「なぜ教会は社会問題にかかわるのかQ&A」が中央協議会から出版されています。
読んでおくべきと思いますが、いろいろ優先順位があってまだ読めてない。

ただし興味はあります。

「社会と向き合う」ことは大切だと思う。
「教会の中に籠って祈っておればいい」とは思いません。
「信仰の実践」という意味だけでなく、日本のカトリック教会は、もうサバイバルの域まできていると思うので、日本の社会のなかで何らかの存在感を示せないと福音宣教もおぼつかないと思うからです。

しかし「原発反対」とか「基地のない沖縄」とか「憲法9条を守る」などの意見表明をもって
「社会と向き合う」と言われても、どうしてもピンと来ない。

それぞれ賛否が別れる問題なので、教会がそのどちらか一方の意見を是として断定する事に、やはり疑問を感じてしまう。

生命倫理や道徳観に基づく社会問題はまだいいんです。
「プロライフ」「死刑廃止」とか・・・
「死刑廃止」というのは、教会内でも意見が別れるテーマだとは思いますが「原発反対」よりは、まだ教会らしい。

しかし、そもそも社会問題のひとつひとつに、意見表明していくことばかりが
「社会と向き合う」ことではないと思うんですよね。

以前から、日本の教会はしっかりと
社会と向き合って来ていたと思うんです。

それは何か?

「教育事業」「医療事業」です。
地味で目立ちませんが、確実に信頼感を得ていると思います。

小教区の教会敷地に入ったことなど無い人でも、学校や病院でカトリックと接点を持った人はけっこういるんじゃないでしょうか?

カトリック系の中学や高校などのなかには、社会的評価の高い名門校が、たくさんありますよね。

「教育事業」「医療事業」が地域に根ざしているところの小教区教会は、何か安定感がある感じがしませんか?

これからは「介護事業」もとても重要だと思います。

もしかしたらトラピスト修道会が作っているバターなども、「農業」「地球環境」視点で見れば、非常に意味があるような感じがします。
修道会ということでは、もちろん「出版事業」もです。

「社会と向き合う枠組み」
があることが大事だと思うし、一番自然な姿だと思う。
やはり「地道な事業貢献、社会貢献」が重要なんじゃないだろうか?

日本の教会が滅びないためにも「社会との向き合い方」を誤らないでほしい。

カトリック中央協議会のHPに、大きく「いますぐ原発の廃止を!」のバナーがついたのを見て、なんとなくそんな事を思いました。