カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

2015年12月

すこし遅くなりましたが

主の御降誕おめでとうございます。

拙ブログを、お読みいただいてくださっている皆さんはどのようなミサでクリスマスを過ごされたでしょうか?

御降誕ミサというのはクリスマスのミサなので、暦的に年に一度のミサ。

そういうわけだから、人生の中で与れる回数はせいぜい二桁台でしかなく、
あらためて人生は短いと感じてしまう。

そしてまた御降誕ミサは、普段、典礼聖歌しか歌わないような教会でも、カトリック聖歌が歌われることが多くなるミサで、
私のような信徒にとっては、しみじみしてしまうというかやはり感慨深い。

「あめのみつかいの」
「しずけき」「まきびと」などのクリスマスの聖歌を歌うと、子供の頃の記憶がよみがえるが、単なる懐かしさだけではなく何かで心が満たされる感じがする。


(まだそういうことを言うのかと思われそうだが)やはり私は
「主祷文(天にまします我らの父よ)」と「天使祝詞(めでたし)」の二つの祈りを勝手に廃止された喪失感がいまだに残っていて、子供の頃に歌っていた聖歌を歌うことで
その喪失感を穴埋めできるからだろう。

この喪失感の穴埋めが、今ではカトリック聖歌、天使ミサをさらに越えて、子供の頃でも未経験で本来は未知のミサであった「トリエント・ミサ」まで求めてきてしまっているのはとても不思議な感じがする。

この暦の上で一年に一度の御降誕ミサと同様に、先月の11月22日にあったラテン語特別形式ミサ(トリエント・ミサ)も機会の少なさから関西では 一年に一度あるかないかのミサだったが、そのことはこのブログでも書いた。

驚いたことにそのラテン語特別形式ミサトリエント・ミサ)が、2016年の新年早々、再び行われる。 

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「ローマ典礼 ラテン語 特別形式歌ミサ」

1月17日(日)

カトリック北白川教会(京都市)

司式 
デビッド・リンク神父様
(米国カリフォルニア、オークランド司教区司祭、エルサレムの聖墳墓騎士修道会騎士)

主催  UVJ(ウナ・ヴォーチェジャパン)
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デビッド・リンク神父様は、エルサレムの聖墳墓騎士修道会騎士としての活躍貢献により、モンシニョールの称号をヴァチカンから授与されている。

こういう凄い方が来日し、ラテン語特別形式ミサを捧げてくださるのは、UVJが国際的な繋がりを持っているからなのだろう。

日本のカトリック教会が、「日本における適用」で、どんどん「内向きの典礼」「伝統から離れた典礼」に変わり、世界に対してどこか引き籠ってしまっているような姿になっても、特別形式ミサは海外から次々にもたらされる。

伝統は消えず受け継がれていく。

その為に、
また私は、1月17日も与るつもりでいる。


天のみつかいの うた声ひびく

星影さやかな まき場の空に 

グロリア イン エクシエルシスデオ(Gloria in excelsis Deo)

グロリア イン エクシエルシスデオ
(Gloria in excelsis Deo)

《カトリック聖歌集121番》

「天のみつかい」は「天の御使い」で天使のことだが、お祈り口語化以前の言葉は、やはり奥床しい。 

この「あめのみつかいの」は、クリスマスミサでは定番中の定番の聖歌だが、この曲は、プロテスタント教会では「荒野の果てに」と呼ばれている讃美歌だと思う。
曲名や歌詞が違っても同じ曲を共有できるのは、親しみが湧いていい。
原曲はフランスのクリスマス・キャロルらしい。

あとは「まきびと」「アデステ きたれ友よ」「しずけき」も、絶対必要というか、歌わないとクリスマスのミサに与った気がしない。
この3曲もやはりプロテスタントの讃美歌で共有されているはずだ。

こういう曲を聴いたり歌ったりすると、その国の風土や文化に定着する曲というのは、人為的に創った曲よりも、大衆に愛された曲が自然に馴染むことで、定着した曲になるような気がする。


しかし、このカトリック聖歌集の大定番のクリスマス聖歌は、現在のカトリック教会でメインで使われる典礼聖歌集には載っていない。
典礼聖歌集は、 第二ヴァチカン公会議を経て典礼が国語化される中で「日本人の祈りの心と一致させるためには、日本の伝統音楽の要素を活かす必要がある」という考えのもとに、意図的に日本人作曲の聖歌だけに拘って作曲編纂された聖歌集だからである。
音楽的にも高田三郎さんという著名な作曲家を中心に創られたのでクオリティも高いものであるらしい。

日本人のカトリック信者のために創られた日本人の祈りの心と一致するクオリティの高い聖歌集なのだから、本来ならクリスマスの聖歌もこの典礼聖歌集だけで足りるはず。

ところがどこの教会も、クリスマスでは「あめのみつかいの」のようなヨーロッパで生まれたクリスマス聖歌を捨てる事を出来ずにいる。

原曲がヨーロッパで生まれたもので日本人作曲のものでなくても、 日本人の祈りの心と一致させられるために創られたものでなくても、主の御降誕への願い喜びが込められた曲として愛され、馴染む曲は馴染み、残る曲は残る。

なにもこれは、聖歌のことだけではないのだろう。

典礼聖歌集は、第二ヴァチカン公会議以降の日本のカトリック教会の典礼改革の基本的考えである「日本における適合」のシンボルのような存在。
この葡萄色で横長の聖歌集のことを考えると、「日本における適合」で排除されてきた様々な事の事を想ってしまう。

「あめのみつかいの」「まきびと」「アデステ きたれ友よ」「しずけき」の4曲を全て唄えるクリスマスミサである事を願いつつ、世の中の全ての苦しむ人々を救ってくださる方の御降誕である24日の夜を静かに待つ。 

ボンクリ(幼児洗礼)か?
成人洗礼か?

カトリック信者のタイプを見極める時に、何気なくそういう見極めをしやすいが、この分類はあまり意味がなくなってきているような気がしている。  

長崎のような、ご先祖から代々カトリックという人さえいる信者数のボリュームのあるところでは少し違うかもしれないが、それ以外の地域ではカトリック信者は社会のなかで圧倒的少数派で、子供の頃に 毎週日曜のミサに与ることが習慣であったボンクリも、そのまま習慣ということだけで持続させることは難しいような気がするからだ。

つまり、大人になってもミサに与り続けているボンクリは習慣というだけではなく、神様を求める気持ちのもとに信仰で教会と繋がっていると思うし、信仰に無自覚、教会との絆に無自覚というボンクリは、そもそも毎週ミサに与るような人ではなくなっていると思う。

一方、成人洗礼の人の場合も、20年30年、毎週毎週ミサに与り続ければ、もうボンクリのような古株になっていく。

結局のところ洗礼を受けた時が赤ん坊か大人かということよりも、信仰歴の長さやどのくらい昔の教会を知っているか?という事が信徒タイプの差となっているかもしれない。

もしそういうことならば、試しに定義というか視点を少し変えてみて「プロパー」「ビジター」と呼んでみたらどうだろうか?

小教区の古い信者。小教区にしっかり根ざしている人、小教区への帰属意識が強い人」というのがプロパー。

「小教区にとって(転入も含め)比較的新しい信徒。教派としてのカトリック教会への帰属意識はありミサにも積極的に与るが、小教区への帰属意識は希薄な人」というのがビジター。

タイプの差という事では、このほうが少しイメージできる気がする。

 共同体との一致が、何かと強調される昨今では、ビジターという言い方も存在も、教会的にはあまり適切ではないかもしれない。

しかしやはりビジター信徒は存在する。
実は、私自身も、気質としては自分のことをビジター信徒のように感じている。 

私の場合、ボンクリのくせに長い間ブランクが空いてしまった「放蕩息子」で、いわば教会全体に対しては「リピーター信徒」なのだが、「放蕩息子」になる前は、仕事の事情による引越で度々小教区を変わった事も多かった。
その遍歴の中で、典礼のあり方や、聖堂の設計上の不可解さなどで、なんとなく受け入れがたい小教区を経験してきてしまったから、どうも小教区への帰属意識が弱い。 

正直、良いミサには与りたいが特定の教会の所属にはあまり執着はない。
親睦行事などには興味も関心もないし、時に良いミサ良い説教を求めて、他の教会のミサにも与っている。
やはり私は、ビジター信徒タイプだ。

一方、プロパー信徒の中には、幼児洗礼を受けてからずっと同じ小教区という人もいて、そういう人は所属小教区に対して「私の教会」というような愛着を自然と持っているような感じがする。
「私はこの教会のことはなんでも知っている」というような自信に満ちていて存在感もある。
教会役員を何回も経験して小教区の柱石となり、第二バチカン公会議以後の教会(小教区)の改革刷新の一翼を担って現在に至っている。
信仰共同体としての小教区を支えるのはこういうプロパー信徒なのである。

少しまわりくどい表現をしたが、こういう事を書いたのは理由がある。

共同宣教司牧となっているような主任司祭の存在感が弱い教会になると、こういう信徒模様の縮図が、構造的問題になってくるように思うからだ。

もちろん背景には、価値観が多様化する社会にありながら「共同体への一致」を過度に強調したり、典礼改革を繰り返す日本の教会全体の問題がある。

司祭も信徒も減少している中で、新しい教会というのは少ない。
様々な改革(改悪)を呑み込んで自己納得し小教区をまとめてきた「古い教会の古いプロパー信徒」が、新しいビジター信徒に、ひたすら「司教座への従順と共同体への一致」を求めるという構図になっているのではないか・・・

伝統に揺らぎが無ければ、古い信徒は良き先人であり良き師である。
しかし改革のなかで「従順と一致」のみを強いてくるのであれば、抑圧者となってしまう。

憶測になるが、どちらかと言えばビジター信徒は、人との絆というよりは、神様と私との関係において道を極めたいと思う求道者型信徒が多いような気がする。
典礼改革が進むなかで、今回の「跪き廃止」のような不可解な事が起これば、新しい信徒ならば新鮮な疑問が湧くのは自然なことだ。

信徒の受容性にも限界がある。
抑圧を感じて教会を離れてしまわなければ良いのだが・・・

しかし、私が所属してきた小教区の中には、新しい成人洗礼の信徒が、いつの間にか教会に来なくなってしまうというビジター信徒が根づかない教会が確かにあった。 

今後、イグナチオ教会のように「跪き廃止」を強要するような事が全国の全ての小教区で起きれば、やはり影響が出るのではないか?
福音宣教の実りであるビジター信徒が去ってしまうならば、確実に日本の教会から信徒は減っていく。

いろいろな小教区が多様に存在した方がいい。
迷える子羊となったビジター信徒が、小教区を変わることで教会との絆を保ち続ける事が出来ればそれでいいと思う。

以前このブログで、「綸子地著色聖体秘蹟図指物」について話題にさせてもらったことがあった。

国の重要文化財にも指定されている「綸子地著色聖体秘蹟図指物」とは何か?

長ったらしい漢字の文字からはおよそ想像しがたい、このキリスト教の絵柄の布。

amakusasirou zinntyuuki 11

「綸子地著色聖体秘蹟図指物」とは、島原の乱で天草四郎の一揆軍が用いた陣中旗のことである。

ただ1人生き残った絵師の山田右衛門作が描いたとされているが、祝祭で使われていた旗を軍旗にしたとの説もあり真相はわからない。
焼けたりはせず、ほぼ完璧な姿で残っているが血痕や弾痕がついている。 

およそ軍旗には似つかわしくない静かで均整のとれた図柄。 
細部は粗さがあるものの美しい構図になっている。 

上部にある文字は古ポルトガル語で「LOVVAD SEIA OSACTISSIM SACRAMENTO (いとも尊き聖体の秘蹟ほめ尊まれ給え《文化庁訳》)」と記されている。 

ホスティアやカリスの形が、現代のミサで使われるものと驚く程似ていて 
そして天使が跪いている。

ミサ中の跪きを止める??という話がでている今、この旗の絵柄のことが、頭のなかで何度か思い浮かんだ。 

日本のカトリックの歴史のなかで、キリシタンの時代のことがわかる遺物は少ない。 
特にこの遺物は、西洋社会との繋がりを完全に断たれたキリシタン迫害期のものなのだが、この遺物からも感じ取ることができる信仰の姿というのは、日本人が独自に想い描いたものではない。 
しかも日本語ではない西欧世界の言語で御聖体への想いが綴られている。 

私は、インカルチュレーション(文化的受肉)というものは、創造するものではなく、受け継がれたものを大切にし、そのままに受け継いでいくことで培われていくものだと思っている 

「日本における適応」のために、跪きを止めるという発想は何処かがおかしい。

あたりまえのことだが、ローマとの絆を断ったらローマンカトリックではない。 

跪き廃止の問題に関しては、Benedictusさんも、ブログで書かれているが、この内容に関して私は大変共感した。 
http://blogs.yahoo.co.jp/sacerdosaeternus/48486226.html 


ローマとの絆を決して絶たないということの方が、迫害に苦しめられた、信仰におけるご先祖様の想いに応えることだと私は思っている。 

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