なにげなく電車の車内ポスターを見ていたら、そのポスターのなかに「十字架の道行き」という文字があって、少し意外な印象を受けた。

電車という超日常的な空間の中に、教会用語が紛れ込んでくるのは珍しい。

「十字架の道行き」というのは、14枚の絵で表現された「キリスト受難の道行き」を、順番に一枚づつ見ながら祈りを唱えていく信心業である。

カトリック教会の聖堂では、この「十字架の道行き」の絵が、だいたい聖堂の横のほうに順番に掛けてある。

上記の車内ポスターの「十字架の道行き」の文字は、今、滋賀のMIHO MUSEUMで「バーネット・ニューマン 十字架の道行き」展というアートの展示会が行われているようでその案内だった。

http://www.art-annual.jp/news-exhibition/news/43091/
http://www.miho.or.jp/japanese/index.htm 

ホームページでもこの「十字架の道行き」展の作品がチラッと観れるが、超先端的なモダンアートのようで、残念ながら私にはどういう風に見たらいいのかさっぱりわからなかった。

例えば、第五留の絵(キレネ人シモンがイエズスの十字架を強いて背負わされる場面)を観ても「キレネのシモンをどのような表現で表してるのか」というようなメッセージの読み解き方が全くわからないのである。

「この絵は線が滲んでないなあ・・・」ということしかわからない・・・


しかしこの「十字架の道行き」展のおかげで、またキレネのシモンに関心が向いた。

例によって、また google の検索で教えてもらう。

キレネというのはアフリカのどこかの地名だということは漠然とは知っていた。

「田舎からでてきた」(ルカ23章)という書き方をされてるから、キレネ地方とか地域だと思っていたが、どうやら違っていて古代都市のようだ。
現在リビア領内にあって世界遺産に登録されている古代ギリシャのキュレネ遺跡がキレネらしい。

キレネが地中海沿岸の都市だったのなら「本当にシモンは黒人だったのかな?」と一瞬思ったが、聖書には「ニゲル(ニゲルは黒を指すラテン語)のシメオン」(使徒行録13章 新共同訳)という記述もあるようだから、やはり黒人なのだろう。

google 検索で見つけた日本キリスト教団牧師の国府田先生の説教が詳しい。
http://www2.plala.or.jp/Arakawa/christ_srm135.htm

「たまたま偶然に、十字架を負うキリストの場面に遭遇した一人の見物人にすぎなかかったシモンは、傍観者から無理やり当事者となったことで『この人は何者で、なぜ十字架にかけられなければならないのか?』と 『自分の問題』として考えなければならなくなった。」


というところが印象に残る。

四旬節という時期にあって、良い説教と出合えた。

こういう説教を直接聞ける、日本キリスト教団荒川教会の人が少し羨ましい。

キレネのシモンが、後に初代教会の一員となるまでの道のりは、どのようなものであったのか?

その道のりのことをいろいろ想像してしまう。