新しく祈祷書を買った。

個人的には公教会祈祷文に依存はしているのだが、現在の教会に所属していれば、やはり不便ではあって、共唱でも使える個人所有の祈祷書が欲しかった。

買ったのは「カトリック祈祷書 祈りの友」というカルメル会で使用している祈祷書で、カルメロ神父が編集されている。

この祈祷書が良いと思ったのは、口語の祈りだけでなく古い文語の祈りを「伝統的な祈り」として併記しているところだ。

巻頭言のところで、奥村一郎神父が次の言葉を寄せている。

以下引用
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(前略)
第二バチカン公会議後、あらゆる方面で教会も大きく変化しました。
それも新しいものが生み出されるというより、古いもののとりこわしが始まりました。
どんなことでも「とりこわし」は乱暴なもので、早いものです。
教会の中における「祈りの生活」もその例外ではありませんでした。
ミサの形式から祈祷書、その他ロザリオの祈りとか十字架の道行、聖体信心、免償など、かつては熱心に実行されていたものが、急速に忘れられ、すたれていきました。
現代の教会の危機のひとつとして「祈りの喪失」が挙げられるのもそのためです。
しかし「祈りの心」というのは、正しく解すれば「人間の心」と同意語であるはずです。
祈らないというのは死んだのと同然です。
(中略)
今の日本の教会では、なお文語を好まれるかたもあり、他方若い世代には口語体でなければ祈りになじめない人もいます。
したがってこの本では、文語体と口語体、古いものと新しいものを合わせながら、各自が好みに従って選べるようにしてあります。
どんな形、どんなことばにせよ、要は「祈る」こと自体が大切なのですから、祈りやすいようにという配慮からそのように編集されているわけです。
70年代は教会にとってもなお過渡期な時代でしたが、一応その間の成果を総括的にまとめ、80年代からの新しい聖霊の息吹きをまつ心の場をととのえてくれるために、この祈りの小冊子が役立ってくれますならば幸いに思います。

1980年2月 洛南にて                           奥村一郎
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教会の変化に対する奥村師の心情が垣間見えて興味深い。

奥村師が言われているとおりで、心配りがとてもきめ細かい祈祷書で、文語体と口語体併記というだけではなく、検索もとてもしやすい編集になっている。

初版は1980年だが、最新の第13版は、2011年改定の「聖母マリアへの祈り(アヴェマリアめぐみに満ちた方)」も載っている。

お祈りがし易いというだけではなく感心するのは、様々な聖人の祈りなど多彩なお祈りが載っているところで、ミッシェル・クオストという人の「神に聴くすべをしっているなら」という本から「主よ、時間はあります」という祈り?が紹介されていて、この文章が良かった。

「主よ、もしや、あなたの時間設定がまちがっていたのでは、どこか大きな狂いがあったのではありませんか?1時間が短すぎ、1日が短すぎ、一生が短すぎるのではありませんか」というようなドキッとすることを書きながら、最後に「あなたがわたしに下さった時間の中で、あなたがわたしにせよ、とおっしゃったことを、心静かに行うことのできる恵みをただそれだけを、あなたからいただきたいのです。」と結んでいる。 

こういう祈り?というか文章を挿入することも驚きだったが、その次にある祈りが、幼いイエスの聖テレジア「私のいのちはひととき」という言葉で始まる「今日の歌」という祈りになっていて、このような編集のセンスの良さもあって、ついついページをめくる祈祷書となっている。

このカルメル会の「祈りの友」は、サッと目を通しただけでも、直感的に良い感じがした。

もう14万5千部になっているらしい。

拙ブログをお読みいただいている皆様にも、是非オススメしたいが、もしかしたら既に持っておられる方も多いかも・・・