グーテンベルクの発明した活版印刷によって42行聖書が作られてから、およそ一世紀半後には、日本にも活版印刷機がもたらされている。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノ巡察師のインド副王使節としての再来日(1590年)の時だ。

島原の加津佐のコレジオに持ち込まれるが、その後コレジオの移動に伴って天草、長崎と転々と移される。
その間に、ローマ字だけではなく、日本語の漢字やひらがなカタカナの印字による印刷も行われている。

キリシタン版と呼ばれている。

グーテンベルクも、自らが発明した活版印刷がヨーロッパから見れば世界の果てのような)日本で、150〜160年ぐらい後に行われるとは 思わなかっただろう。  

有名な「どちりなきりしたん」も、この活版印刷機によって印刷された。
「どちりなきりしたん」は、今の時代で言うところの、公教要理、カテキズムということになるのだと思うが、ちょうど日本では関ヶ原の合戦があったような時代に、活版印刷機をカチャカチャさせながら公教要理を印刷している情景があったということになる。

活版印刷は、文字の組み直しが出来るメリットがあるが、漢字の文字数が多くあり「ひらがな」が混ざる日本語の特性には合わなかったと言われる。

しかし「どちりなきりしたん」の画像をチラリと見るかぎりでは、いくぶん「かな」のほうが多い文章のように見えるものの綺麗に文字が整い繋がっていてぎこちない感じはしない。

しかしながら残念な事に、この活版印刷機は長崎からマカオに移されてしまい、活版印刷の技術そのものが日本から消えてしまった。

その後、再び
活版印刷が行われるのは、明治維新以降になる。

マカオに移された原因は、徳川幕府の慶長の禁教令によって、長崎の教会施設が全て破壊されたためだ。

日本におけるキリスト教信仰と全く同じ運命を辿った、活版印刷という印刷技法に、なにか不思議な親近感、愛着を感じてしまった。

キリシタン版については、信州大学で熱心な研究をしている方がいる。
講演の機会があるようならば、一度是非、講演を聞いてみたい。


ところで、このキリシタン版の活版印刷については、コンスタンチノ・ドラード(日本人名称不詳)という人物が、大きく関わっている。

コンスタンチノは、孤児であったが、なんとポルトガル語に長けていた。

イエズス会の同宿となり、天正遣欧少年使節の従者としてヨーロッパに行くことになる。

彼に与えられた遣欧におけるミッションは、従者としての勤めだけではなかった。
もう一つの使命は、活版印刷の技術習得だった・・・