カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

2016年01月

寒いので休日も引き籠りがちになってしまう。

そんなこともあって、年末にレンタルビデオ店の店頭で見かけてしまい、観ようか止めようか迷っていた映画を見た。

「第七の封印」 イングマール・ベルイマン監督の1957年製作のスウェーデン映画。

モノクロ映画なので地味で画面も暗い。

しかも「神の沈黙」がテーマで、死神と対面するという不気味な映画である。 

こういう芸術映画は避けたほうが無難なのだが、それでもやはり好奇心が勝ってしまう。

(以下、ネタバレあり)


中世ヨーロッパが舞台。

十字軍の戦役から故郷へもどった騎士アントニウスだが、 故郷では黒死病が蔓延し、民衆の間では「最後の審判」が噂され、死を間近に感じる空気が満ちている。
騎士は旅の途上で死神と出会い、自らの生命を賭けたチェスの勝負を死神と始めるのだが、勝負はつかない。
チェスの合間に旅芸人の家族など様々な人たちと出会い合流しながら騎士の館へと向かうが、死神とのチェスの勝負はその一行を巻き込んでいく。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%83%E3%81%AE%E5%B0%81%E5%8D%B0_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29


騎士は、終始、神の沈黙に悩んでいる。そして神の存在に疑いを持ってしまうことに悩み続けている。

死神が骸骨がマントを被ったような不気味な姿なのは、騎士の不安な心が映し出されているからだろう。


ニヒリストである従者ヨンスは、死神の誘いを前にして必死に神に祈る騎士アントニウスに対し「いかに嘆き神の慈悲にすがろうとも、そこはだれもいない漆黒の闇だ。」と突き放してしまう。

私は、死神を前にしてでさえ達観できる従者ヨンスよりも、動揺を隠さない騎士アントニウスの方が自然な反応のような感じがした。

しかし動揺する騎士にしても、達観できる従者にしても、いずれにしろ神様を感じることができない。

その騎士アントニウス、従者ヨンスとの対照を成すのが旅芸人のヨフであろう。

冒頭で青い衣を着て冠を被った貴婦人が幼子を連れている姿(の幻)を見たヨフは、その姿を聖母マリア幼子イエズスであると疑わず、すぐさまその喜びを主イエズスを讃える歌にしてあらわすような人物。

ヨフには、妻と幼子がいて、騎士もその母子の姿を見て癒されるのだが、ヨフが見た聖母マリア幼子イエズスと、騎士が見るヨフの妻子の姿は、映画を観る観客にとっては、その姿が重なり合って見える描写になっている。

救いようもなく暗く不気味なこの映画にとっては、ヨフの家族だけが救いになっている。

思っていたより虚無的な映画ではなかったが、やはり私は、この映画のような感覚で、死を捉えたくないという気持ちはどうしても残った。



ところで「死神」と言えば、アイドルグループの「嵐」の大野智さんが主演をしたドラマで「死神くん」というテレビドラマがあった。

大野くんの「死神くん」は、チャップリンのような出で立ちで「おめでとうございます。お迎えにあがりました」と現れるので、全く怖くない。

大層な舞台設定ではない日常的過ぎる日常の中で現れる「死神くん」は、新しい旅への優しい同伴者で、死神というより、お迎えに来た人という感じがした。

しかしコメディーであってもテーマはシリアスで少し考えてしまうところはある。

「第七の封印」には「死神くん」を合わせて観るとちょうどいいのだろう。

【緊急時間変更】(1月16日土曜日19時現在)

下記のミサ開始時間が、緊急で変更になりましたのでお知らせします。

当初、「14時30分から開始」と案内してましたが、「14時」に繰り上がりましたので、ご注意ください。

ミサ前の講話の開始時間は13時30分で変わりません。

(※下記の内容は修正した時間に変えています。)

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1月17日(日)のカトリック北白川教会での特別形式ミサ(トリエント・ミサ)の詳細がわかったので再度お知らせしたい。

今週末の日曜日である。

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「ローマ典礼 ラテン語 特別形式歌ミサ」

1月17日(日)

講話 13:30〜14:00  

"The Holy Mass as prayed in the East and West" (東方と西方で祈られるミサ聖祭)
英語での講話 通訳あり

特別形式歌ミサ 14:00 〜

※聖歌
  入堂   Ave MARIA(カトリック聖歌集541)
  灌水式  Asperges me(カトリック聖歌集501)
  ミサ曲  kyriale VIII「De Angelis」(カトリック聖歌集503)
  クレド  CredoIII(カトリック聖歌集508)
  拝領の歌 Panis Angelicus(一)(カトリック聖歌集527)
  退堂   Alma Redemptoris(荘厳調)

場所 】カトリック北白川教会(京都市)

司式 】 モンシニョール    デビッド・リンク神父様
(米国カリフォルニア、オークランド司教区司祭、エルサレムの聖墳墓騎士修道会騎士)

主催 】  UVJ(ウナ・ヴォーチェジャパン)
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関西でのラテン語ミサの少なさに鑑み、ミサ曲は
馴染み深い「天使ミサ曲」で行なわれることになった。

特別形式ミサは、
ヴァチカンの教令によって勝手に変更することがゆるされないので
「(通常形式での)日本における適用」は該当せず、
原則として、聖変化における跪きや、聖体拝領が口での拝領になるということは、これは事前に知っておいていただいたほうが良いと思う。
ただし跪きにおいては、特別な事情(車椅子の方や高齢者の方など)がある場合は、その限りではないと思う。

新年を迎えて、今年がどんな年になるのか、どんなことをしようかといろいろ考えるが、世の中の動きでは既にあらかじめ予定されているものがある。

今年は、今秋に公開される映画が気になっている。

何年か前からハリウッドで、遠藤周作さんの代表的な小説である「沈黙」を原作にした映画の制作が進められていて完成し、今年公開されるようなのである。

江戸時代初期のキリシタン禁教令下の長崎を舞台としたポルトガル人宣教師の話。

信仰を証しする殉教の話ではなく、棄教の物語である。

内容は重く暗いが、やはり観ないで避けるという選択はできない感じがしている。


若い時分に既に原作は読んだが、映画公開を前にして、もう一度読みかえしてみようかと本を手にとってパラパラとめくりはじめたらグイグイ引き込まれてしまった。
遠藤周作さんはやはり凄い。


主人公の宣教師ロドリゴと長崎奉行の井上筑後守の緊張感のある対面が印象に残っている。

映画では井上筑後守はイッセー尾形さんが演じるらしい。

井上筑後守正重は実在し、江戸のキリシタン屋敷に関係した人物のようだが、「沈黙」の井上筑後守は、「蒲生氏郷に仕えはキリシタンでもあった長崎奉行」という設定におきなおされた。

宣教師に対しいたわりの言葉すらかける温和な表情の年寄りとして最初は描かれるが、しかし筑後守との対面の後、宣教師は、通辞を務める役人から次のように宣告をうける。

「今夜、お前は転んでいる。井上様がはっきりそう申された。今日まで井上様がパードレたちを転ばされる時、このように申されて外れたためしはない」

そして狡智を尽くした悪魔的な方法が、宣教師を待ち受けるのである・・・


この物語の中で、遠藤周作さんは、次のような言葉も井上筑後守の口をとおして語らしめている・・・
 
「パードレは知るまいが、五島や生月にはいまだに切支丹の門徒衆と称する百姓どもがあまた残っている。しかし奉行所ではもう捕まえる気もない。

(〜略〜)根が断たれれば茎も葉も腐るのが道理。それが証拠には、五島や生月の百姓たちが密かに奉じておるデウスは切支丹のデウスと次第に似ても似つかぬものになっておる。

(〜略〜)やがてパードレたちが運んだ切支丹は、その元から離れて得体の知れぬものとなっていこう。日本とはそういう国だ。どうにもならぬ。」

転ばせるのは信徒ではなくパードレでなければならなかった。

根を断てば、得体の知れないものになってしまうのは、禁教令の時代だけではなく、現代でも同じだろう。

ただし現代では、国家権力が根を断とうとしているわけではない。

どこまでが「根」なのかは私には判断できないが、失われつつあるもののなかには、第二バチカン公会議以後、あるいはNICE以後に、教会が自ら根を絶ち、捨て去ろうとしたものもあるのではなかろうか?

私は「日本とはどうにもならないそういう国だ。」とは思いたくはない・・・



前回、1月23日特別形式ミサ in赤羽教会 という記事のタイトルで、お知らせしましたが、

1月23日は、午前10時から  モンシニョール  デビット・リンク神父様の講話と聖体賛美式

1月24日に、午後2時から  ラテン語特別形式歌ミサ

の誤りでした。

どうも失礼しました。

場所は、両方とも、カトリック赤羽教会です。


お詫びと共に訂正します。

前回の記事も修正しました。

あけましておめでとうございます。
赤羽教会

昨年末より、1月のラテン語特別形式ミサに関するビッグニュースが発信がされている。

前回、お知らせした、モンシニョールのラテン語特別形式ミサ(トリエント・ミサ)は、京都、北白川だけでなく、UVJの本拠地である東京でも行われる。

このミサは、場所(会場)に注目。

ゴシック様式の荘厳壮麗な聖堂として東京でも突出した存在感のある赤羽教会で、ラテン語特別形式ミサが行われるというのは、今までになかった事態で、ちょっと心臓の鼓動が早くなるような感じがする。

中世のカトリック教会のミサに与れるような感覚というか、カトリックらしいミサを五感で強く感じることができるミサになるのではなかろうか?

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「ローマ典礼 ラテン語 特別形式歌ミサ」


1月24日(日)午後2時〜

カトリック赤羽教会(東京都北区)

司式 
デビッド・リンク神父様
(米国カリフォルニア、オークランド司教区司祭、エルサレムの聖墳墓騎士修道会騎士)

主催  UVJ(ウナ・ヴォーチェジャパン)

http://uvj.jp/mass/6550/

詳しくは
、ウナ・ヴォーチェジャパンのホームページをご参照ください。
また、赤羽教会への問い合わせはご遠慮ください。
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