のようだし、ネロの死はキリストの受難を想起させます。

この世の幸せとは別の天国の幸せがある。「そんな宗教的な話ばかりして!」と言われそうですが、この話は宗教がなければ救いがないんです。
※[キリスト教でない人は天国のところを「あの世」というような言葉に置き換えて読んでもらっても結構です。]

(つづく)

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