先日、巡礼さんにいただいたコメントで、「キレネのシモン」の存在を思い出してから、「共存共苦」という言葉を思い浮かべています。

聖書における「キレネのシモン」の記述は、3つの福音書に書かれながらもあっさりしていて、「ゴルゴダの丘」への道のりでキリストと共に十字架を担ったというだけ。
通りかかったところで兵士につかまって「担がされた」感じで主体的に手伝った感じではないのだけど、「十字架の重さ」を体感した人物として興味を感じさせられる人物です。

人間は弱く、自ら望んで苦しみを担うことが出来る人は極めて稀だけど、「キレネのシモン」のように、苦しむ人の十字架を偶然に担がされる事がある。

被災者の苦しみには遠く及ばないけど、苦しむ人たちを目の前にして、私たちも共にその十字架を担う覚悟が必要です。「共存共苦」です。

これは、精神的な話だけではなくて、日本で生きる一市民の生活負担の話でもある。

想像以上の津波被害原発災害によって財政負担は膨大な額となり、震災に遭遇しなかった多くの人の上にも、日本で共に生きていく以上、負担はのしかかる。
電力供給についても稼働中の原発を止めることはしばらくないでしょうが、原発の新設はもうありえない。稼働停止中の原発再開でも極めて難しい。電力エネルギーに関しては、今までのような消費の姿はありえなくなりました。


しかし、電力消費の姿も含めた過剰な消費生活が本当によかったのか?とも思います。

「共存共苦」
の先には、従来の延長線上ではない、パラダイムシフトによる新しい未来がある。

「経済的にも、生活も、精神的にも、これから日本は変わる!!」


自然に対する畏怖の念。
科学技術を妄信することへの反省。
利他的な心の復活。
金銭的な価値に隔たらない幸福感。
共感消費の拡がり。


新しい未来に対するイメージが頭の中で広がり始める・・・
現実を直視しつつも、悲観してばかりいたら暗くなるので前向きに考える事が必要だと思うんです。