マズローの欲求五段階説という説がある。

人間の欲求というものは段階を経て、変化していくらしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96

1番目は、「生理的欲求(Physiological needs)」
2番目は、「安全の欲求(Safety needs)」
3番目は、「所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)」
4番目は、「承認(尊重)の欲求(Esteem)」
5番目は、「自己実現の欲求(Self-actualization)」

ということのようです。

1番目から4番目までは、欠乏欲求の段階。「満たされたい」という思い。
5番目は、存在欲求の段階。「かくありたい」という思い。

さらに、5番目を超えた欲求として、6番目に「自己超越欲求」があるということもマズロー氏は述べてます。
次の10項目が自己超越の段階の特徴。

1.「在ること」(Being)の世界について、よく知っている
2.「在ること」(Being)のレベルにおいて生きている
3. 統合された意識を持つ
4. 落ち着いていて、瞑想的な認知をする
5. 深い洞察を得た経験が、今までにある
6. 他者の不幸に罪悪感を抱く
7. 創造的である
8. 謙虚である
9. 聡明である
10. 多視点的な思考ができる
11. 外見は普通である(very normal on the outside)

「自己超越欲求」は、ちょっとわかりにくいですが、「11.外見は普通である」のところは唐突で「何でやねん!」という関西人的なツッコミを入れたくなったりして・・・

このマズローの欲求五段階説は、ビジネスの現場でも時にマーケティングで引用されたりするようですし、そこそこ有名な学説だと思います。


しかし「本当にこの五段階かな?」と思ったりしませんか?

ちょっとキレイに整理されすぎているというか、こんなに単純化できないような感じも・・・

例えば、1番目の「生理的欲求」にしたって、食欲を満たす時に、その過程で「味覚」を感じてしまうでしょう。

またまたクオリアの話みたいになりますが「美味しい!」と感じたときに、そこで生じる達成感は空腹を満たした満足感だけではないし、またまた食欲という快楽を満たした喜びということだけでもなかったりするわけです。

以前、拙ブログで、「故郷の味は体が覚えている」(2012年09月29日) という記事を書きましたが、「美味しい」と感じたその瞬間に「望郷の念」が呼び起こされて、言葉にできない感情がブワァ〜と拡がったりということもあったり・・・

私にはこういうことが「『生理的欲求』が満たされた瞬間に、記憶が呼び起こされ即座に『所属と愛の欲求』に移行した」というふうには考えられなかったりします。

難しいですよね・・・


しかしケチをつけるのはやめときましょう。
「欲求」というものを分析して体系化しようとしたことは大変興味深いです。

人間には、より高度な欲求に移行する向上心というものがあるのも事実だし、欲求の深さ強さというものも、人生の深みのような気がします。

人生訓として興味を感じるところもある。

そんな感じです。


カトリックについてのブログなので、最後にこの話に関連する聖書の引用で絞めましょう。

「上にあるものを求めよ」(コロサイ人への手紙 3章)

というあたりでしょうか。