口語の祈り、文語の祈り、ラテン語の祈り
あなたは、どのお祈りをされていますか?

カトリック信徒ではない方には、少しわかりにくいですね。
お祈りの仕方が3種類もあることを奇妙に思われるかもしれません。

ボンクリの私は、子供のころ文語でした。「てんにまします・・・」も「めでたしせいちょう・・・」自然に口が動きます。体に染み付いています。1人のときは誰が何と言おうと死ぬまで主祷文と天使祝詞は文語で唱えます。決して文語の祈りは離しません。

実は私は、口語の「恵みあふれる聖マリア、主はあなたとともに・・・」は暗唱できません。見ながらじゃないとダメです。なんかしっくりきません。
新しく信徒になられた方は、全て口語ですよね。
新しい信徒の方は口語じゃないとしっくりこないでしょうね。

信徒によって唱える祈りが違う。これは、どちらにとっても結構むごいことなんじゃないでしょうか?

なんで変えてしまったのですか。変えられた方はどなたなのでしょうか?

あと何十年か後、私が死ぬまで唱え続けても、この文語の祈りは消滅してしまうのだろうか?文語の方が格調高いのに・・・

ところで最後のラテン語の祈りですが、バチカンによると「ラテン語の祈りが基本で、現地語は副とされてる」ということを知りました。
これはインパクトありました。
ラテン語の祈りは、絶対無くならないわけです。

キリシタンも唱えていました。
ラテン語こそが、時空を超えて普遍的ということがわかります。


こういう事を書くと「キリストはラテン語では話さなかった」って屁理屈言う人がいるんだよなあ〜