カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」。

かなりの存在感でした。
ラピスラズリのブルーが非常に鮮やかで、青がパッと目に入る。バックの光とのコントラストもあってとても強い印象を受けました。
http://www.nmwa.go.jp/jp/collection/1998-0002.html

教会ではなく美術館なのですが、カトリックである私にとっては「鑑賞」の対象として接するわけにはいかず、まず心の中でアヴェマリアを唱えてから「拝観」する。

まず先に国立博物館のミュージアムショップで、国立博物館にある「親指の聖母」のポストカードを買いましたので、見比べることができたのが良かった!

実によく似ていて違いは手のところだけ。瓜二つともいっていい。
ただ「親指の聖母」は歴史資料としての扱いなので、修復はせず損傷のままの状態で保存しているようです。
博物館と美術館の違いですね。
(今回は、かなり話が錯綜してややこしいですね。すみません。)

シドッチ神父が「親指の聖母」を日本に持ち込んだときは、おそらく、この「悲しみの聖母」の美しさの状態だったと思う。
この鮮やかさは、当時の日本人にとっては、私たち以上に強烈な印象を与えたと思います。

「悲しみの聖母」を観ていると「親指の聖母」が心の中で二重に重なり浮かび上がってきます・・・
悲しみの聖母親指の聖母













シドッチ神父の来日は、島原の乱から50年が経過し、激烈な禁教下のなかでキリシタンは存在しないと判断されている状態。
潜伏キリシタン(かくれキリシタン)と接触することを目的としながらもかなわず、捕らえられ亡くなりますが、その死はキリシタンの時代から現代へ歴史をつなぐための殉教となりました。
「親指の聖母」が、その証として現代に残っている・・・深い大きい感動があります。
国立西洋美術館の「悲しみの聖母」を観ながら国立博物館の「親指の聖母」を透視するような今回の不思議な拝観。

でもやはり「親指の聖母」の現物も観たい。
国立博物館さん。「親指の聖母」特別展示をぜひまたお願いします。


ところで他の西美の展示。
今回は、なにはともあれ、カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」!!でしたが、様々なイエズス様、マリア様、諸聖人がおられますね。
絵を見た感動から、諸聖人の話に興味を持つのもいいなと思いました。

ディルク・バウツの「悲しみの聖母」も印象に残りました。泣きはらして目も腫れた姿が痛々しい。
http://collection.nmwa.go.jp/artizeweb/search_7_detail.do

新館の展示はパスして帰途につきました。
「松方コレクションを観ないで西美を後にするとはけしからん!」とお叱りを受けそうですが現代人は時間がないんだよね・・・

また訪れたいと思います。毎週でも来たい。
いいですね東京の人は!!