「トーマス・グラバーの功績を日本人は正しく評価してこなかったと思うんです。」
また五島から長崎に向かうフェリーの話に戻ってしまうのだが、デッキで海を見ていたときに、話しかけてきてくれた人がいて、その方の言である。

長崎出身だが、今は横浜に住まれているらしく長崎弁ではない。

長崎港内の産業革命遺産を、船のデッキの上から指し示しながらいろいろと教えてくださった。

大変親切で優しい方である。

「グラバーには武器商人のイメージがありますが、そういう単純な人物像だけではなく、近代造船、採炭などの基盤づくりで日本に大変な貢献をしてくれた人なんですよね。グラバーと岩崎弥太郎の出会いが無ければ今の三菱はなく、日本の産業革命が成り立ったかどうかさえわからないです。」

なにか印象に残る話である。

「ほらっ、あそこにチラッと見えるでしょ。あれも世界遺産になります。小菅修船場と言って、蒸気機関を使った日本で最初の近代洋式ドックです。 」

と身を乗り出して指差してくれた先には、古ぼけた桟橋?のような所があって、私にとっては、内心で(これが世界遺産かねえ・・・)と一瞬思ってしまったのだが、そう思いながらも説明を聞いているうちに、次第に興味が湧いてきた。

視点を広げてくださった方に感謝しつつ、幕末から明治にむけての大激動の時代に出会ったかもしれない、長崎の二人の外国人について考えた。

グラバーとプチジャン神父についてである。


大浦天主堂とグラバー邸は、目と鼻の先の距離にある。

時間軸の整合をみなければならないが、距離的にはグラバーとプチジャン神父に接点があったとしても不思議ではない。

スコットランド人とフランス人。どちらかといえば対抗する国家関係のような気もするが、居留外国人もそれ程多くはなかったであろうし、実業家と司祭という立場の違いもある。

グラバーは聖公会だが、やはり300年に近い沈黙を破って日本人のキリスト教徒が現れたことは驚きだっただろう。

その後、流罪となる浦上信徒達の苦難についてどう思っただろうか・・・




私にとって長崎は、カトリック視点で見た「長崎」の存在感が最も大きいけれども、幕末、明治維新の舞台でもある。

くしくも「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」と共に「明治日本の産業革命遺産」も世界遺産に申請されるが、二つの世界遺産の背景となった場所として、長崎にはいろんな顔がある。

知れば知るほど、次々に興味が湧いてくるところだと思った。



旅行から一ヶ月経過しているので長崎の話は、そろそろ話題としては少し引っ張りすぎだが、長崎市内の教会についてまだ何も書いていない。

大浦天主堂、浦上天主堂、中町教会、日本二十六聖人記念館を訪ねたので、次はその話を書き留めておきたい。