晴佐久神父の福音の村ブログに、無人島キャンプの話が載っていたのだか、読んでいてとても羨ましくなった。
http://www.fukuinnomura.com/
ちょっとしたレジャーや旅行でも、自然と触れ合った気にはなるのだが、無人島のような「そのままの自然」ともなると、感動の深さもかなり違ってくるだろう。
無人島ともなると、べた凪のときはパチャパチャ浜辺で遊ぶ音ぐらいしか聞こえないらしい。
という具合で、私のように「静寂」に「癒し」を求める人は多いのではないか?
そういうことでは、ちょうど今、全国各地のミニシアターで「大いなる沈黙へ」 という映画が公開されている。
フランスの観想修道院の日常を取材したドキュメンタリー映画だが、こういう映画にしては異例の大ヒットとなっているらしい。
ナレーションが無い。BGMもない。
約3時間、淡々と修道院の日常と周りの情景が描写されるだけの映画である。
しかし、私も含め「静寂」に「癒し」を求めて観に来た人が多かったと思うのだが、期待どうりとはいかなかったのではないか?
「大いなる沈黙へ」は、かなりクオリアを刺激する映画であり、(おそらくカトリック信者は)「『畏れ』を感じる映画」(ではないか?)とだけお伝えしたいと思う。
http://www.fukuinnomura.com/
ちょっとしたレジャーや旅行でも、自然と触れ合った気にはなるのだが、無人島のような「そのままの自然」ともなると、感動の深さもかなり違ってくるだろう。
自分の経験でも、やはり設備や道具が整ったオートキャンプより、若いときに体験した、自然に溶け込むような「野営」のほうが楽しかった。
無人島ともなると、べた凪のときはパチャパチャ浜辺で遊ぶ音ぐらいしか聞こえないらしい。
そういう静かな時間がかなり羨ましい・・・
そういうことでは、ちょうど今、全国各地のミニシアターで「大いなる沈黙へ」 という映画が公開されている。
フランスの観想修道院の日常を取材したドキュメンタリー映画だが、こういう映画にしては異例の大ヒットとなっているらしい。
ナレーションが無い。BGMもない。
約3時間、淡々と修道院の日常と周りの情景が描写されるだけの映画である。
しかし、私も含め「静寂」に「癒し」を求めて観に来た人が多かったと思うのだが、期待どうりとはいかなかったのではないか?
場面がかなり頻繁に切り替わるため、見ている観客は、画面の状況がよく理解できず自分の視点も定まらない。
会話のない沈黙というのは、癒されるような静寂ではなく、非常に緊張感のある静寂で、その状態がひたすら続く。
もっとも、BGMが無いと日常の生活音がかなり強調されるので、これは、はたしてこれが「静寂」なのかどうか・・・
修道院の日常も、かなり細かく時間が区切られているようで、(のどかなシーンがないわけではないが)けっこう忙しそうな感じもあった。
そして、日常音が消え闇となると、一気に緊張感が強まる。
聖務日課は聖堂で行われるようだが、映画では真夜中の聖務日課の場面が強調されていた。
「鐘の音」「グレゴリアン」「ろうそくの火」が、見終わっても頭から離れない。
私が見て来た映画館では、シニア層を中心にご婦人が多かったのだが、スクリーンが閉じた後に「ああくたびれた・・・」という素直な感想が耳に入ってきた。
この3時間は確かに疲れた・・・
ただし強烈な印象が残る映画である。
「絵」としての美しさというのは確かにあって、映像美の印象の強さというものがかなりあるのだが、それだけではなく、自分自身が「可視世界と心の世界」を行き来しているような怖さがある・・・
もしかしてこれは「畏れ」?
感想をもう少し的確にまとめたいが、書き続ければかなり長くなるし、印象に残っている部分も整理できず混乱しているので、中途半端だが感想はこのくらいにしたほうがいいかもしれない。
この映画の観想修道院の生活は現実世界における事実なので、私などが感想を述べてもチャラいし、この世界を表現しきれない。
会話のない沈黙というのは、癒されるような静寂ではなく、非常に緊張感のある静寂で、その状態がひたすら続く。
もっとも、BGMが無いと日常の生活音がかなり強調されるので、これは、はたしてこれが「静寂」なのかどうか・・・
修道院の日常も、かなり細かく時間が区切られているようで、(のどかなシーンがないわけではないが)けっこう忙しそうな感じもあった。
そして、日常音が消え闇となると、一気に緊張感が強まる。
聖務日課は聖堂で行われるようだが、映画では真夜中の聖務日課の場面が強調されていた。
「鐘の音」「グレゴリアン」「ろうそくの火」が、見終わっても頭から離れない。
私が見て来た映画館では、シニア層を中心にご婦人が多かったのだが、スクリーンが閉じた後に「ああくたびれた・・・」という素直な感想が耳に入ってきた。
この3時間は確かに疲れた・・・
ただし強烈な印象が残る映画である。
「絵」としての美しさというのは確かにあって、映像美の印象の強さというものがかなりあるのだが、それだけではなく、自分自身が「可視世界と心の世界」を行き来しているような怖さがある・・・
もしかしてこれは「畏れ」?
感想をもう少し的確にまとめたいが、書き続ければかなり長くなるし、印象に残っている部分も整理できず混乱しているので、中途半端だが感想はこのくらいにしたほうがいいかもしれない。
この映画の観想修道院の生活は現実世界における事実なので、私などが感想を述べてもチャラいし、この世界を表現しきれない。
「大いなる沈黙へ」は、かなりクオリアを刺激する映画であり、(おそらくカトリック信者は)「『畏れ』を感じる映画」(ではないか?)とだけお伝えしたいと思う。
最後に、カトリックのブログとしてもうひとつの「沈黙」についても話題にしたい。
遠藤周作原作の、映画「沈黙」がハリウッドで制作されていて、来年にも公開されるらしい。
おそらくこの「沈黙」も、かなり重厚な映画となるのではないか?
遠藤周作原作の、映画「沈黙」がハリウッドで制作されていて、来年にも公開されるらしい。
おそらくこの「沈黙」も、かなり重厚な映画となるのではないか?