抱えこんでいる悩み事で気が晴れない日々が続いている。

夏休みに、少し気分を変えるために、教えてもらっていた韓流ドラマを観てみた。

「野王〜愛と欲望の果て〜」というドラマを3〜4話程度。

これがなかなか面白い。

登場人物の人間関係が複雑なうえ、ストーリーも込み入っているのだが、急展開する話の妙が、ドラマに惹きつけられるポイントになっている。

二人の男女の愛憎劇。

「愛と献身に対する裏切り。裏切りの結果が悲劇へ。そして復讐へと向う」
詳しくは下記URLのあらすじをご覧あれ  
http://www.tv-tokyo.co.jp/yao/story/episode17.html

という感じ。


あらすじを文字だけ読めば、なんともドロドロした話だと思われるかもしれない。

しかし実際にドラマを見ると何故か惹き込まれる。

愛と憎しみは表裏一体。

復讐が消えて愛をとりもどすことを、どこかで視聴者は期待させられているからではなかろうか。

韓国人の気質として、やはり喜怒哀楽の情動の強さがあると思うのだが、騙し騙されという展開が続くからか二人の主人公は無表情であることが多い。

しかしその無表情さは、激しい内面のエネルギーを隠し封じ込めようとする仮面だ。

韓流ドラマも、喜怒哀楽の表現の仕方が単純ではない複雑な表現になってきているのだろう。



ところで韓国といえば、先般、フランシスコ教皇が韓国を訪問された。

元従軍慰安婦の老婆と面会されたことが話題となっている。

従軍慰安婦問題については、問題の発端となった朝日新聞の記事捏造が明らかになったが、強制連行ではなかったとしても、望まない苦役を強いられた女性たちの苦しみと悲しみを受け止めることは大切なことだ。

しかし、背負い続けた悲しみは70年にも及んで、怒りとなって彷徨い続け、日本国の全てに、現在の私たちにも向けられている。

私たちは、その怒りの矛先にあって立ち尽くすしかない。


フランシスコ教皇はミサ説教で次のように話された。

「イエスの命令に忠実であるとき、わたしたちは天の父が、『わたしたちも人をゆるすように』、わたしたちの罪を日々ゆるしてくれるように願います。もしわたしたちがこれをできないなら、どうして誠実に平和と和解のために祈ることができるでしょう。 」

「イエスは、ゆるしが和解へと通じる扉であることを信じなさいと言います。素直に兄弟姉妹をゆるしなさいと言うとき、まったく根本的な何かを、イエスはわたしたちに命じています。」


「赦し」と「和解」の必要性・・・

私たち日本人の立場では、韓国の人々に説くことができない言葉だが、代わりにフランシスコ教皇が説いてくださった。

「怒り」の鎖を解かなければ、苦しみからは逃れることはできない。

苦しみから救いだすための教皇の言葉を、日本に怒りを向ける韓国の人々が、受け止めることができるように願っている。