カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

2015年08月

「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産に申請され、現在はその登録待ちである。
地元では、期待と困惑が交錯する。

期待するのは、行政や経済界。
困惑しているのは、教会(対象教会の小教区)や、近隣の人たち。

ということらしい。

中通島で世界遺産申請されている教会は、頭ケ島教会だけということが、そもそも少し不思議な感じがする。

中通島は、五島列島で最も教会が多い島で、充分に世界遺産となりうる佇まいのある文化財教会は、何も頭ケ島教会だけではないのである。

本来なら世界遺産の登録は大変誇らしい事なのだが、そのことに伴って環境が激変することは容易に想像がつく。
申請が絞られている背景には、もしかしたら教会(小教区)のほうに、あまり登録に積極的にはなりたくないような気持ち?本音?があってその意向が反映されているのかもしれない。

現在は聖堂としては使用していないような教会(建物)ならば、文化遺産としてキチンと現状保存できるようにすればいいのでまだいい。
しかし聖櫃があり聖体ランプが光っているような現役の教会(聖堂)の場合は、やはり神聖さを保たなければならない静かな祈りの場所に、ひっきりなしに観光客が訪れて出入りするような状態というのは、地元の信徒の方々にとっては大変キツい・・・
「物見遊山の観光客はご遠慮したい。祈る人が来て欲しい」と信徒が感じているとしても心情的には自然なところだ。

とはいえ中通島では、島で唯一の世界遺産登録候補として、既に頭ケ島教会が選出された。
鉄川与助さんの建てた教会のなかでも数少ない石造り教会で、どこか可愛らしさを感じるような趣きがある教会。
頭ケ島教会遠景
決して大きな教会ではなく、小さな巡回教会で信徒数も世帯数で20世帯ぐらいと聞いた。
世界遺産登録は、この宝石のような小さな祈りの家へ、今後、大量の観光客が訪れる。
マナーについての簡単な掲示はあるが、観光客の方々にマナーを求めても、教会の事を全く知らない観光客にとっては聖櫃がどういうところかという事まではわからない。
そういう観光客がどんどん聖堂に入る・・・
聖堂は無人の状態が多いし、神経質な私は、こういう状態がやはり気になるのである

教会というところは、全ての人に開かれているのが前提だから「観光目的の訪問はお断り」とは言えないし、物見遊山の訪問でも、訪問後になんらかの心の変化が起きるかもしれないというところが難しい。

観光、見物、見学、拝観、参拝、巡礼・・・

それぞれに言葉の定義はあると思うが線引きは難しい。

とはいえ、祈りの家、聖域としての神聖さ静謐さや、僅か20世帯の祈りの共同体の平穏を守る必要もやはりある。
なんらかの工夫を、考えなければいけないと思う。


カトリック教会の長崎教区は、長崎の教会への訪問者への受入れ対応として、NPO法人長崎巡礼センターという窓口を、既に設けている。

やはり「建物を見たい」という目的の訪問は、この長崎巡礼センターのガイドの同行を訪問の条件とするという様な制限が、対策としてあってもいいのかもしれない。

巡礼センターのキャパシティに限界があるとしたら、地元の教会の事情に精通しているタクシー会社の案内でもいいと思う。
教会をよく知らない観光客が、ガイド無しで単独で出入りするよりもはるかにいい。
私たちの訪問はタクシーの運転手さんのガイドだったが、教会群がある文化背景、建築的なポイントだけでなく、カトリック教会の事(例えば聖体ランプの意味など)も大変よくご存知だった。
郷土の遺産として、教会群を愛してくださっているという気持ちも伝わって信頼感があった。
さりげなく教会訪問の心得を伝えてくださると思う。

訪問可能な時間や曜日を限定し訪問時間を制限するということがあって良い。
いまでもミサの時間は訪問をご遠慮しているのだから・・・

観光、巡礼、教会の平穏。それぞれにうまくバランスをとれるような対応策が図られることを願いたい。


とここまで書いて、何か私の場合は、「教会の状況が変わってしまう」ことがあると、敏感に反応し、すぐそちらに視点が移ってしまうということに気づいてしまった。

典礼の改変が続き、多くの事が安定せず定まらない日本のカトリック教会の現状へのストレスで、おそらくこれは私のクセになってしまっている見方なのだろう・・・



五島には52の教会があると聞いた。

長崎教区のホームページで五島の教会数を数えたら50だったが、数に違いがあるのは、教会としては使用せず、しかも同一敷地に新聖堂がない旧聖堂(例えば世界遺産候補の野首天主堂)などがあるから、それで52ということなのかもしれない。

NPO法人長崎巡礼センター発行の巡礼手帳によると、巡礼地は53箇所。
これはキリシタン洞窟などが含まれるためだ。

五島だけで53箇所なのだから、長崎全域の巡礼というのはかなり大変。
2〜3日で回れるようなものではなくお遍路さんと同様の大巡礼なのである。

今回五島で訪ねたのは中通島だけだが、中通島だけで29の教会があるので、五島でも最もカトリック密度の濃い島に行った事になる。

とはいえ、島民のカトリック信徒の人口比率は15%ぐらいらしい。
道路を車で走れば、よくある新興宗教の教会も見かけたし、エホバの証人の教会も車窓からチラッと見えたような・・・
墓地をよく見かけたが、仏教の普通の墓も多い。
カトリックの島というイメージを持っていたが、思っていたよりも「普通」に見える。 

しかし、日本全体のカトリック信徒の人口比率である0.4%と比べれば、30倍である15%という比率はやはり大きな違いで、さほど賑やかではなさそうな集落でも、東京の都心にあるような、そこそこの大きさの教会がある情景というのは驚きだった。

小さな集落の中に、文化財としての価値がある古く立派な煉瓦造り聖堂が、少し目立つような感じで建っている。
こういう情景というのは、他ではなかなか見られない情景で、佇まいが素晴らしく、大変美しい。

五島は、聖フランシスコ・ザビエルの時代の宣教黎明期のキリシタンの子孫というよりも、江戸時代中期に長崎外海から移り住んだ潜伏キリシタンの子孫が多いらしい。
島のなかでも、少し奥まったところに教会が多いのは、外海からの移住者の定住地と関係があっての事かもしれない。

五島でのキリシタン迫害は、明治初期に行われ「五島崩れ」と呼ばれている。
「牢屋の窄」という弾圧事件は大変痛ましい話で、私はとても辛くて書けないので、以下のURLなどをお読みいただけたらと思う。
http://www.city.goto.nagasaki.jp/sekaiisan/goto_churches/rouyanosako/detail.html

五島キリシタンの復活も、やはり大浦天主堂のプチジャン神父の存在がある。
17歳のガスパル与作が舟で長崎に渡り、大浦天主堂に参ったという。
「信徒発見」「浦上四番崩れ」と非常によく似ている。
五島巡礼というのは、建造物としての古い立派な聖堂に出合えるというだけでなく、このような歴史に触れて、その当時の人の生き様や思いを知る旅でもある。


潜伏キリシタン時代のままの「カクレ」の信仰を守っている集落もある。
非常に小さな共同体らしく、今のままの姿での継続は困難な状況に差し掛かっているらしい。
この「カクレ」信仰の集落が存続しているエリアは、やはりカトリックも密度の濃い地域。

ネット検索で、この地域の「隠れキリシタン」についての朝日新聞の特集記事を見つけた。
カトリック側のシスターへのインタビューで「何代前からカトリックに変わられたんですか?」との記者の問いに、シスターは「始め(先祖)からずうっとカトリックです。」と返答している
つまり、禁教時代は、禁教令によって隠れキリシタンの状態にならざるを得なかったということであり、「カクレ」の人たちもまだその状態が続いているが本質的に同じという見方なのである。
「潜伏キリシタン」「カクレ」「カトリック」それぞれの関係性を、この言葉で、私もシンプルに理解出来たように感じた。

潜伏キリシタンであった先祖や「カクレ」の霊的兄弟姉妹との絆の深さを感じる。
殉教者をも生んだ先祖からの信仰を受けついでいる五島カトリックの信仰というのは、骨太で根が深い。
やはり私など足元にも及ばない・・・

もっとも、島のカトリックの29教会のほうも、大きい教会ばかりではなく、民家を改装した非常に小さな教会もある。
「カクレ」集落存続地域からもそれ程遠くない、この民家改装教会のマリア様の御像は、信徒の手彫りによるもの。
手本であるヨーロッパ製の御像を見ながら彫ったにもかかわらず、日本人のふくよかな母親の顔になってしまったということが、語り草になっているらしい。
拝観したが、確かに、なんとも言えないふくよかさ、優しさに満ちていて、とても存在感がある。
奇抜さはない。一目でマリア様とわかるオーソドックス御像なのだが、確かに微妙に顔立ちが 違う。
この「微妙さ」が神秘的で、そこが五島らしさということなのかもしれない。
大変、印象の残るマリア様だった。


当然、世界遺産候補の頭ヶ島教会を始め、鉄川与助さんの手掛けた、青砂ヶ浦、大曽、冷水、旧鯛ノ浦などの文化財としての価値がある教会は訪ねたが、このような小さな共同体の小さな教会を訪問出来たことも良かった。

実は、文化財教会の方も、こちらはこちらで大変になっている。

話があっちこっちに飛び跳ねてしまうが、次回は、この話について書こうと思う。

Wikipediaによれば、聖地巡礼には、2種類の型があるという。

一つは、一箇所の目的地を真っ直ぐ目指す直線型

もう一つは、複数の巡礼地を順番にまわる四国のお遍路さんのような巡回型。 

カトリックの場合は、ローマやエルサレムを念頭におけば「直線型」のようにもみえるが、ルルドなど他の聖地もいろいろあるからどうなのだろうか?

もっとも、カトリックの巡礼は、外国に行かなくても日本国内でもできる。
日本のカトリックは信者数も少ないし存在感も弱いが、歴史的に見れば、世界史にも残る程の過酷なキリシタン弾圧迫害があったので、日本国内の殉教地は巡礼地に相応しい。

殉教者数は、実ははっきりしない。
4万とも、10万とも、30万とも言われる。
この人数に天草島原の乱の死者数が、含まれるか含まれないかということでも説が分かれる。
天草島原の乱の死者数も、2万7000とも、3万8000とも・・・


殉教については、キリシタン史の中心にある長崎もまた殉教地である。

26聖人が殉教した西阪の丘は、JR長崎駅の近くで、展示内容が非常に充実している26聖人記念館がある。
そしてまた、日本人のカトリック信徒であるならば、キリシタンの時代と明治の再宣教の時代を結ぶ源流として大浦、浦上の二つの天主堂は訪ねなければならない場所だと思う。 
26聖人記念館、浦上天主堂、大浦天主堂をまっすぐ目指せば「直線型」の巡礼になるのかもしれない。

一方、五島列島にあるような再宣教の直後に建てられた教会群は、潜伏キリシタンが、キンシタン禁教令の撤廃後に、大変な苦労のもとにそれぞれの地域、土地に「信仰の証」として建てられたもの。
いわば、聖フランシスコザビエルが日本に直接蒔いた種から育った麦穂で、「本流の血筋」と書く表現が軽いが、450年の歴史の重みとともに、どっしりとその地に根を生やしている重みがある。
こちらは、それぞれの教会を一つ一つ回わりながらその苦難の歴史に想いを寄せ、その心を受けついで いく「巡回型」の巡礼になるのかもしれない。

関西からは遠いので、なかなか長崎や五島までは行けないのだが、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録が確定されてしまえば、「巡礼」よりも「観光」で、騒々しくなってしまいそうで、少なくとも五島にはとにかく行きたいという想いもあり、 ついにこの夏休みにおもいきって五島と長崎市内を訪ねた。

本当は、西海外海、平戸生月、島原、天草(熊本県)も周りたいところだが、そこは、日程的にも予算的にも無理があり仕方が無い・・・

しかし、限られた場所と時間であったにもかかわらず、長崎、五島という濃密なカトリックの聖地の空気を直接吸って得られた経験というのはやはりとてつもなく大きかった。

少しづつ次回から、ブログで書きとめていきたいと思う。

どの話から書き出そうか・・・

多過ぎて迷う・・・


たまたまJRの電車の吊り広告を何気なく見ていたら、「いのちのセミナー」というセミナーの広告があって、上智大学グリーフケア研究所という言葉が目に入った。

グリーフケア研究所というのはJR西日本あんしん社会財団というところからの助成で、聖トマス大学に設立された研究所らしい。
聖トマス大学は縮小方向にあるようで、それで上智にこの研究所を移設したらしく、なんで大阪の梅田に上智大学のサテライトキャンパスが出来たのかという理由が、初めてわかった。

グリーフケアというのは「『悲嘆』に苦しむ人への心のケア」ということらしい。

鉄道会社が、グリーフケアに助成するというのは、表面的にはピンとこないが、その背景には大惨事となった福知山線の大事故がある。

その反省として、このJR西日本あんしん社会財団が設立され、その助成によって上智大学のグリーフケア研究所が「『悲嘆』と向き合いケアをする為の研究」を行う・・・

JR西日本という会社にとっての、あの大事故のダメージの大きさを感じるとともに どのように受け止めたかということがわかって、その真摯な企業姿勢の背景に「誠実」「 律儀」といった 日本人社会の良さを見るような感じがした。

そしてまた、おそらく社会が最も宗教に対し求めているであろうと思われる本来の課題に対し、上智大学を通じて教会にその役割が求められ、そしてその要請に応えている。

こういうことが進んでいたことを全く知らなかったが、とても良い印象を持った。


このところコメント欄で「佇まい」について話していたが、このグリーフケア研究所の
所長の高木慶子さんはシスターで、まさに「佇まい」があるお顔。
グリーフケアの現場というのは、おそらくメンタル的に大変過酷な現場であることは想像に難くないにもかかわらずである。

シスター高木は、驚いたことに、なんと浦上四番崩れのときの高木仙右衛門が曾祖父らしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E4%BB%99%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80

表面的には、苦しみや悲しみに目を向けず忌み嫌うかのごとくスルーしているような現代社会だが、様々な事故、事件による大きな「『悲嘆』に苦しむ人」が必ず存在する。
いや、事故、事件に遭遇せずとも、どんな人の人生においても必ず「悲嘆」がある。

その現代の「悲嘆」に、理不尽で過酷な弾圧迫害を受けた浦上信徒とが線と線で繋がる。
いわば浦上信徒の DNAが、現代の『悲嘆』と向き合う「神様の道具」になっている・・・

「神様のみわざ」
ということを思わずにはいられなかった・・・


電車の吊り広告に「神様のみわざ」を見るような不思議さ・・・

トマスの前に現れ、傷口に触らせた主イエズスを見るようで、私にとっては「たまたま偶然に視界にとびこんできた小さな奇跡」をまた感じた。



「君が教会を理解するのは、そこで跪いたときだと思う。」

ラインホルト・シュナイダー

YOUCATより引用


ラインホルト・シュナイダーという人は、近代ドイツの反ナチズムの作家、思想家らしい。

YOUCATは、2年前の2013年に発行された青年向けのカテキズムだが、上述の言葉以外にも、跪きの意味ついての 記述がある。

シュナイダー氏の言葉を受け止めるならば「跪かない信仰では、教会を理解できない」ことになるが、日本のカトリック教会では、本年12月の待降節からミサでの跪きは行わないことになりそうだ。

シュナイダー氏や、その言葉を引用するYOUCATが間違っているのか?

もし、本当に12月からミサでの跪きを控えることになるのならば、信徒のこの疑問への答えが必要だと思うが・・・


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