フリードリヒ・フォン・ハイエクは自分の事を保守主義者とは称さなかったようですが、伝統のなかから自然に生まれる秩序「自生的秩序」という考え方を重視したところに保守主義者としての一面が見えるらしいです。

以下wikipeの引用ですが・・・

ハイエクは特にフランスに見られるような、「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。

考え方に少し引きよせられるところがあります。
倫理道徳を破壊する自由は拒否したいし、進歩が全くない保守でも困る。ハイエクという人はバランスがとれている感じがします。
ただしハイエクの語る「自生的秩序」は多元主義的な含みがあるみたいです。

そして再びwikipe引用ですが、エドマンド・バークの「本源的契約」はこんな感じ・・・

バーク保守主義はフランス革命により提示された「社会契約」ではなく「本源的契約」を重視する。多年にわたり根本的に保持してきたもののなかに
「本源的契約」の存在があり、祖先から相続した古来からの制度を擁護し、それを子孫に相続していくとする政治哲学である。

バークは18世紀の人ですがハイエクとよく似ています。
ハイエクの考え方に影響を及ぼしているのでしょうか?

ただし「自生的秩序」「本源的契約」といっても、日本の現代社会においては、過去からの精神的遺産は、不連続で断絶しかかっているような感じもします・・・

ヨーロッパ人のハイエクやバークが、自信をもって語る「自生的秩序」「本源的契約」の源流には何があるのか?

カトリック的な見方をすれば、やはり「中世」というものが頭をよぎります。「中世」というのは歴史における一時代というだけでなく精神そのものみたいな・・・

日本にないのが残念ですが・・・

なんか、読みかけになってしまっていた岩下壮一著「カトリックの信仰」にまた引き戻されそうな感じです・・・・・