カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
・現在の日本のカトリック教会は「伝統の断絶」「偏った政治指向」があると感じています。
・特別形式ミサ(伝統様式のラテン語ミサ/トリエント・ミサ)の実施に参加しており、不定期な開催の場合は、その告知を行います。

2014年08月

ブログの最新記事で柏木哲夫さんの対談番組のことにふれましたので、2013年6月8日に書いた関連記事を再更新します。

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先々週の土曜日、ほんとに偶然だったのですが、NHKのEテレで「こころの時代」という対談番組を見ました。大変印象に残ったので今回はその話です。

出演なさったのは金城学院大学学長でホスピス医でもある柏木哲夫さんという方。
柏木さんは、淀川キリスト病院で日本でのホスピス医療の先端を担った方で、40年近く、患者さんの看取りを続けてこられました。

やはり、常時、死と向い合ってきた経験から発する言葉の重みというものがあるんですよね。

「生と死は表裏一体。人は常に死を背負っている」


人は漠然と「死は人生の先にあるもの」として先のこととしてとらえがちなのですが、一枚の紙が風にあおられて反転するように、突然死を直視しなければならないことが往々にしてある。多い。ということなのです。
常に背中に死が貼付いていると思わないといけないみたいで、ちょっとしんどいですが。

「どうしても死という現実を受け入れられない受け止められない人がいて、その苦しみを癒しきれない。体の痛みはなんとか除くことができても、心というか、魂の痛みのようなものに対しは除くことができない。医療ができることには限界があるんです。せつない看取りです」

と語られます。
なかなか死というのは自分の事では想像できませんが、魂の痛みは怖い感じ・・・

ところが驚くことに、なかには完全に死を達観する人もいるらしい。

「死は旅立ちで家族との再会を確信している人がいるんです。家族に『じゃあ行って来るね』と言って、となりの部屋に行くかのように亡くなられた方がおられました。」


全く違う死の迎え方があるということなのです。

「人は生きてきたように死んでいく」

そういうことをあまり考えてこなかったような・・・

「せめて1年に一度は、自分の死について考えた方が良いと思いますよ」

とのことでした。

他にもいい話がたくさんありました。

番組放映後のご紹介というのも何ですが、偶然の視聴だったのでご容赦ください。

再放送がまたあるかも知れないのでいちおうURLをご紹介します。

http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2013-06-01/31/23632/




以前、NHKの「心の時代」という番組で、淀川キリスト教病院でホスピス医をなさっていた柏木哲夫さんの対談番組を観たことがあったのだが、とても良い話だったので今でも印象に残っている。

というか、現在、私が抱えている大きな悩み事の一つに直結している話なので、印象も継続しているのかもしれない。

それ以来、ホスピスのことが気になっていて、聖ヨハネ会桜町病院のホスピス立ち上げにかかわられた山崎章郎さんが書かれた「家で死ぬということ」という本を読んだ。

前半は、「聖ヨハネホスピス」の話。

ホスピスとはどういうところか?
緩和ケアとはどうあるべきか?
「尊厳をもって迎えられる死」のための治療、ケアの在り方が、具体的な事例で示され、もしかしたらというか、いつかは患者になる可能性がある側の人間の1人として「死に支度」のための情報として、とても参考になった。

施設も素晴しい。

http://www.seiyohanekai.or.jp/sakuramachi-hp/shospice.html

ホームページでわかる、目に見えるアメニティの良さ、施設の素晴しさは、外面がいいということだけではない。

「緩和ケアとはこういうものだ」という考え方、理念を、具現化するものであり、患者への心配りのひとつとして目に見える形で現れていると見るべきであろう。


しかしホスピスという施設は末期ガンの緩和ケアを対象にしているため入院者は限定される。
このことは極めて悩ましい。

ホスピスケアの考え方を、あらゆる人の終末期医療の普遍的な姿にするために、山崎さんは在宅ターミナルケアの為の在宅医を始められた。

その話が、後半の話になる。

「自立(自律)と尊厳を守るためのターミナルケア」ということを模索し、日々奮闘し続ける姿に頭が下がる。

私たちは患者の立場になっていくわけだが、自らのターミナルケアに関するエンディングノートを、書き残すことが、残される家族や医療介護従事者の苦労を取り除くための最低限で最上の方法と思い始めた。

認知症末期になってしまうと本人の意思確認ができないからだ。

ターミナルケアにおいて、AHN(又はANH。人工的な水分栄養補給 胃瘻などをさす。)差し控えの是非で家族や医師を大変悩ませることになる。

特に救急搬送される場合は救命最優先で、意思確認無しにAHNが始められることが多いらしい。

認知症患者の場合は、AHNが外れない(患者が外そうとすることを回避する)ために、手首の拘束を行うことがある。というより、そういう処置を行う状況を極めて招きやすい。

延命をすることができても、僅かに体を動かすことまでも制限される状況が、本人の尊厳を守っていることになるのかどうか・・・

一度始めたAHNを止めるか否かということは、大変悩ましく重い問題である。

「AHNをしない自然死か」「AHNを行い続けるか」終末期医療の現場では、どちらかの死にかたを選ばなければならない。

極めて老衰死を迎えにくい時代になってきている。

そういう意味でも、柏木哲夫さんが言われるように「一年に一回、誕生日に自分の死を考える。」必要があるのである。


抱えこんでいる悩み事で気が晴れない日々が続いている。

夏休みに、少し気分を変えるために、教えてもらっていた韓流ドラマを観てみた。

「野王〜愛と欲望の果て〜」というドラマを3〜4話程度。

これがなかなか面白い。

登場人物の人間関係が複雑なうえ、ストーリーも込み入っているのだが、急展開する話の妙が、ドラマに惹きつけられるポイントになっている。

二人の男女の愛憎劇。

「愛と献身に対する裏切り。裏切りの結果が悲劇へ。そして復讐へと向う」
詳しくは下記URLのあらすじをご覧あれ  
http://www.tv-tokyo.co.jp/yao/story/episode17.html

という感じ。


あらすじを文字だけ読めば、なんともドロドロした話だと思われるかもしれない。

しかし実際にドラマを見ると何故か惹き込まれる。

愛と憎しみは表裏一体。

復讐が消えて愛をとりもどすことを、どこかで視聴者は期待させられているからではなかろうか。

韓国人の気質として、やはり喜怒哀楽の情動の強さがあると思うのだが、騙し騙されという展開が続くからか二人の主人公は無表情であることが多い。

しかしその無表情さは、激しい内面のエネルギーを隠し封じ込めようとする仮面だ。

韓流ドラマも、喜怒哀楽の表現の仕方が単純ではない複雑な表現になってきているのだろう。



ところで韓国といえば、先般、フランシスコ教皇が韓国を訪問された。

元従軍慰安婦の老婆と面会されたことが話題となっている。

従軍慰安婦問題については、問題の発端となった朝日新聞の記事捏造が明らかになったが、強制連行ではなかったとしても、望まない苦役を強いられた女性たちの苦しみと悲しみを受け止めることは大切なことだ。

しかし、背負い続けた悲しみは70年にも及んで、怒りとなって彷徨い続け、日本国の全てに、現在の私たちにも向けられている。

私たちは、その怒りの矛先にあって立ち尽くすしかない。


フランシスコ教皇はミサ説教で次のように話された。

「イエスの命令に忠実であるとき、わたしたちは天の父が、『わたしたちも人をゆるすように』、わたしたちの罪を日々ゆるしてくれるように願います。もしわたしたちがこれをできないなら、どうして誠実に平和と和解のために祈ることができるでしょう。 」

「イエスは、ゆるしが和解へと通じる扉であることを信じなさいと言います。素直に兄弟姉妹をゆるしなさいと言うとき、まったく根本的な何かを、イエスはわたしたちに命じています。」


「赦し」と「和解」の必要性・・・

私たち日本人の立場では、韓国の人々に説くことができない言葉だが、代わりにフランシスコ教皇が説いてくださった。

「怒り」の鎖を解かなければ、苦しみからは逃れることはできない。

苦しみから救いだすための教皇の言葉を、日本に怒りを向ける韓国の人々が、受け止めることができるように願っている。


以前、拙ブログで、名古屋カテドラルである布池教会のミサに与って驚いたという話を「名古屋の流儀」というタイトルでアップしたことがあった。

日本のカトリックの歴史のなかで、常に中心にあった長崎の場合は、その流儀があるならばどのような感じなのであろうか?

興味はあるが、なかなか長崎までは行くことは難しい。

しかし長崎の各教会のホームページの画像を見るだけでも、他の教区との違いを示すサインがある。

例えば、女性がミサ中にベールを冠る比率。

「なんだそんなことか」とおっしゃるなかれ。

これは少し多いなんてレベルじゃない。
小さい女の子に至るまで徹底的にベールを冠っているようにも見える。

実際にミサに与ると目に入る光景の違いに驚くかもしれない。


以前、晴佐久神父が「福音の村ブログ」で、「長崎で講演するのは正直怖い。『東京あたりの神父がはたしてどんなことを言うのか?』と思われそうで・・・」
と書かれていた。

私は、過去からの歴史によって培われた長崎教区ならではの厚み感に畏怖感(というより畏敬の念)を感じるという聖職者は、健全な感性を持っていると思う。

実際に長崎に行ってミサに与れば、ベールだけではない、ドッシリとした長崎の流儀というものが、やはりいろいろあるのではないか?

冒頭で「なかなか長崎までは行けない」と書いたものの「やっぱり長崎に行ってミサに与りたいなあ」という心境・・・

いつか私が行ける日がくるまでは、長崎の流儀をドッシリと毅然と貫いて、それまではチャラい他の各教区を睥睨?していてほしい。

ローマならずとも、長崎もまた私のあこがれの地・・・なんだよなあ・・・



駐日米国大使のキャロライン・ケネディさんが、長崎を訪問され「被爆の聖母マリア像」を拝観されたという話を、以前拙ブログでも書きました。

http://catholicus.blog.jp/archives/4588532.html

「被爆の聖母マリア像」は、バチカンやニューヨーク国連本部の巡回などもあって、現在ではかなり知られるようになったが、注目されはじめたのは近年になってのことらしい。

長崎原爆については浦上が爆心地となったこともあって、その直下にあった東洋一の大聖堂ともいわれた浦上天主堂が壊滅的な被害を被った。

爆発時に天主堂にいた数十名は全員が即死。
告解の時間であったと、ウィキペに記述されている。

浦上が受け続けた過酷な試練の延長にある出来事として「浦上五番崩れ」ともいわれるらしい。

「被爆の聖母マリア像」は、終戦後に復員した浦上出身の司祭によってその頭部が発見され、トラピスト修道院や片岡弥吉さんのもとで保管され、1990年に浦上天主堂に返還された。

ムリーリョの「無原罪の御宿り」の聖母マリアをかたどった御像だったが、変わり果てた痛ましい姿となってしまったため、しばらくは教会内の原爆資料室にあったらしい。

しかし「人間のおかした愚かな行為への反省や平和を願うシンボル」として、聖堂祭壇にあるべきではないかという提言があり、現在では浦上天主堂の小聖堂に移されている。

http://www1.odn.ne.jp/tomas/hibakuseidou.htm

自ら被爆された痛ましい姿は、被爆者をはじめとする人々の苦しみを共に担う姿のようにも見える。


長崎に住んでいるわけではないので、長崎の各地域の特色を体感的に知ることができないが、浦上天主堂のあるカトリック浦上教会は、カテドラル(司教座聖堂)となり、信徒数七千名を超える日本では最大規模の教会となっている。

信徒発見以降の再宣教の歴史をたどるうえで、やはり浦上は日本のカトリックにとって特別な土地。

日本のカトリック教会の中心に浦上がある。

浦上をもっと知らなければならないと思った。


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