カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。

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・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。

2014年11月

主日のミサは、基本は日曜日の午前中に行われるが、教会によっては、前日土曜日の夜にもミサがある。

土曜日でも日没後は主日になるので、日曜日に仕事がある人への配慮だろう。


先日、久しぶりに土曜の夜ミサに与った。

夜なので雰囲気が違う。

ロウソクの煌めきがいい。

参列者も少ないし、静かでゆったりした感じがある。

少し驚いたのは、聖体拝領で口拝領の人が多かったことだ。

20〜25人ぐらいのミサで5〜6人はいたような・・・

以前、名古屋の布池カテドラルで、ミサに与ったときに口拝領の人が多さに驚いたことがあったが、あのときも、土曜の夜ミサだった。

もしかしたら、同じ小教区のなかでも、日曜日と土曜日では、文化?が違うのかもしれない。


正直言って小教区では、ミサに対する想いや緊張感というのは信徒によって個人差があるし、教会行事はミサだけではないので、ミサ以外の事に気持ちが向いているとしか思えない人も少なからずいるのである。

どうやらミサに対する信徒の想いの強さというのは、ミサの雰囲気に現れるようで、もしかしたら土曜日の方が、その波動が強いのかもしれない。

やはり「良いミサ」に与りたいという気持ちは自然な事で、その気持ちが通じ合うところでは喜びがある。

土曜日のミサの方が、私には合っているように感じた。


ところで、最近になって、カトリックアクションやウナ・ボーチェとは別のところで、ラテン語ミサが起きようとしていることを知って正直驚いている。

「良いミサ」を求める人が多いということなのだろう。

ラテン語ミサというものは「良いミサがありますよ」という旗振り、シンボルになっているような気もする。

高倉健さんが亡くなった。

映画製作者、演出家によって、若干の幅はあるものの、「ストイックで寡黙」「喜怒哀楽を表情に出さない」「実直で虚勢を張らない」「人の重荷を背負い辛さに堪える」という理想化された日本人の男の典型を、健さんは偶像として作り上げた。

同一の人物像、型を演じ続けたので、その存在感は突出している。

「健さん死んだのか・・・」という空虚感・・・

この空虚感は、同様に同一の人物像を演じ続けた渥美清さんが亡くなった時のように大きい。

寂しい・・・

もう亡くなってしまったという喪失感のために、立ち姿を思い出しながら妄想が拡がる。

健さんの場合、極めてストイックな男性像だったので「修道士を演じても似合っただろうな」なんてことを思った。

あくまで神父ではなく観想修道院の修道士。
出演作が、北海道が舞台になる映画が極めて多かったので、函館のトラピスト修道院がイメージとして登場する。

健さんが、フード付きのフランシスコ会風の修道服姿で、小雪がチラつくなかで
農作業をしている様な情景。

少し事情がありそうな修道士のヒューマンドラマができそうな気がする。

私はそれほど違和感が無いような気がするが、クリスチャンではない人ならばどう思うか?

はたしてしっくりくるか?
それとも違和感があるか?

ご冥福をお祈りしたい。




ところで、全く関係ない話になるのが、日本の司教協議会から「日本におけるミサ中の聖体拝領の方法に関する指針」という教令がだされた。


http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/20141130.pdf


2014年11月30日から発効する。

原則として立って拝領する・・・(中略)・・・しかながら、ひざまずいて聖体を受けるこ と望む信者に対して、そのことだけを理由に聖体授与拒むこはできない 」

ということらしい。

今年の荘厳司教ミサの意向は「東京カテドラル献堂50周年を記念して」だった。

第二バチカン公会議が行われていた時からも、およそ50年。

荘厳司教ミサも、今年で24回目。

25周年には1年少ないが、四半世紀の区切りの25年に近いということを思うと、24回の重みを感じる。

司式の司祭団も、毎年恒例の顔ぶれが少し 変わり、今年はラテン語典礼現役世代の司祭が減った。

しかし修道会や宣教会によって、このミサを
継承し支えていただいているようにも感じる


岡田大司教も、ラテン語典礼現役世代ではない

そんなこともあって、正直なところ、ラテン語は、あまり流暢とは言いがたい。

しかし、ラテン語がもたらす典礼の豊かさを復興させるために、素直な学びの姿勢を示されている姿には
謙遜の徳を感じる。
私は、素直に尊敬と感謝の気持ちが起きる。


日本のカトリック教会内では、
ラテン語典礼は、もはや懐古するには歴史が流れすぎたのかもしれない。

荘厳司教ミサがある東京や、歴史の重みがある長崎は違うかもしれないが、他の教区ではラテン語典礼は断絶したに等しく、グレゴリアンを唱った事がない信徒がゴマンといる。

「どこの小教区も、祭日のミサは、天使ミサ(アンジェリスミサ)を行っている」というぐらいの残り方であれば、まだ懐古することもできようが、現実には、その天使ミサですらほとんどないのである。


グレゴリオ聖歌は唱えなくて当たり前。断絶したようなものなのだから・・・


ためらわず カナ読みで良し グレゴリアン

などと、カトリック川柳をつぶやいたりして・・・



カナ読みだからこそ日本らしいと達観するのも良し。

ヴァチカンのミサのような、流暢で美しいラテン語を目指すも良し。

日本の教会においては「 もはや、ラテン語やグレゴリオ聖歌は、懐古ではなく新しく新鮮な学びなのではなかろうか?」と、ふと思った。

先週の土日は、11月8日に荘厳司教ミサ、9日にUVJの特別形式ミサ(トリエントミサ)があり、東京でミサに与る地方在住者にとっては、絶妙の滞在スケジュールとなった。

8日と9日の両方ともミサに与かったが、さすがに「ラテン語ミサを二日連続で」というのは、今までにない体験だった。

荘厳司教ミサは、初めて与かったときから、今年は5回目になる。

相変わらず私のラテン語はさっぱりだが、UVJの特別形式ミサも経験してきたことで「ラテン語ミサの雰囲気には慣れた」と言えるかもしれない。

「雰囲気に圧倒される状態」から「
なんとなく雰囲気を味わえる状態」になってきたというところだろうか?

荘厳司教ミサの入堂の時の聖歌は、毎回、「 Veni Creator 」「 Ave Maria 」「 Christus Vincit 」なのだが、この三曲のおかげで、始まりの時点でもうすでに、気持ちがかなり高揚する。

参列者のなかには、立っているのがやっとという感じの、もうかなりのご高齢のご婦人の姿もあった。
この方の傍らには歩くための補助具のようなものが見えたから、介護者に伴われての参列であったのではなかろうか?

私にとっては、寝たきりの状態となっている父の姿や、10年後ぐらいの母の姿として、イメージが重なる。

なんとかようやく立っているという立ち姿そのものが、まるで「 Veni Creator 」を身体で唱うというか、表現している感じで、信仰の一途さを垣間見るようで、いきなり涙腺を刺激する存在感があった。

Veni Creator Spiritus,
Mentes tuorum visita:
Imple superna gratia,

Qui diceris Paraclitus,
Altissimi donum Dei,
Fons vivus,ignis,caritas,
Et spiritalis unctio.


創造主たる聖霊来り給え
御身の信者の心に訪れ給え

超自然の恵みもて、御身の造り給える胸を満たし給え。

御身は、慰め主、いと高き神の賜物、生ける泉、火、愛、
及び霊油を注ぐ御者と呼ばれ給う。


(日本語訳) 

「 Veni Creator 」は、ラテン語の響きが美しいというだけではなく、その訳文を読めば「切々と聖霊の訪れを願う」美しい祈りであることがわかる。

そしてメロディは、大変穏やかで優しい。

上昇する飛翔感というより、静かに何かが舞い降りるような感じがする。 

「聖霊が歌声となって舞い降りる」ような感覚。
あのご婦人もおそらく同じような感覚を体感されたのではなかろうか?

この瞬間を味わうだけで、荘厳司教ミサに与る価値は充分にある。

今回の荘厳司教ミサに与ったことで、私のなかで Veni  Creator 」は、あのご高齢のご婦人の立ち姿のイメージによって一途で無垢な信仰を想う聖歌になった感じがする。

この二日連続のラテン語ミサの体験で、感じることはとても多かった。
次回も、もう少し書き連ねようと思う。


「グレゴリオ聖歌とラテン語による荘厳司教ミサ」が、
来週の土曜日(11月8日)東京カテドラルで行われます。

年に一度の機会になりますので、どうぞお見逃しなく!

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第24回荘厳司教ミサ

■場所: 東京大司教区カテドラル関口教会聖マリア大聖堂

■日時: 2014年11月8日土曜日 

 ・開場 14:00〜

 ・連祷 14:40〜 (諸聖人の連祷)

 ・ミサ 15:00〜

■主催: カトリックアクション同志会

■主司式: ペトロ 岡田 武夫 大司教(東京大司教区 教区長)

■共同司式: 駐日ローマ法王庁大使  ジョゼフ・チェノットゥ 大司教他 司祭多数(予定)

■ミサの意向: 東京カテドラル献堂50周年を記念して


今年のミサ通常文聖歌は、
カトリック聖歌集503番(天使ミサ聖歌)です!!



極めて長い残響音7秒の東京カテドラルにおいて、

5〜600年前から唱い続けられてきたラテン語聖歌
を、

100名を越える聖歌隊、約1000名の参列者と共に唱い、

その素晴しさを体感できる貴重なミサになります。


皆様 どうぞふるってご参加ください!!

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