カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

2016年02月

歴史の教科書にその名前が登場するグーテンベルクは活版印刷の発明者だが、15世紀のこの発明は人類の歴史上での大発明とされている。
中世ヨーロッパは教会が社会の中心にあった時代なので、活版印刷の発明は、世界で最初の印刷聖書の制作に繋がる。それがグーテンベルク42行聖書である。 
1ページの行数がその名のとうり42行の行数になっていて、言語はラテン語のヴルガータ聖書である。

後にマルティン・ルターがドイツ語訳聖書を作るが、活版印刷という技術が無ければ、このドイツ語訳聖書も増刷できなかったので、活版印刷は宗教改革に大きな影響を与えたとも言われる。

グーテンベルク42行聖書は、現在、世界で48部あるそうだが、その所在地がWikipeに載っている。 
日本では、慶応大学(完本)と東北学院大学(不完全本)にあるようだ。
慶応大学の聖書は、丸善が1987年に創業120年事業で購入したものらしい。

Wikipeには載っていないが、飯田橋の凸版印刷の印刷博物館にも、1ページの状態のものがある。
以前現物を見たことがあったが、印刷の仕上がりが悪いという感じはしなかった。
文字は、ブラックレターと呼ばれるゴシック体で、極端に縦線が太く横線が細い。
読みにくいが重厚で表情があり、見ているだけでグレゴリオ聖歌の空耳が聞こえてくるような書体である。

また印刷博物館で見たくなってきたが、惜しいことに昨年の2015年の春頃に「ヴァチカン教皇庁図書館展II」という企画展をやっていたようだ。

ホームページをよく見ていたら、なんとテープカットのときにスピーチをするヴァチカンの大司教様の写真まであるではないか!!!

時、既に遅し・・・
最近こういう感じで、後から知るというパターンがなんか多い・・・

凸版印刷は、ヴァチカン教皇庁図書館所有のグーテンベルク42行聖書のデジタルアーカイブ化を進めていることもあって、いろいろヴァチカンとの繋がりがあるようだ。
日本ではカトリック信徒数が全人口の1%に満たないにもかかわらず、日本の会社がヴァチカンの歴史資料の保存事業に関わっていることは、なんとなく嬉しい。

「福音の村」ブログの晴佐久神父の説教で、リジューの聖テレジアの話があった。

リジューの聖テレジアは、「小さき花のテレジア」とも呼ばれる。

書籍が多いにもかかわらず、いままで私はあまり接点を持てずにいたが、日本の教会では「小さき花のテレジア」という洗礼名が比較的に多い感じがする。
日本では影響力の強い聖人かもしれない。

もうかなり前になるけども、1986年制作の「テレーズ」というフランス映画があって、見ようと思った時期があったのだが、結局機会を逸してしまった。
googleで検索したら、中古のビデオテープはまだあるみたいだけれども、DVDが見当たらず、今ではもう見る事は難しくなってきている感じがする。

画像検索をすると、この映画のポスターがある。
目線をやや上を向けた何か強い意志を秘めたような、力のある表情をしている若い女性が髪を切られている。
このポスターの画像は、なんとなく覚えている。

※注(google画像検索では「テレーズの罪」という映画がすぐ見つかるが、この映画はモーリヤックのテレーズ・デスケルーが原作のようなので聖テレジアの話ではない)

聖テレジアの生涯は、「子供の頃に母を病気で失った少女が、修道院に入り、自らも病気で24歳の短い生涯を終えた」という短い話で終わってしまうとも言われる。

しかし自叙伝「ある霊魂の物語」によって、その短い生涯における信仰生活が「小さな花のような、自己犠牲、眼差し、言葉をもって、愛のために為す行為とする」という想いに基づいた修養であった事が伝わり、後にカトリック教会にその思想が大きく影響を与える。
聖人になる早さが異例であったらしい。

日本で「小さき花のテレジア」の洗礼名が多いのも、この「小さな道」という信仰のあり方が、どこか日本人の琴線に響くようなところがあるのかもしれない。 

一方、この「小さな」という言葉は、日本の教会では、解放の神学的な「社会から抑圧された小さくされた人」という文脈でも、よく登場する。 
同じ「小さな」という言葉が散りばめられていても後者の場合は、どこか「階級闘争」な匂いがする。
こういう話は、聖テレジアの「小さな道」の話とは違って、かなりイメージの違う話の展開になる場合があり、必ずしも共感できるとは限らない。
共感できない理由を上手く説明できないのだが、そういうことが昨今の日本のカトリック教会では少なくない。

聖テレジアの生涯は、歴史に残る事業を成し遂げた人生というわけではない。
慎ましく幼子のような信仰を持って「小さな道」を歩んだだけの生涯。
しかしその信仰は眩しい。


聖テレジアの話を書いていると、私の信仰生活の「なまぬるさ」を感じてしまって、検索ついでにgoogle で「なまぬるい信仰」と検索してみた。

もう帰天された方だが小池二郎神父の説教集ホームページが見つかった。
http://www.koshien.net/KOZA/Fr_Koike/

「霊に対する冒涜は許されない」
という題の説教は新鮮。


「多神教の思想は平和の原理か」という話は、『千と千尋の神隠し』を引き合いにしながら多神教的を思想が平和の原理であるという論 を展開する朝日新聞の社説をスパッと切って気持ちがいい。

良い説教だと思った。

今回、私が偶然のように、小池神父の説教ホームページと出会う事が出来たのも「聖テレジアのお導き」と思ったりしてみる・・・



江戸時代中期に「親指の聖母」を携えて、日本に渡来したシドッチ神父は、江戸キリシタン山屋敷に収容される。

江戸キリシタン山屋敷は、元々は、宗門改役大目付だった井上筑後守の小日向下屋敷である。
井上筑後守は、殉教者を出さずに転ばせることに力点を置いたので、棄教したバテレンの住まいが必要で、キリシタン山屋敷はその為の場所だった。
棄教したジョセフ・キャラ神父(改名後は岡本三右衛門。遠藤周作「沈黙」のロドリゴのモデルとされる)もここに収容され生涯を終える。

ただしシドッチ神父の場合は、江戸時代中期の1708年(宝永五年)の渡来で、それまでの宣教師とは繋がりがなかったし、直接的にはポルトガルと関係がなくローマの使節であることを強調したためか(宣教をしない条件のもとではあるが)棄教は迫られず、祈祷書の所持や祈りまで許された。

加えて、新井白石という聡明な儒学者との真摯な対話がなされたこともあって、凄惨な記録の多いキリシタン迫害の歴史の中でもささやかな救いになっている。 

新井白石は、シドッチ神父の処遇に際し「第一にかれを本国に返さるる事は上策なり」と上申している。

残念ながら受け入れられなかったが、この上申には
「シドッチがキリシタンであるのは生国の慣し。直ちに処刑するは容易いが心なき技。仁にもとるゆえ易しくない」
「拘禁の継続は役人にも長く心労をかけるばかりか囚人に対し残酷な処置。容易いようで最も面倒」
という内容もあって、先入観に捕われず目の前の現実を直視した上で倫理的に正しい判断を行おうとする理性と温情を感じることができる。

新井白石はキリスト教は全く理解しようしなかったが、シドッチ神父との対話で得た知識を元に「西洋記聞」を記す。

新井白石との出会いがあったためか、または重文の「親指の聖母」の所持者であったためか、シドッチ神父については関心の持たれ方が幅が広く書籍が多い。

近年では、古居智子さんの「密航 〜最後の伴天連シドッティ〜」という本がある。
「羅馬人と出会い候こと一生の奇会たるべく候」という白石の言葉が、本の表紙の帯にあり、新井白石がシドッチ神父との出会いをどのように感じていたかを垣間見れる感じがする。
古居さんは、屋久島への関心からシドッチ神父の話を知ったようで、屋久島上陸の際の描写が特に細かい。
この本は読み応えがあってとても良かった。

サレジオ会のタシナリ神父の書かれた「殉教者シドッティ」という本もいい。
キリシタン屋敷跡が住宅地になる前に調査した記録をもとに大変細かく書かれている。 
キリシタン山屋敷を正確に詳しく知ろうとする気持ちが、図解などを交えた緻密な描写にも現れている。
この本には、ジョセフ・キャラ神父(岡本三右衛門)の墓が、調布のサレジオ神学院に移されているということも書かれてある。
手触りの感覚で当時を偲ぶ手助けになる本という感じがした。


高木一雄さんの「江戸キリシタン山屋敷」という本は、キリシタン屋敷を話の中心に、年譜を追いながら、様々な殉教者や棄教者が、江戸で繋がり重なっていった歴史を綴っている。
この本で新たに知る人物や歴史がある。


こういったシドッチ神父の話を知る中で、新井白石以外にも彼と関わった人物で、どうしても気になる存在があった。
シドッチ神父の中間となった長助、おはるという老夫婦である。

二人はシドッチ神父の身の回りの世話をするための中間であった。

元々は、罪人(キリシタン?)の子供であったため、幼少からキリシタン山屋敷で養われ外に出ず、岡本三右衛門の中間も務めていたらしい。三右衛門の後家と共に墓参りをした記録があるようだ。

一方、キャラではなく黒川寿庵(明国人の修道士、キャラと共に棄教)の中間であったという説もある。
寿庵から洗礼を受けたとも、その時は受けなかったがシドッチ神父から受けたとも言われる。
洗礼については諸説が多くて真実は定まらない。

ただし長助、おはるは、絵踏みの記録があるので、表面上はキリシタンを棄てたことになっていたのだが、シドッチ神父との出会いによって心境に変化が生じ、信仰を明らかにした。

審問後の白石の「本国に返さるる事は上策」という上申は叶わなかったものの、緩やかなものであったシドッチ神父の幽閉は 、この長助、おはるの信仰の告白によって大きく変わる。
このときは将軍家宣の病死に伴い白石もまた権力を失い、シドッチを庇うものはいない。

長助、おはるは、地下牢に移されたシドッチ神父と共に、江戸での最後の殉教者となる。 
苛酷な時代の中で、キリシタン山屋敷に関わり続けた人生であった。 
キリシタン山屋敷の記録と共に、長助、おはるの名前が残り、私たちはその哀しみに満ちた生涯を想い、祈ることが出来る。

シドッチを含めたこの三人の江戸での最後の殉教は、1714年正徳四年)。
時代は既に、八代将軍徳川吉宗の時代になっている。

江戸でのキリシタンの記録は途絶え、日本では、潜伏キリシタンとなった長崎の信徒のみが公には知られないままキリスト教徒として存在することになる。


長崎の潜伏キリシタンの存在が知られるのは、幕末の日本に来訪してフランス寺(大浦天主堂)を建てたプチジャン神父と出会う1865年(元治二年)である。


晴佐久神父の新しい赴任先が、上野教会、浅草教会と聞いて、上野のマリア様の事を思い出した。

上野のマリア様とは、(私が勝手に呼んでいるのだが)上野公園の二つの博物館美術館にあるマリア様の御絵のこと。

一つは国立西洋美術館の「悲しみの聖母」
17世紀中期に、カルロ・ドルチによって描かれたもの。

以前、このブログでもテーマにしたことがある。
http://catholicus.blog.jp/archives/2709549.html
http://catholicus.blog.jp/archives/2723200.html

下記の「親指の聖母」との関係性を想うと、西美関係者の方の収蔵品の集め方?のセンスの良さに感心してしまう。

もう一つは、国の重要文化財である国立博物館の「親指の聖母」


「親指の聖母」は、江戸時代中期に日本で殉教した宣教師シドッチの所有物だったもので、博物館の歴史資料としての所蔵品のためか、修復はせず損傷のままの状態で保存されている。

ドルチの「悲しみの聖母」の複製画のようで、構図などは、そっくりだが、手の部分が服に隠れていて親指しか見えないということで「親指の聖母」とも呼ばれている。

「親指の聖母」はカトリック碑文谷教会にもあり、ホームページでは「江戸のサンタマリア」と紹介されているが、こちらはレプリカでシドッチ神父所有の本物ではない。

あくまで本物は東京国立博物館にある。
ホームページによると長崎奉行所旧蔵品と書いてある。

シドッチ神父のジェノバ出発は1703年。
江戸切支丹屋敷での帰天が1714年。

切支丹屋敷廃止よって宗門蔵のキリシタン諸道具などが神田見附内の多門櫓
(不浄倉)に移されたのが1792年。
その後にこの絵は長崎奉行所に移されたことになる。

関連する年譜を見れば
長崎の大浦天主堂での信徒発見は1865年。
東京国立博物館の創立が1872年。
キリシタン禁教令高札の撤去が1873年

そしていま東京国立博物館の館内にある。

驚くのは、江戸時代のキリスト教関連の資料が残っているという所蔵期間の長さ、古さだけでない。

このように目立つキリスト教信仰のシンボルが、弾圧する徳川幕府側の蔵の中に残っていたということ自体が奇跡的に感じるのである。

この運命的な不思議さを想うと、どうしても観たくなるのだが常設展示ではないようでなかなかタイミングが合わずまだ出会えていない。

なんと2014年に特別公開がされていたようだが、見損なってしまった・・・

シドッチ神父帰天300年後の年だった。
これは迂闊だった・・・

シドッチ神父の人生を想うと、もうこれは聖遺物の存在感にも等しい。

次の公開はいつなのだろうか?


晴佐久神父の多摩教会からの異動が発表された。 


「福音の村」ブログで、毎週の説教を欠かさず読んでいたから、 この教会での司祭と信徒の絆の深さがわかるので、多摩教会の信徒の皆さんにとってはこれは辛いだろうなあと思った。

もちろん、司祭の異動は定期的にあるから、いつかは転任があると覚悟はしていたと思うが、思っているのと現実に起きるのとでは違う。

多摩教会ではショックを受けた人が多いとは思うのだが、晴佐久神父を心のよすがにしている人は多摩教会にとどまらないので、地方の人が晴佐久神父のミサに与るという事でも、また晴佐久神父が地方に出かけるという事でも、新しい赴任先は、とても便利な場所ではある。

岡田大司教も、チラッとそういうことを意識されたのかもしれない。

かく言う私も、関西在住なので、東京に出た時に立ち寄り易い場所というのは少し嬉しい。


毎週の主日の晴佐久神父の傑出した説教は、多摩教会の信徒以外は、「福音の村」という素晴らしいブログによって、「毎回のすべての説教をもれなく克明に欠かすことなく」知ることができた。

ただ単に書き起こすだけでもかなり面倒な作業にもかかわらず、この説教ブログは、背景も理解できるようにと、大変細かい注釈まである。
この注釈は本当に徹底していて様子がとてもよくわかった。

このブログを読むことで、晴佐久神父を身近に感じた読者も少なくはないのではなかろうか?

晴佐久神父は「半径3m以内の事で福音を語る」という言い方をしていたことがあったように思うが、「福音の村」ブログは、晴佐久神父が半径3m以内にいる気にさせてくれるのである。

異動先の新教会の説教も、小教区を越えて、ぜひ
「福音の村」ブログスタッフで続けて欲しいとついつい思ってしまうが、それほどにこのブログは職人仕事というか・・・
プロも顔負けという徹底ぶりに敬服する。

晴佐久神父の説教を本当に大切にされているのだろう

晴佐久神父の説教の中身の素晴らしさを讃えるだけでなく、書き起こしてくれた多摩教会の「福音の村」スタッフに、本当に感謝したいと思う。

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