聖歌や賛美歌を歌うからだろうか?
もちろん「雰囲気に暗さがない」というのは「しめやかさに乏しい」ということになるのかもしれないから、どちらが良いか悪いかではなく、印象が人それぞれということだろう。
とにかく、仏教であれキリスト教であれ「次の世界へ送り出す」セレモニーがお葬式。
しかし自分や愛する人の死を迎える時は必ず来る。
冒頭の「キリスト教のお葬式に、暗さがあまりがない。」という印象についての話は (聖歌や賛美歌はともかくとして) やはり キリスト教 信仰 に 「復活信仰」がある ことが影響しているような気がする。
「わたしは復活であり命である、私を信じる者は死んでも生きる。生きて私を信じてる者は 永遠に死なぬ。あなたはこのことを信じるか」
とイエズスは、ベタニアのラザロの死を前にして永遠の生命を宣言する。
目前の現実に奇跡が起きることを実感できないマルタは、我々現代人のようだ。
淀川キリスト教病院の医師であった柏木哲夫さんは、臨終の際に「じゃあ行ってくるね」と襖を開けて隣の部屋に移動するような感じで亡くなった看取りがあったということを伝えている。
現代においても私たちの目には見えない「復活」は起きているのではなかろうか。
しかし、死による別れは、やはりこの世での別れ。