いざいざ喜べ。我が救い主は、死の苦しみに勝ち、御墓を開きて甦りたり。
この世に降りて、罪人のため、犠牲(いけにえ)となりて、苦しみ給いき。



この文を読んでメロディーが思い浮かぶ方は、オールドカトリック。

カトリック聖歌203番「いざよろこべ」の歌詞である。

私の子供の頃、復活祭主日ミサの閉祭の時に必ず唄う聖歌だった。

「だった」と過去形なのは、今の私の所属小教区教会のように、カトリック聖歌を完全に廃してしまって典礼聖歌しか歌わない教会があるからである。

今日、復活節第2主日(神のいつくしみの主日)に、たまたま偶然に所属小教区ではない別の教会のミサに与ったのだが、この「いざよろこべ」を、もう本当に何年かぶり、もう思い出せないぐらいに久しぶりに唄った。

驚いたことに、歌詞をまだ覚えていた・・・

もう涙目・・・


第二バチカン公会議後50年の歴史なかで、日本のカトリック教会では「典礼聖歌」が登場し、フォーク調の聖歌による「子供のためのミサ」も生まれるなどで、典礼が「刷新」されてきた。

「古い聖歌に拘り、新しい聖歌の良さを受け止めようとしないのは良くない」とか「ミサそのものは変わらないのだから小さな違いにこだわるのはおかしい」ということを、私は言われ続けてきた。

しかし、体にしみついたカトリック聖歌が、教会から失われていく寂しさは耐え難く、その気持ちは残り続けていたのである。

私にはやはりカトリック聖歌が必要ということがあらためてわかった。

主の御復活に合わせるかのように、今日、カトリック聖歌203番「いざよろこべ」の復活の御恵みをいただいた。

それぞれの小教区にはそれぞれの歴史があり、それに伴う「文化」にも違いがある。
新しい聖歌を受け入れながらも、古いカトリック聖歌を大切に守る小教区もある。

私は、主日に与るミサで、今の所属の小教区にこだわるのはもう止めにした。

心が満たされるミサを求めて、これからは小教区を越えて行く。