昨日の投稿のカリスとパテナの話の中で、ミサと茶の湯の類似性について少し述べたのですが、実は、告白しますと茶の湯の方はお手前を習っているわけでもなく、お茶席の体験が2回あるだけなのです。(すみません)
ただその内の1回がとても印象深かったので今日はその話です。

日本美術について造詣の深いH先輩に連れられて、京都嵐山の某寺院の障壁画を見る集まりに参加した時の事なのですが、そのお寺に茶室があって、障壁画見学の後に茶席に参加させていただくことになりました。

「作法を全然知らないのですけどいいんでしょうか?」

先輩「お茶なんて茶碗を見て抹茶を回し飲みするだけだから大丈夫大丈夫。今日は茶碗をお持ちの方がおられるから拝見しないと失礼になるし・・」

ところがお茶席が始まり、いざお茶碗を拝見する段となると・・・

先輩「そんなに高く持ち上げて見たらダメダメ!お茶碗はものすごく高価な場合があるから、仮に落としてもダメージのない高さで。畳から10cmぐらい。肘を太ももに当てて屈むようにして見る!」

「こうですか。」

先輩「そうそう。ただしその時に何か言わないと。」

「なんて言うんですか?」

先輩「例えば『いい景色(けしき)ですなあ〜』とか」

「いい景色ですなあ〜」

先輩「そうそう。お隣の方にお回しするときは、ちゃんと正面がわかるようにして・・・」

「正面があるんですか。同じにみえますけど・・」

先輩「正面がわからないで『いい景色ですなあ』とか言ってたのか君は!」

「・・・・・」

実際のH先輩はこんなイジワルな人ではなく優しい紳士で、お茶席での上の会話は半分創作ですが、茶碗の持ち方、正面の話は本当で、「茶の湯は奥深い!茶の湯恐るべし!」と思った強烈な体験でした。

昨日のカリスの持ち方の話も、この茶の湯体験での茶碗の持ち方の話と少しつながっています。

利休七哲だった高山右近のお手前はどんなだったのでしょうね。

直接習ってみたかったりして・・・・