印象に残ったマルティン・ブーバーの「二つの世界説」に対する興味が、少しズレて飛び火してしまったのかもしれない。
複数の世界が交錯する「インセプション」というハリウッド映画を観たくなった。

封切りの時は、私は気づかなかったが、公開から既に5〜6年経過している映画らしい。
ただ古過ぎるというほどでもないので、レンタルDVD店でも棚にある。

このところ気持ちが疲弊しているのもあって、手軽な気分転換に映画はちょうど良かった。

ひとことで、どういう映画だったかというと「夢」の話である。

将来に対する願望とか願いという意味の「夢」ではない。
睡眠のときの「夢」の話で、特殊な装置(心電図の計測機のような感じ)をつければ、複数の人間で同じ「夢」を共有できるという、現実ではない 空想の話、SFである。

そもそも「他人の夢の中に入り込む」「同じ夢を共有する」ということが「それはあり得ないだろう」というツッコミどころなのだけれども、まあSFなんだからと、その前提を許容してしまえば、演出の巧さもあるので話の展開にグイグイと引き込まれる。

(ネタバレ注意  以下の文は、ストーリーの内容について触れています。)

しかし、なにせ夢の話なので、映像としての「夢」の描写は奇想天外で面白い。
パリの「街」がねじ曲がってひっくり返る(3DCGで本当にひっくり返っているように見える)場面があり、こういうところはハリウッドらしい特撮の見せ所になっている。
話の設定が特撮映画向きの話なのである。

あらすじは、 夢の世界を設計したり夢の世界の中で自在に変身できる、複数の夢のスペシャリストがチームを組んで、ターゲットとされる人物の夢に侵入し、潜在意識に一つの思い込みを「植え付ける」、いわば「夢」でマインドコントロールをするという話。

夢の中での事象は、感情がメタファーとして形象化されるというのも面白い。
「金庫の扉」は、誰にも見られたくない自己意識の深層の扉であり「銃を持ったボディガード」もまた、侵入者から自己意識を守るための防衛隊である。

最終的に「夢」に侵入するチームは、雪山にそびえる鉄壁の要塞の防衛隊と激しい銃撃戦になるが、「人の夢の世界に侵入するような不埒な輩だから、激しい抵抗に合うよなぁ」とついつい思ってしまった。

もう一つ面白かったのは、夢の中でまた眠り「夢の夢」をみる、つまり「夢」の第二層が存在するというところだ。
映画では、夢の中で眠りについて、さらにまた次の階層へと進んでいく。

階層が進めば進むほど、描写が過剰になり、時間の経過が長くなる。
現実世界の10時間が、夢の階層に移ると 1週間の永さになるというような具合だ。

この映画は、ターゲットの夢の中での戦いというアクションの場面とともに、侵入チームのリーダー、コブ(レオナルド・ディカプリオが名演)のシリアスなサブプロットが展開し絡んでくるのだが、こちらの話は少し重い。

コブは、夢の世界の設計において過去に大きな過ちをおかしている。
夢の世界では、記憶を元に情景を作ってしまうと現実世界との区別がつかなくなるのにもかかわらず、かつて妻のモルと二人で、非現実の別世界を作ってしまい、その世界で50年も過ごしてしまう(50年の経過というのは、夢の階層が深いほど時間の経過が長いため)のである。

意のままに世界を動かすことは、究極の欲望なのだと思うが、モルは、
夢と現実の違いがわからなくなってしまってついに逆転し「夢」の世界に引き篭ろうとしてしまう。
コブは、この「夢」によって現実世界のモルを失ってしまうのである。

この、コブとモルが「夢」で、暮らした街は、誰も住まなくなった人の気配が全くしない、大都会の廃墟として描かれる。
とても人が住みたくなるような街ではないから、現実世界のモルが命を断ったことで変化を受けた情景かもしれないが、不完全である人間が欲望のもとに創造する世界というのは根本的にどこかに欠陥があり、不完全で、破滅感に満ちているということを、制作者は映像で可視化したかったんじゃないかとも思った。

そもそも「夢を設計し意のままに動かす」という発想が、根本的にに誤っているような感じはする。
制作者は、この欲望のもとに作られた夢世界を破滅させるしか、ストーリーの展開が描けなくなったのかもしれない。

この映画は難しいので、ネット上でいろいろな解説があるのだが、この大都会の廃墟の世界は「limbo」という名になっているらしい。

少しゾッとした・・・

廃墟になってもチラチラ現れるモルの姿は、コブの想念が夢で描いているモルの姿だと思っていたが、逆にモルがいる「limbo(死後の世界である辺獄のこと)」に、コブが迷い込んでいたのかもしれないとも思えたからだ。

「閉ざされた破滅感のただよう世界」のイメージを、見事に表現した映像だった。

印象的には、もしかしたら、このサブプロットが、メインプロットだったのかもしれない。

コブとモルの話は、「失楽園」のアダムとイブの話を想像させる。
「夢の中で夢を見る」という重層的な世界は、現代版のダンテの「神曲」の世界を見ているようでもあった。

「limbo=辺獄」と「煉獄」の違いが何だったかも気になり出し、見終わったあとにも余韻が残り、「神曲」を読み返しながら何度も見たくなる映画のような感じがした。

コブの願いは現実世界?に於いて成就し、救いのあるラストになったことが、見終わったあとでも後味の悪さがなく、この映画のいいところになっている。

音楽は、エディット・ピアフの古い
(少し調子外れの)シャンソンが夢から覚めるための合図として効果的に使われ、印象を深めている。

この変なメロディが頭から離れない。


ところで、聖書で書かれている夢の話といえば、ヤコブの「天国の階段の夢」が有名で、この夢では、天国と繋がっている階段を、神の御使いが登ったり降りたりしている。

夢は、自分ではわからない不思議な情景がある方が、夢らしい。

話のディティールが気になって、「天国の階段」でネット検索したら、韓流ドラマの「天国の階段」に関する項目がドバッと出てきてしまった。
「確かキム・テヒさんが悪役で存在感を出したドラマだったけ・・・」と以前書いたブログのことも思い出して、まだ見てなかったこの韓ドラも見たくなってきた・・・

好奇心が疼き、転がりだすと忙しい・・・