価値観についての統計だと思うが「あなたの一番大切なものは何ですか?」という質問をされる意識調査がある。
一番大切なものだから関わらないことができないのか、関わらないことができない世界 だから 一番大切なのかはよくわからない。
そういう存在だから家族についての悩みごとというのは、ひときわ辛い。
公教会祈祷文では家族の祈りとして「父母のためにする祈り」「子女(こども)のためにする祈り」「聖家族に対しておのが家族のためにする祈り」がある。
統計数理研究所という研究機関が行っているようで、この調査は内閣府の資料でも引用されている。
直近の2013年の調査結果では
「家族」 42%
「家族」 42%
「愛情、精神」 18%
「生命、健康、自分」18%
「生命、健康、自分」18%
「子ども」 7%
「お金、財産」 4%
となっている。
「お金、財産」 4%
となっている。
「子ども」というのも「家族」だから、「家族(子供含む)」で、49%となりほぼ半数。
単身世帯が増え、晩婚化も言われているのに、統計的には逆にダントツの1位というのは興味深い。
この選択肢の場合、「時間」というのはどこに入るのだろうか?
何番目なのかはちょっとわからない。
「自由」とか「信仰」という回答ならば、「愛情、精神」にまとめられているのかもしれない。
この質問。私はどう答えるだろう?
20代の頃のならば「自由」と答えたかもしれないし、今でも「時間」がとても大切という感じはある。
しかし現在の私が一番目に選ぶものならば、やはり多くの人と同じく「家族」という回答をあまり迷わずに選択する感じがする。
家族という集まりは、親子も夫婦も因縁、縁起によって出会った絆のもとで共に生きている。
そしてまた意味深いのは、夫婦や養子のように、たとえ血縁関係が無くても「家族」という関係は存在する。
話が前々回に戻ってしまうが、結局のところマルティン・ブーバーの「<われーなんじ>の〈関係性〉の世界」「<われーそれ> の〈もの〉の世界」の話を当てはめるならば、家族というのは、一番実感し易い「<われーなんじ>の世界」ということなのではなかろうか?
スパッと別れずに混沌と入り混じっているような感じがすることが多いこの「二つの世界」説だが、「家族」の関わりというのは 、もう〈関係性〉のかたまりで、関わらないことができない世界 なのである。
スパッと別れずに混沌と入り混じっているような感じがすることが多いこの「二つの世界」説だが、「家族」の関わりというのは 、もう〈関係性〉のかたまりで、関わらないことができない世界 なのである。
一番大切なものだから関わらないことができないのか、関わらないことができない世界 だから 一番大切なのかはよくわからない。
そういう存在だから家族についての悩みごとというのは、ひときわ辛い。
公教会祈祷文では家族の祈りとして「父母のためにする祈り」「子女(こども)のためにする祈り」「聖家族に対しておのが家族のためにする祈り」がある。
「子女(こども)のためにする祈り」は次の内容になる。
「天にましますわれらの父よ。われは主の御恵み(おんめぐみ)によりて賜りたるこの子女(こども)を、謹みて主の御保護のもとに託せ(まかせ)奉る。願わくは御(おん)みずからかれらの父となり給え。われらの愛子(あいし)が世の腐敗に勝ち、内外の悪しきいざないを防がんために、御慈悲をもって、かれらを強め、悪魔の謀計より救い給え。なおその心に聖寵を注ぎ、聖霊の賜物を与え給いて、イエズス・キリストを認め愛せしめ、日々御旨(みむね)に適わしめ、この世においては、熱心に主に仕え、後の世においては、主の御前(みまえ)に喜ぶを得しめ給わんことを、われらの主イエズス・キリストによりて願い奉る。アーメン」
「天にましますわれらの父よ。われは主の御恵み(おんめぐみ)によりて賜りたるこの子女(こども)を、謹みて主の御保護のもとに託せ(まかせ)奉る。願わくは御(おん)みずからかれらの父となり給え。われらの愛子(あいし)が世の腐敗に勝ち、内外の悪しきいざないを防がんために、御慈悲をもって、かれらを強め、悪魔の謀計より救い給え。なおその心に聖寵を注ぎ、聖霊の賜物を与え給いて、イエズス・キリストを認め愛せしめ、日々御旨(みむね)に適わしめ、この世においては、熱心に主に仕え、後の世においては、主の御前(みまえ)に喜ぶを得しめ給わんことを、われらの主イエズス・キリストによりて願い奉る。アーメン」
抜粋は望ましくないのかもしれないが、
天にましますわれらの父よ。われは主の御恵み(おんめぐみ)によりて賜りたるこの子女(こども)を、 謹みて主の御保護のもとに託せ(まかせ)奉る。願わくは御(おん)みずからかれらの父となり給え。
天にましますわれらの父よ。われは主の御恵み(おんめぐみ)によりて賜りたるこの子女(こども)を、 謹みて主の御保護のもとに託せ(まかせ)奉る。願わくは御(おん)みずからかれらの父となり給え。
というここの部分は、祈祷書がなくてもいつでもどこでも祈れるように、記憶し覚えておきたいと思った。