カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

2016年10月

荘厳司教ミサが、今週の土曜日にせまってきたので、再度お知らせしたいと思います。
一年に一度の機会になるので、興味関心を持つ方は、お見逃しなく。

カトリックらしさが凝縮されているミサです。
カトリック信者ではない方にもお勧めします。

(以下仔細)
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カトリック東京大司教区カテドラル聖マリア大聖堂

2016年11月5日(土)

13:40〜  諸聖人の連祷(ラテン語グレゴリオ聖歌)

14:00〜  荘厳司教ミサ(
ラテン語グレゴリオ聖歌、通常形式)


主司式:ペトロ岡田武夫大司教

共同司式:駐日ローマ法王庁大使館 ジョセフ チェノットゥ大司教 他、司祭多数(予定)

ミサの意向:「全ての死者のため」

主催:カトリックアクション同志会

場所:東京都文京区関口3-16-15 (椿山荘前)


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初めて荘厳司教ミサに与かったのは、6〜7年前。

残響音が格段に長い大聖堂なので 「諸聖人の連祷」の第一声を聴いて、まるで聖霊の声を聴いたような神々しさを感じたことを、 今でもなんとなく覚えている。
私が住んでいる地域は
ラテン語ミサの消滅地域なので、大変な衝撃だった。

居住地域ではほとんど機会が無いから、 旅費がかかるのが痛いが いまのところ毎年欠かさずに与っている。
ラテン語ミサについては、赤羽教会のように定期的に天使ミサがある教会も無いわけではないけれども、現在の日本のカトリック教会事情のなかでは、(私の居住地域ほどではないにしても)全般的にはけっして機会が多いとは思えない。
ラテン語ミサ未経験の人は多いと思う。

ラテン語の祈りがわからないことで荘厳司教ミサに与ることを躊躇する人もいるかもしれないが、普段、ラテン語ミサの機会がなければわからないのは当たり前なので、そういうことについてはあまり気にしなくてもいいと思う。
ミサの流れは、通常の日本語のミサと同じなので、いまどこなのかはなんとなくわかるし、和訳つきの詳細なミサレットが配布されるので、事前に目を通せば、祈りの中身を理解することは可能だ。

当日は、多くの人が集まるため、配布される整理券の番号順での入堂になるし、ミサ前に「諸聖人の連祷」もある。

そういった意味でも、ギリギリではなく早めにカテドラルに到着されることをお勧めしたい。

今年はレクイエムなので、11月の死者の月にあたり、亡くなった人を想い祈るよい節目のようにも思う。

来年2017年2月の高山右近列福式ミサが、当初で検討されていたラテン語主体の天使ミサではなく日本語中心のミサに変わってしまったということは、日本のカトリック教会の大阪教区をよく示す出来事のような感じがした。 
私は、なかなか簡単には受け流すことができずにいる。

友人から教えてもらったが、大阪教区時報の10月号に、ある神父(以下は仮名でA神父とする)の「ラテン語による列福式ミサ」への反対意見が投稿で載っていたらしい。
この投稿を知って、変更の理由の一端がわかった感じがした。
内容は全く共感はできないものの、ある意味、正直で率直な意見であり「なんでやねん。これでいいんか!」というタイトルで、生な気持ちそのまんまの不平を述べている。

そのA神父の投稿というのは以下の内容である。


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【以下引用】
最近いろいろと、いろんなところで起こる事件・事例に、「なんでやねん、これでいいんか!」と叫びたくなることがよくあります。事例を挙げればきりがないので、
皆様の思いにお任せしたいと思います。人それぞれの思いがあり、その思いの理由や原因は異なることかもしれません。しかし中にはどうしても黙っていることのできないこともあります。 そのことでも、人により、いろいろの対応がとられます。お上の言うことだから、黙って従えばよい。今までそうしてきたから、黙って我慢すればいい。何かモノ申せば、波乱が立つので…。組織だから、仕方がない…。教会だもの…。何も言わないで、お祈りすれば…。などなど。
これらのことを十分にわきまえながらも、どうしても口外し、皆様からご批判とおしかりを覚悟して、書きたいことがあります。
長年の運動とお祈りによって、待望のユスト高山右近の列福が承認され、大きな喜びに浸ることができました。現代の私たちの生活の中で、右近の生き様が、いかに大切なのかを受け取り、勇気と励ましをいただきました。オリンピックの金メダルで得られる喜びと励ましには比較にならないほど大きなものでした。 承認くださったローマの聖省にも感謝したものです。ところがある噂に驚かされました。思わず「なんでやねん!これでいいんか?」と叫んでしまいました。どんな噂?
列福式の式典がラテン語で行われることが、ローマの聖省から伝えられ、日本サイドが異議申し立てても受け入れられなかった。」という噂です。
第二ヴァチカン公会議以前の世界に戻ろうとする動きが、ちょこちょこ見受けられます。自国語ではなく、懐かしいラテン語の復活を希望し、実行している人たちもいるとの噂が、喜びの声として聞こえてきます。自分の言葉で、神様を賛美し、礼拝することの努力・喜びはなんだったのでしょう。この噂が、噂にすぎなかったことを切望します。
【引用終わり】
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ただし、結果として列福式ミサはラテン語天使ミサではなく、日本語主体、典礼聖歌主体のミサになるそうなので、このA神父の反対意見は汲み取られ、今回の列福式でのラテン語の排除は、ほぼ成就する。
この神父の心配はおおかた解消されるだろう。

A神父は、ラテン語ミサに対し「できない(可能ではない)」ではなく「望まない」という意味のことを述べている。

私は過去に、以前所属していた小教区で、天使ミサの実施を意見具申したことがあったが、その際に「(スキル的に)できない」とはぐらかされたことがあった。
私は当時、自己流でラテン語の祈りを家で祈り始めたころだったから、カタカナを付記し読みながら祈るということがそんなに大変なことに思えなかった。
意味的にもミサの通常文ならば日本語の祈りは頭に入っている。
噛み合わない会話に大変もどかしい想いがしたことをはっきり覚えている。

そういうはぐらかしよりは、「望まない」と主張するA神父は素直ではある。

このA神父の「自分の言葉で、神様を賛美し、礼拝することの努力・喜び」が大事という想いは、個人の心情としてはあっても不思議ではない。
そういう心情があることを否定するつもりはないし、日本語のミサには日本語のミサなりの意義があるということもわかる。


しかし・・・

毎週の主日ミサの話ではなく、この先いつあるかわからない何十年に一度あるかどうかの教皇代理の枢機卿様が司式する特別なミサにまで、日本語ミサを貫らぬく必然がいったいどこにあるのか?

というか、そもそも列福式のミサについては、前提として「列福式は、ローマで祝われる教皇司式の列聖式同様に、教皇庁の公式行事であり、教皇代理が派遣されミサの司式する以上、ラテン語になるだろう。」と日本の司教団のある司教様も言われていた。
ヴァチカンの列聖省長官のアンジェロ・アマート枢機卿がミサの主司式者となるのだから「日本語を求めるのはそもそも無理で成り立たない」という客観的な現実論としての話だったのだと思う。

日本語の典礼では、司式されるアマート枢機卿はかなり困惑されるだろう。

アマート枢機卿だけではない。
高山右近が亡くなられた場所がマニラだったので、マニラ教区のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿も来日される。  
韓国などの他のアジア諸国の司教もお招きしているらしい。
タグレ枢機卿が来られることを思えば、多くの在日フィリピン人も参列するだろう。

そういうことを考えると、教皇庁公式行事であるこの国際的な列福ミサに参列されるであろう多くの外国人に対し日本語を強いるということは道理が合わないし、 日本語がわからない霊的兄弟姉妹に対する慈しみが欠落している。

ラテン語ミサには、国境と時代を越えて祈りが一つの声となる意義がある。
そしてそのことで気持ちが一致する喜びがある。

ラテン語ミサ排斥論者は、このことへの想像力が全くない。  

こういう背景がありながらも、「自分の言葉(つまり日本語)で、神様を賛美し、礼拝することの努力・喜び」という自分本位な想いに徹底してこだわり、それを理由にラテン語ミサをぶっ潰した。

「なんでやねん。これでいいんか!」という言葉は、今ではA神父ではなく、私が発したい言葉になってしまったが、そういうことを言っても虚しく心の平安は得られないということだけはわかる。

気持ちの一致が削がれたり、心が乱れることが、そもそも福者ユスト高山右近に対し申し訳なく、素直な気持ちで心静かに列福式を迎えられるように祈ったほうがきっといいのだろう。

2017年2月7日に大阪で予定されている高山右近列福式ミサは、ラテン語ミサ(天使ミサ)で行われるという話があったが、残念なことに、いつもの典礼聖歌主体の日本語のミサになってしまうらしい。

ある意味、予想どうりというか、ああやっぱりという感は否めず「大阪教区が主体だからなあ」と変な受け止め方をしてしまう。

影響力のある人の意見か、想いの強い人の声の大きさによるのかわからないが「どうしてもラテン語ミサは認めたくない、止めさせたい」という情念???があるのか、そのネガティブ思考の強さに呆れる。

本来であれば、400年前に高山右近も与っていたであろうトリエント・ミサ(特別形式ミサ)であれば本当に意義深いのだが、現時点ではなかなかそこまでは無理だとは思う。

だからせめて通常文だけでもラテン語の天使ミサであればと思うところだが、今の大阪教区の雰囲気、風土ではそれすら無理というのが情けなく寂しい。

しかしどうしたことか、何故かあわれみの賛歌だけは、天使ミサの「キリエ」になった。
入祭の歌は、いつくしみの聖年公式賛歌になった。
そして拝領の歌でカトリック聖歌の「ひせきにこもりて」が選ばれた。
閉祭の派遣の祝福も「ラテン語かも?」ということらしい

ほんの少しであってもなんとか伝統色を残そうとしてくれた人がいることに感謝で、このことでなんとか自己納得しようとしている。
 


いっぽう東京では、来月11月5日に荘厳司教ミサが行われる。

1000人以上の人がグレゴリオ聖歌ラテン語で捧げるミサが存在するという東京と、天使ミサですら無理という大阪の風土との差には唖然とするしかないが、これはやはり今年で26回にもなる荘厳司教ミサそのものの実績によるところが大きいのかもしれない。
このミサを始めたカトリック・アクションの先達に先見の明があったということで、このことには本当に感謝と尊敬を覚える。

荘厳司教ミサの目的というのはシンプルで、「日本に住む我々にとってローマは遠く巡礼も容易ではなく、せめてヴァチカンのミサに与ったような気持ちになれるミサに日本で与かりたい」という素朴な想いが動機になっている。

「ミサは日本人が作った歌で全て日本語で」というラテン語排除のこだわりこそが、つまらない理屈であって、日本人信徒の素朴な心情を無視し寄り添っていない。

その11月5日まで、あと2週間となった。

「日本におけるヴァチカンのミサ」が荘厳司教ミサの目的であることを思えば、「跪き」を排除する「日本における適応」も考える必要はなかろう。

身体的に「跪き」をすることに支障がない方で、「日本における適応」のことでミサでの跪きをためらっている方は、荘厳司教ミサでは、聖変化でも聖体拝領でも躊躇する必要はないと思う。

カルメル会宇治修道院の中川博道神父の講話の資料を手に入れたのでご紹介したい。

中川神父が東京から京都に異動されたのは2〜3年前だったと思う。
関西にいることは知っていたが、いままで話を聞く機会をなかなか持てないでいた。

説教の評判については聞いていたが、実際に読んでみると、ぐいぐいと話に引き込まれる。
言葉の運び方の上手さもあるが、誰もが悩み、教えを乞いたいと思うテーマを選ばれていることもあるのだろう。

教会で聞きたい話というのは、こういう話だ。

読むだけではなく、いつかは、直接、話を聞きたい。

今回の講話では、聖ヨハネ・パウロ二世の「サルヴィフィチ・ドローリス」という書簡がテーマにとりあげられている。

「苦しみの意味」についての講話で、以下はその内容である。
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「苦しむものとともに苦しむ神   〜サルヴィフィチ・ドローリスより苦しみのキリスト教的意味を探る〜」

■苦しみの中から生まれた書簡
「サルヴィフィチ・ドローリス」はヨハネ・パウロ二世が二度にわたる暗殺未遂事件によって心身ともに深く傷つかれた中で書かれた 圧倒的な迫力を持った書簡です。この中でヨハネ・パウロ二世は、苦しみは人間に付随する普遍的テーマであり、人間は苦しむ者である、そしてそれはどこにいてもどの時代にも変わらない現実であると言っています。

■本当の自分へ呼ばれる
苦しみの意味を探し求めることの中に、自分が自分になってきたプロセスがあります。苦しみの中で本当の自分へと呼ばれていくのです。ヨハネ・パウロ二世は、わたしたちの苦しみはキリストの苦しみに結ばれて、人の贖い、救いに必ず結びつくということを示しています。
自分が苦しむこと、乗り越えようとしてもがき続けることが、それがどんな苦しみであったとしても、主において受け止めて生きていくということが、人の救いに結びついていくのです。

■苦しみの二つの側面
苦しみには二つの側面があります。苦しみには人間的な意味として、自己を超越させながら本当の自分になっていく道が隠れていると同時に、超自然的な(神の)意味として、キリストとともに苦しむことによって人の贖い、救い、神との出会いの回復がなされていきます。
この書簡の中から見える苦しみについてのモティーフ(動機)は、二つのポイントがあります。
苦しみによってわたしたちは本当の自分へと抜け出ていくこと、そしてこの苦しみは、キリストとともに苦しむときに、人が神と出会っていくこと、贖いを実現していくことです。

■人生の振り返りと意識化の必要
 苦しむというテーマが人間のテーマであるとするならば、人間そのもののテーマを考えるとき、神との関係性なしに人間のことはわかりません。苦しみの意味がわかるということは、人間の意味がわかるということ、そして神の本質がわかるということであり、つまり神のもとにいけば苦しみの意味がわかるのです。自分は何を苦しんできたのか、という人生の振り返りをすすめます。苦しみの意味を考えることは、自分の人生を考えることと重なるからです。意識化して整理することによって、「なんとなくの不安」がすっきりします。不安をかきたてられたり、先が見えなくて苦しみを募らせていくようななかで、いくつかの言葉が自分を支えてくれることがあります。

■苦しむものとともに苦しむ神
イエス・キリストは苦しみへの究極の答えです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3・16)という聖書の箇所から、わたしという存在は、父と子と聖霊の交わりの神が、独り子を失ってでも失いたくないと思った存在なのです。またキリストの十字架の出来事を通して、キリストのおかげでわたしたちが苦しむことの中に意味が生まれました。ガラテヤの信徒への手紙の中でパウロは、誰のために苦しんだのか、ということを絶えず明らかにしています。自分を愛してくださった究極の相手である神のために苦しむということなしに、究極の苦しみは耐え得ないのです。ヨハネ・パウロ二世ははっきりと、苦しみは試練だと言います。これは「善きサマリア人」につながることですが、善きサマリア人はキリストの生き方にわたしたちが招かれるということです。「追いはぎにあった遭った人」、つまりひどい目にあって立ち上がれないくらいに傷ついている人、奪われた人、そのような人はまわりにたくさんいます。ヨハネ・パウロ二世がすすめることは、そのような人に近づいていって、自分の一日を捧げてでも、自分に痛みが伴うことでも、寄り添うことです。そうしていくことで人は必ずこの苦しみが自分の救いになり、また人の救いにつながっていきます。苦しみの救いの働きの意味はこのようなところにあるのです。

長崎の外海地域に、枯松神社という、カクレキリシタンの神社がある。

NHKで「新日本風土記」という番組の、長崎がテーマになった回を録画していて、この回を先日見てみたら、この枯松神社と「カクレキリシタン」についてとりあげられていた。 

枯松神社は、日本で三社あるとされるキリシタン神社のひとつである。 

宣教師だった
サン・ジュワン様が亡くなった場所、葬られた場所で、そのお墓らしい。 

生月の中江ノ島で祀られているのも、サンジュワン様だが、こちらのサンジュワン様は、殉教者のヨハネ次郎左衛門のようで、外海とは同一人物では無いようだ。

サンジュワンはポルトガル語のサン・ジョアンのなまりで聖ヨハネのことらしく、別々に存在するカクレキリシタンの共同体で、同じ聖ヨハネの名前が残ったのは何かの因縁のようにも 思う。

今ではカクレキリシタンの共同体もかなり縮小しているようで、この枯松神社がある外海も50人ほどの共同体らしい。

ウィキペディアでは、学術的には「カクレキリシタン」という呼び方になると記載されているし、一般にも定着した呼び名だが、私はこの名称はあまり望ましくないと思う。
先祖の信仰を守り続けているだけで、今では「カクレ」ているわけではない。
せめてカトリック教会だけでも「古キリシタン」というような名称で呼んだ方が、敬意が込められている感じがあってふさわしいような気がする。


オラショの奉納の場面もあった。

「我らがデウスサンタクルスのお印をもって我らの敵をのがしたまえ。デウス パーテル デウス ヒーリオ スピリツ サント みなをもってアーメン てんにましますわれらがおんおや みなをとおとまれたまえ みよきたりたまえ・・・」

一部聞き取れないところもあったが、ちょっと驚いた。

ラテン語の
「イン ノミネ パートリス エト フィリィ エト スピリトゥス サンクティ」と
昔の文語の主祷文の祈りである
「てんにましますわれらのちちよ、ねがわくはみなのとおとまれんことを、みくにのきたらんことを・・・」
とよく似ている感じがしたのである。  

弾圧を逃れながら400年以上も密かに伝承した祈りだが、内容的にはカトリック教会の祈りと同じというのは驚異的で、400年の永さの中で変えずに守り抜いた伝承の凄味と、カトリックとの同一性に驚く。

取材を受けた「カクレキリシタン」のMさんは、帳方(カクレキリシタンで司祭の役目を担う人)であったお父上が亡くなられて、50人ほどの信仰共同体の維持のために決意し、自分も帳方となられた。 
几帳面な方のようで、カクレキリシタンの祈りや儀式や暦について、手引書のかたちできれいにきちんと整理しまとめられていた。
先祖のから伝承された遺産を未来に繋ごうという想いからだと思うが、Mさんはサラリーマンをされていたそうで、運営管理的な視点でナレッジ化が必要という考えもあったかもしれない。
いずれにしても、これは驚くべき資料で、後々、大変貴重なものになると思った。 

Mさんの家庭祭壇には、十字架やマリア様の御像もあり、なんと聖ヨハネパウロ二世教皇の写真もある。
カトリック教会のこともよくご存知なのかもしれない。

この外海では、地元のカトリック教会の司祭の呼びかけで、枯松神社祭という行事が、近年になって行われるようになったらしく、カクレキリシタンと、カトリック教会と、地元のお寺の天福寺の三者が集まり、合同で、先祖の慰霊の為に祈る場が生まれている。
これはとても素晴らしいことだと思う。

数百年の迫害弾圧の歴史を思えば、カクレキリシタンが信仰を守り繋いだ偉業に対しては、もっと日本のカトリック教会は敬意を示すべきだと思うし、今後も古キリシタンの共同体が存続していけるように、カトリック教会の側から 手を差し伸べる必要があると思う。

もし断絶してしまったら将来に禍根を残す。
小教区にまかせるだけでなく、優先的な課題として、司教様全員が先頭に立って古キリシタンとの教会一致に向けたアクションを示してほしい

常に弱者に目線を向けるフランシスコ教皇は、日本のカクレキリシタンに対し「つねに神の民の一員であり、この歴史から多くのことを学ぶことができる。」と言われている。
もし仮にフランシスコ教皇が来日されるようなことがあるとするなら、あの方ならば真っ先にこの「古キリシタン共同体」を訪れる可能性は大いにあり得るのではないか? 

正式にローマンカトリックに帰一してもらうためにどういう方法があるのか私はよくわからないが「属人区」のようなある程度、独立性のある共同体として併立し、古キリシタンの典礼を保つことができれば素晴らしいと思うのだがどうなのだろう。

バチカンとの橋渡し、仲立ちができれるのは、ほかならぬ日本のカトリック教会である。

もし同じカトリック教会の家族である「古キリシタン属人区」が誕生すれば、 今の日本のカトリック信者に与える精神的影響もとても大きい。

これこそ真のインカルチュレーション、文化的受肉ではないか?

少なくとも、「跪きは、日本の文化にはないから排除する」というような、納得しがたい無意味で理解不能なインカルチュレーションよりは、わかり易く正しい姿だと私は思う。

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