キリシタンの時代は戦国時代だから戦があるのは当たり前。

当たり前のように殺し合う状況では、侍どうしの果し合いというだけでなく、弱者も犠牲になる時代。

秀吉麾下の、尾張の野武士上がりの荒くれ武将のなかには、戦自慢のなかで、己れの悪行を面白おかしく話すようなことも多かったらしい。

キリシタンとして生きる右近には、そのような話が我慢ならなかったようで、そういう輩とは、やはり反りが合わない。

そのかわりに、茶の湯を通じて、蒲生氏郷、牧村兵部、瀬田掃部らの利休の弟子達どうしで意気投合していく。

この茶の湯を嗜むグループはキリシタンが多く利休七哲と呼ばれる高弟のうち右近を含めた4人がキリシタン。黒田如水、小西隆佐、行長父子、日比谷了珪も茶の湯をたしなんでいる。

キリシタン伝来の時期と茶の湯の黎明期が符合することも合わせ、茶の湯とキリスト教との間に何があったのか?

人間として、生き方を見つめ、人と人との関係を尊ぶ。より気高いものを
求める気持ちが、茶の湯とキリスト教を交錯させたのか?

フーベルト・チースリスク師も「キリシタンのこころ」という本で「キリシタンと茶道について」書かれています。
西村貞という方も「キリシタンと茶道」という本を書かれているようです。

機会があれば読んでみたいと思います。