2045年問題、あるいはシンギュラリティという言葉が話題になっている。
人工知能(AI)が人間の知能を超えるというのが2045年らしい。
確かに、チェスや将棋の勝負では、名人でもコンピュータに負け始めているというニュースを耳にしたような気がするし、自動車の自動運転技術についての話題も増えた。

自動運転については、今年の秋にも高速道路でトラックによる社会実験があるらしい。
宅急便のヤマト運輸がAmazonの配送量の増加で業務オーバーになっているという直近の問題をふまえれば、自動化に適する高速道路での長距離輸送は自動運転に任せて、宅配の方に人員をシフトしていくというような事は思っている以上に早く進むような気もする。

医療の世界も劇的に変わると言われている。
外科手術のような職人的な技が活きる部分はともかくとして、診察などではビッグデータにつながることで大幅に診療の精度が高まることが期待されている。

AIに判断してもらった方が正確で正しい、あるいは効率も良く生産性も高いとなれば、いままで人間が担ってきた多くの仕事がAIへ移行していくことは避けることはできないような気もして、社会が根底から変わる予感がする。

裁判官のような法曹関係の仕事も、判例がビッグデータ化されることで、AI化が可能という説もある。

いくらビッグデータ化されても、それは無理だろうと思ったら、IBMのワトソンというAIは、ディープラーニングという手法で、インプットされた情報を自ら解析して判断を下すということを繰り返しながら、その経験の蓄積によって「学ぶ」らしい。

AIが、自ら学んで人間の知能を超えたとされたとき、はたしてAIのワトソンは、意思を持っているのか?意識があるのか?愛がわかるのか?心を持つのか?というところは気になるところだ。

「愛とはなんですか?あなたは愛を持ってますか?」とワトソンに問いかけたとき、なんと答えるのだろう。

やはり「わかりません。私にはありません」と答えるのか。

それとも、予想もしない答えをするのか?


スピルバーグの「A.I」という映画や「アンドリューndr114」「アイ,ロボット」といった、
心を持つ
AI(人型ロボット)を描いたSF映画は既にある。
どれも面白そうな映画だが、人間自身が「心はどこにあるのか?」という心脳問題に決着がつけられない(おそらく永遠に決着しない)なかで、先走って「AIも心を持つ」と結論づけているような気もする。

神の被造物である人間ですら 「塵にすぎないお前は塵に返る(創世記3章)という儚い存在であって、 その人間が創ったAIなのだから、いくら桁違いの知能を持つ存在となっても、やっぱり「心」は持てないじゃないかと、私はなんとなく思ってしまうが、果たしてAIのワトソン君はなんと答えるのだろうか?