カトリック中央協議会ホームページに「いますぐ原発の廃止を」という意見表明のバナーが載っているのですが、やはり違和感を感じます。

気になって、いろいろなホームページを見てみました。
聖公会、正教会、日本基督教団、福音ルーテル教会、日本ルーテル教団。
神社本庁、靖国神社。西本願寺、東本願寺。

どこも「原発の廃止」に関するバナーはありません。

なにもバナーじゃなくてもいいんじゃなかろうか?

「信仰年」のバナーと「いますぐ原発の廃止を」「貝塚教会の逮捕問題」のバナーのサイズを比べたら「信仰年」のバナーのサイズの方が小さい。「プロライフ」についてはバナーすらない。

maggieさんのブログ
http://immacolata.blog89.fc2.com/blog-entry-207.html
で紹介されていた新潟教区の菊池司教のお話を読んで、原発についての司教団の思いや気持ちは理解したつもりではあるのですが、カトリック中央協議会のホームページは、やはり優先順位やメッセージ発信の強さが歪です。

そもそも司教団声明は気になるところが多い。

私は「いますぐ原発の廃止」の「いますぐ」というところが納得できない。
脱原発は必要と思うようになりましたが、「いますぐ廃止」というのは難しいじゃないだろうか?
稼働を止めても危険な状態なのは変わらないし、原発の全廃は、合理性納得性のもとに、廃棄物最終処分場の確定などロードマップを整備していくという話で、感情をはさまず粛々と進めていけば良いと思う。

原発の問題を「倫理的問題」として考えなければならないというところも気になる。私には「倫理的問題」というのがどうもピンと来ない。
心の問題、良心や倫理、道徳の問題ではなく、社会問題、政治の問題と思うわけです。

「倫理的問題」ということは「罪」ということなんだろうか?

東電をはじめとする福島原発の関係者の原発の安全性確保に対する認識の甘さや、事故対策に対し、職務遂行の上での問題点の解明は必要ではあります。しかし「罪」ではないですよね。
「落度」です。

司教団声明は、「『脱原発依存』だけではなく『脱電気エネルギー依存』の生活転換を訴えるもの」なのですが、ここの部分は言行一致を問われるところです。
少なくとも、教会内のエアコンの使用は問題かもしれません。

モヤモヤが多いんですよね。

菊池司教のお話は、率直な話で好感が持てました。
モヤモヤしたときは、このお話を読みかえすことにします。