自分の聖書理解の浅さを実感しました。

18日のミサの福音書朗読(ヨハネ福音3)で、ニコデモが登場しましたが、ニコデモがどうゆう人物であるのかということ、何故、夜中に訪ねてきたのかということをいままでよく理解してこなかったことがわかりました。

ニコデモは、現代ならば大学教授&国会議員のような名士だったんですね。
公然と昼間に会うの憚って夜更けに訪れたのは、キリストに批判的なファリサイ派だったこともあるし、地位も名声もあるからメンツにこだわったのかも。

キリストに惹かれつつあったニコデモは「あなたは神から遣わされた師」と敬意を示しますが、キリストは社交辞令は無しで「人は新しく生まれなければ神の国を見ることができない」といきなり直言する。
しかも「あなたはイスラエルの師でありながら、こんなこともわからないのか」とバッサリ言われて、ニコデモがどんな気持ちで帰路についたのか想像がつくような・・・

ただし、ニコデモが登場するのは、実はこの時だけじゃなかったんですね。
私は完全に見落としてました。
このあとに同じヨハネ福音書に2回登場するわけですが、夜更けの対談はその伏線なっている感じ。

そのうちの1回はキリストの十字架降架の場面。(ヨハネ19-39)

遺骸の受け取りのところで、チラッとニコデモの名前があり、ニコデモの心の変化を感じる記述であることを知りました。

夜更けの対談は、バッサリ耳に痛いことを直言されながらも、ニコデモにとっては「新しく生まれ変わる」きっかけだったんですね。

サブキャラクターを詳しく知ることが、聖書を味わい深いものにすることを再認識しました。