コロナの終息はいっこうに見えない。
それどころか感染の第二波になっている感じがする。

感染の再拡大は、政府のちぐはぐな対応による舵取りのマズさにも理由がありそうな気もして
国の危機管理能力には、不安感と不信感が個人的には高まってきている。

感染再拡大による社会的な影響は避けられず、教会の方でもせっかく限定的に再開した小教区のミサも、おそらくまた中止になるのだろう。


家で祈るということに焦点をあてて、細々とブログをつないでいるが
前回、「聖人たちの祈り」という本を引用して、「率直に祈る」 ということをテーマにした。

ただカトリック教会というのは、どちらかといえば、ロザリオなどに代表されるように「型どおりに祈る」ことを良しとしている感じはする。

今のミサの中では共同祈願のところが「自分の言葉で祈る」部分になるけれども、トリエント・ミサにはそういう箇所が無い。

「型どおりに祈る」ミサで、現代まで(第二バチカン公会議まで?)2000年近く、教会が続いてきたということは、ちょっと興味深い感じはする。

正直なところ「型どおりに祈る」というのは、なかなか難しい。
気持ちが逸れてしまうことが少なくないからだ。

御受難修道会の来住神父の「詩編で祈る」という本があって「詩編の言葉に乗せて、自分の思いを神に注ぎ出す」ということが書かれていたのが印象に残っている。

祈りというものが「自問自答」の世界から「神に語りかけ、神に聴く」ものにしたいと思うならば、この「(既存の祈りの)言葉に乗せて、自分の思いを神に注ぎ出す」というのが大事というような内容だった。

「型どおり」というのも奥が深い。