カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

2015年09月

長崎市内の教会は、大浦天主堂、浦上天主堂、中町教会、それと日本二十六聖人記念館を訪ねた。

こういう旅の宿命だが、後半はやはり目が、空間や建物に慣れてしまう。

加えて、旅行記を書くにしては帰ってからの日数が経ちすぎた。
訪問時間の短さや、天候の不順もあったので、正直、記憶が五島ほど鮮明に残っていない。

浦上天主堂は、土砂降りの豪雨に足止めされ、強烈な雨の印象と、列車出発のタイムスケジュールの焦りで集中力が削がれる。

そして日本二十六聖人記念館は、本当に時間がなく30分ぐらい。
手紙が多くあったが、一点一点じっくり読むことができず、これではなんのために立ち寄ったのかという感じに・・・
貴重な資料が豊富にあることがわかったので別の機会に再訪するしかない。

中町教会も後からネットで画像を見て「こんな凄い祭壇だったのか!」と驚く始末で、いったい何を見ていたのかと自分で自分に呆れてしまう。


しかし・・・

それでも大浦天主堂だけは特別な想いがあるので、やはり違った。

日本のカトリック信者にとって、ここはまぎれもなく「聖地」なのである。

浦上信徒発見のストーリーとその歴史的な意味はわかっていたし、加えてさらに、今回の旅行で五島や神ノ島の潜伏信徒のプチジャン神父訪問の逸話を新たに知ったので、一歩一歩の道筋で次々に想いが積み重なり心臓の鼓動も高まる。

しかし現実には建物内は、現在の観光コースに組み入れられた姿では、なかなか「祈りの家」としての静謐の維持は難しいので「この観光客の多さの中で、聖なる空間としての緊張感を感じ取るには修養がいるのだろうな」と、入り口の扉の手前で、ある意味、覚悟?をして中に入った。

ところがたまたまだが、少し思いがけない出来事が起きていたのである。

外国人(南米系?)と思われる20人位のグループがマリア様の御像の前で、誰はばかることなく「テゼの歌」風の聖歌を朗々と歌い、祈っているではないか!

大浦天主堂の、観光施設のような状態とは違う「祈りの家」としての光景、表情を、一瞬だが目撃し体験した。

ささやかだが、これはやはり私にとってはお恵みだった。


訪問を終えた後にだが、「拝観時間を『一般拝観時間(建造物の見学時間)』と『巡礼時間』に分けてもらうわけにはいかないだろか?」と思った。

「巡礼時間」ではなく「祈りの時間」という呼び方でもいい。

観光と巡礼はやはり目的が違うのである。

少し難しいかもしれないが・・・



建物は、荘厳壮麗さにおいてやはり大変美しい。

浦上信徒を始めとする長崎の潜伏キリシタンにとって、大浦天主堂の姿がどのように目に映ったかは、現代人の我々からは想像することしかできない。

おそらく我々の想像を超える視覚による霊的な衝撃」があったのではなかろうか。

「トーマス・グラバーの功績を日本人は正しく評価してこなかったと思うんです。」
また五島から長崎に向かうフェリーの話に戻ってしまうのだが、デッキで海を見ていたときに、話しかけてきてくれた人がいて、その方の言である。

長崎出身だが、今は横浜に住まれているらしく長崎弁ではない。

長崎港内の産業革命遺産を、船のデッキの上から指し示しながらいろいろと教えてくださった。

大変親切で優しい方である。

「グラバーには武器商人のイメージがありますが、そういう単純な人物像だけではなく、近代造船、採炭などの基盤づくりで日本に大変な貢献をしてくれた人なんですよね。グラバーと岩崎弥太郎の出会いが無ければ今の三菱はなく、日本の産業革命が成り立ったかどうかさえわからないです。」

なにか印象に残る話である。

「ほらっ、あそこにチラッと見えるでしょ。あれも世界遺産になります。小菅修船場と言って、蒸気機関を使った日本で最初の近代洋式ドックです。 」

と身を乗り出して指差してくれた先には、古ぼけた桟橋?のような所があって、私にとっては、内心で(これが世界遺産かねえ・・・)と一瞬思ってしまったのだが、そう思いながらも説明を聞いているうちに、次第に興味が湧いてきた。

視点を広げてくださった方に感謝しつつ、幕末から明治にむけての大激動の時代に出会ったかもしれない、長崎の二人の外国人について考えた。

グラバーとプチジャン神父についてである。


大浦天主堂とグラバー邸は、目と鼻の先の距離にある。

時間軸の整合をみなければならないが、距離的にはグラバーとプチジャン神父に接点があったとしても不思議ではない。

スコットランド人とフランス人。どちらかといえば対抗する国家関係のような気もするが、居留外国人もそれ程多くはなかったであろうし、実業家と司祭という立場の違いもある。

グラバーは聖公会だが、やはり300年に近い沈黙を破って日本人のキリスト教徒が現れたことは驚きだっただろう。

その後、流罪となる浦上信徒達の苦難についてどう思っただろうか・・・




私にとって長崎は、カトリック視点で見た「長崎」の存在感が最も大きいけれども、幕末、明治維新の舞台でもある。

くしくも「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」と共に「明治日本の産業革命遺産」も世界遺産に申請されるが、二つの世界遺産の背景となった場所として、長崎にはいろんな顔がある。

知れば知るほど、次々に興味が湧いてくるところだと思った。



旅行から一ヶ月経過しているので長崎の話は、そろそろ話題としては少し引っ張りすぎだが、長崎市内の教会についてまだ何も書いていない。

大浦天主堂、浦上天主堂、中町教会、日本二十六聖人記念館を訪ねたので、次はその話を書き留めておきたい。

このところ、ブログでは五島長崎旅行の旅行記を続けているが今回は少し中休み。 
邦画で、本当に久しぶりにとても良い映画に出合ったので今回はその話題にしたい。

(ネタバレ注意。ストーリーの内容に少しふれます。)


9月からビデオレンタルが始まった「くちびるに歌を」という五島を舞台にした映画の話である。

この映画が今年の2月には映画館で封切りされていたことを、私は全く知らなかったのだが、五島旅行でポスターを見て知って、少し気になっていた。

気分のうえでは、旅行の余韻がいまだに続いているので、美しい五島の海を映像でまた見れればと思ってレンタルビデオを借りて観てみた。

これが想像していた以上にいい映画で、わたし的には大当たりだったのである。 

中学校の合唱部を舞台にした、生徒と新任教師の心の触れ合いを描いた物語である。

美しい五島という舞台のなかで、ストーリーが見事に溶けあっている。

苦しみや悲しみ、重荷といったものまでもが、美しい海の風景、教会の佇まいによって優しく包み込まれ癒されいくような感じというか・・・


監督の三木孝浩さんの演出だろうか?
原作、脚本が良いのだろうか?
ディティールの演出が細かく丁寧である。

海を背景に教会がランドマークになっているような眺め、あるいは主人公の家に「カトリックの家庭祭壇」が、ちょこんとあったりするような、生活のなかにカトリックが溶け込んでいる設定というのがある意味珍しい。
珍しいのはカトリックが日本の宗教別人口比で極めて少数だからなのだが、しかし描き方はさりげなくて自然である。
「教会に入るときに指先に聖水をつける所作」などのディティールが出鱈目ではなく、カトリック目線で見ても違和感はなかった。

主人公の自閉症の兄が「柿の種とナッツをキレイにテーブルに並べ」その傍らで、父親がビールを飲むというようなシーンがあるが、こういうなんていうことの無い描写が場面の印象を強めている。

あるいは「合唱部の練習の仕方」などの描写も細かい。
「ア・エ・イ・エ・ウ・オ・ア〜」という声出しがいまでも耳に残る。

船の汽笛の音も重要な意味を持つ。

そしてベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」が流れるタイミングが大変ドラマティックで、主人公の音楽教師の心が入れ替わる転換点となる。


主人公の三人。
父親が出奔した少女、自閉症の兄を持つ少年。恋人の死によってピアノが弾けなくなった新任音楽教師。それぞれに、心の重荷を背負っている。

教会のなかに出入りして、十字を切る姿から、おそらく三人ともカトリックだが、少し残酷にも思える彼らの重荷は

「私に従おうと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を担って従え」
(マルコ8-34,マテオ16-24)と

「労苦する人、重荷を負う人は、すべて私のもとに来るがよい。私はあなたたちを休ませよう」
(マテオ11-28)

の聖句を思い起こさせる。

五島というところは、やはり本当に美しいところで、「主のもとで休ませてもらえる、癒される」場所としてピッタリの場所なのだろう。

多くの人に、ぜひこの映画で、五島の雰囲気を感じていただけたらと思う。


人も情景もキレイなキレイな映画である。

すこし作られすぎたキレイさだろうか?

いや、チラッとそう思ってしまうのは、現代社会の日常で、やはり病んでいる部分、汚れている部分が目立ちすぎているのかも知れない。


新垣結衣さんが主演。

傑作と言ってもいい。

いや、この映画は、本当に・・・良い。

太鼓判!!


五島列島には、博多から直接フェリーで入ったので、長崎へは五島から船で入る旅程となった。

塩野七生さんの本で、確か「海の都の物語」だったと思うが「海の都を訪れる時は、海から入るのが良い。」というようなことを書かれていた記憶がある。

「海の都の物語」は、地中海の海洋国家ベネチア共和国の1000年の歴史を描いた話。

長崎もまた、日本の歴史における「世界(特に西洋)への窓、出入り口」だったところなので、「海からの長崎入り」というのは、今回の旅程のうえでも少し期待感があった。

期待どうりというか、さらに良かったのは、九州商船のフェリーは、操舵室の下に前方に開けたデッキがあり、ここに立っていると、陸地が見え始める時から「正面、前方」に長崎を見ることができたのである。

うっすらと陸地が見え始めた時は、やはり感動がある。
  フェリー前景
長崎は奥に深く長い港だが、ちょうど港の入り口に、大変美しい真っ白い教会がある。
明治に建てられた教会の一つである神ノ島教会だろう。
一眼レフカメラのような望遠レンズではないので、ズームで大きくしても下記の画像にしかならなかったが、教会の少し右手方向の海に突き出た岩の上に、白い立像らしきものも見えた。
神ノ島教会は、教会のすぐそばの岬に、海を見守るマリア様の御像があるということなので、おそらく間違いない。

もしかしたらコルベ神父やゼノさんも、私と同じく船上からこの教会と御像を見たかもしれない。
神ノ島教会
神ノ島も潜伏キリシタンの里で、信徒発見の浦上信徒同様に大浦天主堂にプチジャン神父を訪ね、教会の歴史が始まった。
下の画像の教会とマリア様の御像の後方(奥の方)に、高鉾島という小島があり、潜伏キリシタン時代にここでの殉教の記録がある。

この後の旅程で、神ノ島教会を訪ねる事は出来ず「海から見た」だけで終わったが、今回はそれで良いと思った。

手当たり次第、訪ねまくるのではなく、もう少し
訪問する教会の歴史を知ってから巡礼した方が良かったかもしれないと五島で感じたからである。



そして、この岬を回り込むように左に曲がると正面に長崎港が広がる。
  長崎港
建物以外の自然の風景は、聖フランシスコ・ザビエルや黎明期の宣教師達も見た眺めである。

日本で初穂となった人達、天正遣欧少年使節、ペトロ岐部、高山右近も、この眺めを見た 。

あるいは信徒発見のプチジャン神父も同じく見た。

この眺めを見ながら、様々な想いのもとに、この港に入り、あるいは出て行ったということを想いながら、やはり日本のカトリック教会の歴史は、長崎が無ければ成り立たたないことを実感した。

上陸してからの浦上天主堂訪問も含め感じたことだが、長崎のカトリックは、他の教区とは明らかに違うということを確信した。

やはり歴史の厚みの違いによるものだが、その歴史というのは、自分たちの身近な祖先の殉教や労苦の歴史なのである。
そういった基盤のうえに築かれた信仰なので、この歴史感の有無が、他教区の教会の風土との著しい違いになっている。

潜伏キリシタンの存在が、聖フランシスコ・ザビエルからの黎明期の歴史と、大浦天主堂での信徒発見以降の再宣教の歴史をつないでいる。

やはり大浦天主堂の信徒発見のもたらした意味の大きさも強烈に感じた。

この「信徒発見」というのは 潜伏キリシタン側からの言葉ではない。
驚いたのはプチジャン神父だけでなく、おそらく潜伏キリシタン側の驚きというものが大変なものだっただろう。

潜伏キリシタン 目線でみれば「教会発見」であって、大浦天主堂の姿をもって、遥か彼方にある聖なる使徒座のローマの存在を確信し、そして又、ローマとの絆を取り戻したと思ったに違いないのである。

長崎は、聖フランシスコザビエルからの初期の宣教の歴史と大浦天主堂からの歴史が完全につながっている。

 そのことがよくわかった旅だった。

こういう風に話をまとめてしまうと、上陸する前に今回の長崎の旅の話が終わってしまうが、上陸してからのことも、次回でも、もう少し書こうと思う。


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