カルトの話を少し中断して、バンドミサについて、もう少し書き足そうと思います。

「ミサは御聖体という秘蹟に与る場である」というのが、やはり幼い頃からの公教要理の教えでしたから、秘蹟とは程遠いバンドミサの俗っぽさにはかなりショックを受けました。

「この人達は秘蹟というものに対し鈍感なのか?」
「それともこの俗っぽさに耐えられる強い信仰の持ち主なのか?」
頭の中も混乱し、どちらにしても自分の信仰とは違う人達のように感じ自然と距離ができました。

移ったばかり教会でしたが、「いきなりバンドミサ遭遇」で御ミサにも毎週通わなくなり、あっという間にほとんど御ミサに行かなくなった。

結局、私のように信仰の弱い人間は、カトリックの厳かさによってかろうじて信仰を保てていたのですが、文語の口語化などで厳かさもじわじわ失われていたし、それに比例して信仰のテンションも下がっていたので、この奇妙なミサによって我慢が臨界点に達したのだと思います。

よく「教会で祈るだけでは・・・」と言う事が言われますが、日常という俗なる場所から離れて、御ミサに与ることでバランスが保てていたのに教会が俗っぽくなってしまったらどうしたらいいのか・・・
いずれにしても教会から離れてしまったのは、私の信仰の弱さゆえで、バンドミサのせいだけにするつもりはないですが、この遭遇が引き金ではありました。

その後、教会籍を残したまま、また転勤、引越し。今は再転籍しましたが、このバンドミサの教会とは御縁が薄くほとんど奉仕もしなかった。
大変申しわけないことをしてしまいました。

引越しして別の教会が近くなったのですが、相変わらず離れたままだったのですが、私的な事でもポツポツといろんな出来事があって・・・・・
そうこうしているうちに列福式があった・・・
世の中も変わってインターネットも進化し YouTube が誕生して・・・
そして「トリエント ミサ」の動画を見た!!

これはバンドミサと全く逆の衝撃でした・・・・・つづく