子供の時に「昔のミサは司祭が立つ時の向きが逆で、ラテン語だった」という話を、幾度となく聞かされていた。

それがトリエント・ミサ。

日本のカトリック信徒にとっては、やはり「昔のミサ」「第2バチカン公会議以前に行われていたミサ」という感じ。

お年寄りを除いて、現代の日本のほとんどのカトリック信徒にとっては過去の未経験のミサで、好奇心は感じていたが、消滅してしまったものとして、それ以上あえて詳しく知ろうと思わなかった。

トリエント・ミサという名称も知らなかった。

そんな私が、トリエント・ミサを知ったのは、5〜6年ぐらい前のインターネットの動画で、「昔のミサ」と思っていたミサは、なんと現在でも行われていた・・・

受け入れがたい変なアレンジミサ(バンドミサ)に遭遇して、教会のミサから気持ちが離れてしまい行かなくなっていた頃だったので、強烈な衝撃だった。

この話はこのブログでも「バンドミサで離れトリエントミサで立ち帰る」というタイトルで以前も書いていて、聖書のたとえ話の「放蕩息子」だった私が、再びカトリックに導かれたのはこのトリエント・ミサの動画のおかげでもある。


ただしトリエント・ミサの動画と共に制作者の聖ピオ十世会をも知ったが、この聖ピオ十世会は「通常のミサ」(第2バチカン公会議後のミサ)を拒んでいる。
そのため、聖ピオ十世会はバチカンの未認可修道会であり、現状ではこの聖ピオ十世会がミサを行う事も、この団体のミサにカトリック信者が出席することも、認められていないという状況にある。
このブログを読んだカトリック信者の方は、この点はご注意いただきたい。

しかし聖ピオ十世会は認められていなくともトリエント・ミサそのものは、バチカンから現在においても有効な典礼として「廃止することは絶対にできない(前教皇ベネディクト16世)」とされていることも知った。

トリエント・ミサについては、前々教皇の福者ヨハネパウロ2世 前教皇ベネディクト16世によって、1980年代半ばから、4回にわたって自発教令などがだされている。

自発教令「スンモール・ポンティフィクム」
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message243.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message242.htm

訓令「ウニベルセ・エクレジエ」(暫定参考版)
http://uvj.jp/wp-content/uploads/Universae-Ecclesiae-JA.pdf

が特に詳しい。

この二つの文章を読むと、(難しい文章で私なりの大ざっぱな理解だが)
この伝統的ミサの在り方が、詳細かつ具体的に定められていてちょっと驚くほどだった。

いろいろ印象に残る文章で、私なりに感じた大切なポイントが何点かある。

例えば「二つの祈りの法(典礼)であり『通常形式』『特別形式』と位置づけられる」という事。

16世紀のトリエント公会議でピオ5世が発布したことに由来するため「トリエント・ミサ」と俗称されているが「トリエント・ミサ」という言い方は正しくなく「特別形式ミサ」と呼ぶのが正しいということもわかった。
あいまいな記憶だが、前教皇ベネディクト16世は「『トリエント・ミサ』という呼び名のミサは存在しない」と書かれていたようにも思う。
「聖ピオ5世のミサ」「福者ヨハネ23世のミサ」と呼んでもいいのかは、私の理解不足もあり、よくわからない。

とにかく、この文章で「昔のミサ」ではないことがはっきり示されている。

と、ここまで書いてけっこう文章が長くなった。

トリエント・ミサの内容について書くどころか、位置づけについても大事な点がまだあるが一回では書けきれない・・・
心情吐露を書こうにも、こういう話はある程度説明しないとわかりにくいところが難しい・・・

大雑把な認識の私がアレコレ書いていいんだろかという点でも迷うが、「放蕩息子」の私が、カトリック信仰を取り戻した原点であり、やはり大切な話なので次回以降にまた書き連ねてみようと思う。

いよいよクリスマス目前。
ことしは平日で、日程的にあまりよくないが、皆様、どうぞ良いクリスマスをお過ごしください!


(追記)トリエント・ミサについて、より詳しく知りたい場合は、ウナ・ボーチェジャパンのHP(http://uvj.jp/)を見てもらったほうが、より詳しく確かだと思う。