主日のミサは、基本は日曜日の午前中に行われるが、教会によっては、前日土曜日の夜にもミサがある。
土曜日でも日没後は主日になるので、日曜日に仕事がある人への配慮だろう。
先日、久しぶりに土曜の夜ミサに与った。
夜なので雰囲気が違う。
ロウソクの煌めきがいい。
参列者も少ないし、静かでゆったりした感じがある。
少し驚いたのは、聖体拝領で口拝領の人が多かったことだ。
20〜25人ぐらいのミサで5〜6人はいたような・・・
以前、名古屋の布池カテドラルで、ミサに与ったときに口拝領の人が多さに驚いたことがあったが、あのときも、土曜の夜ミサだった。
もしかしたら、同じ小教区のなかでも、日曜日と土曜日では、文化?が違うのかもしれない。
正直言って小教区では、ミサに対する想いや緊張感というのは信徒によって個人差があるし、教会行事はミサだけではないので、ミサ以外の事に気持ちが向いているとしか思えない人も少なからずいるのである。
どうやらミサに対する信徒の想いの強さというのは、ミサの雰囲気に現れるようで、もしかしたら土曜日の方が、その波動が強いのかもしれない。
やはり「良いミサ」に与りたいという気持ちは自然な事で、その気持ちが通じ合うところでは喜びがある。
土曜日のミサの方が、私には合っているように感じた。
ところで、最近になって、カトリックアクションやウナ・ボーチェとは別のところで、ラテン語ミサが起きようとしていることを知って正直驚いている。
「良いミサ」を求める人が多いということなのだろう。
ラテン語ミサというものは「良いミサがありますよ」という旗振り、シンボルになっているような気もする。
土曜日でも日没後は主日になるので、日曜日に仕事がある人への配慮だろう。
先日、久しぶりに土曜の夜ミサに与った。
夜なので雰囲気が違う。
ロウソクの煌めきがいい。
参列者も少ないし、静かでゆったりした感じがある。
少し驚いたのは、聖体拝領で口拝領の人が多かったことだ。
20〜25人ぐらいのミサで5〜6人はいたような・・・
以前、名古屋の布池カテドラルで、ミサに与ったときに口拝領の人が多さに驚いたことがあったが、あのときも、土曜の夜ミサだった。
もしかしたら、同じ小教区のなかでも、日曜日と土曜日では、文化?が違うのかもしれない。
正直言って小教区では、ミサに対する想いや緊張感というのは信徒によって個人差があるし、教会行事はミサだけではないので、ミサ以外の事に気持ちが向いているとしか思えない人も少なからずいるのである。
どうやらミサに対する信徒の想いの強さというのは、ミサの雰囲気に現れるようで、もしかしたら土曜日の方が、その波動が強いのかもしれない。
やはり「良いミサ」に与りたいという気持ちは自然な事で、その気持ちが通じ合うところでは喜びがある。
土曜日のミサの方が、私には合っているように感じた。
ところで、最近になって、カトリックアクションやウナ・ボーチェとは別のところで、ラテン語ミサが起きようとしていることを知って正直驚いている。
「良いミサ」を求める人が多いということなのだろう。
ラテン語ミサというものは「良いミサがありますよ」という旗振り、シンボルになっているような気もする。