カトリの日記

・日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いているブログです。

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・キリシタンの時代から現代までの「カトリックの日本人」や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。

2014年02月

ソルトレークとかトリノオリンピックの時でしょうか?
100名以上の選手団を送ってもメダルを獲得した選手は1〜2名で「やはりメダルを獲得するのは本当に大変なんだ」と思ったものでしたが、ソチでは、いきなり「15歳平野選手18歳平岡選手の銀銅」をとったのを見て、選手層の厚みというか、日本のウインタースポーツがとても成熟しているのを感じました。

見た感じの印象ですが、平野平岡両選手などは、自分の技を披露することを楽しんでいるようで気負いがない。スノボ文化がそうなのかもしれませんが、アメリカっぽい明るさが眩しい感じ。

もちろんフィギュアの19歳羽生選手も素晴しかった!!

10代大活躍!と思ったところで、ジャンプの大ベテラン41歳葛西選手が、銀メダルというのも痛快!

世代を越えた大活躍というのが印象的だった感じ。

まだ、オリンピックは終わっていませんが・・・(笑)

そんななかで一番印象に残ったのは、やはり浅田真央さんでしょうか?

フィギュアという競技は、心境が演技に表れるというか、指先のノビに気持ちが表れるというか、ちょっとした姿勢、所作の違いで素人にもプレッシャーが伝わってくる感じがします。
浅田選手の場合は生真面目なだけに特に、それを感じます。
SP競技大失敗の後のフリーに臨むときの緊張はいかばかりであったでしょうか。
フリーは見事!というしかない感動の演技でした。

「記録より記憶」といいますが、まさにそんな感じ。

日本人選手がメダルをとるのはうれしいですが、メダルは関係なくとも素晴しい感動はあります。

メダルへの期待と言えば、遠い昔の話ですが、マラソンの円谷幸吉選手の自殺の話を思い出します。

円谷選手は亡くなる際に、大変に痛ましい内容の遺書を残し、その遺書はいまだに語り継がれているのです。
検索すると、ウィキペでその全文を読むことができます。

「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。」

〜中略〜

美味しうございました。という感謝の言葉が何行も続き

「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」


で終わる遺書。

追いつめてしまった心の痛さが切々と伝わってくる遺書で大変痛ましく、読んでいるとやはり気持ちがこみ上げてきます。

川端康成が「千万言も尽くせぬ哀切」と語り、
三島由紀夫が「円谷選手の死のやうな崇高な死を、ノイローゼなどといふ言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きてゐる人間の思ひ上がりの醜さは許しがたい。それは傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺であつた」と名誉を守ろうとした事で、この遺書はさらに有名になりました。

生真面目な浅田真央ちゃんを見ていると、重圧を担った円谷選手のことが思い出されたので、フリーの演技は本当に良かったと思った。

メダルというのは選手の目標であって、国家の目標ではない。

メダルをとった後ならば選手と共に、同胞として素直に喜び讃えるのは良い事だが、当事者でもないのに幼稚なナショナリズムで、事前に変なプレッシャーをかけるのはどうなのか?

メダルメダルと騒いだのはマスコミではあったが、選手団の橋本聖子団長が「金5個を含むメダル10個を取って帰る」「選手にプレッシャーを与えたい。日の丸に恥ずかしくない強い代表になってもらいたい」という事を言っていたとの報道があります。

橋本聖子団長は、競技が終わってから真央ちゃんの演技の事を「メダルは取れなかったが、心に響いた」とか言ってるようですがもう遅い!

政治家であり元オリンピック選手だった橋本聖子氏が、円谷選手の事を知らぬはずはあるまい。

浅田真央さんや高梨沙羅ちゃんをプレッシャーで萎縮させた責任が、団長の態度にあるのではないか。

「プレッシャー発言」が事実ならば、橋本聖子氏の政治家としての適性を疑います。

ソチオリンピックでの日本選手の大活躍に驚いています。

以前の大会で、表彰の後でメダルにかじりつく選手の画像を見て、品のなさに嫌気がさし、オリンピックも興味が薄れていたのですが、今回何げなく見てしまったら「もうタマゲタ!」の連打!!

10代なんですよね。15歳、17歳、18歳、19歳 まだ童顔じゃないですか。

10代でオリンピックに出てること自体が凄い。素晴しい!!

その10代の選手が、もう信じられないような技を繰り出すのを見て、あまりに凄すぎてテレビの前で石のように固まってしまいました。

オリンピックに前後して、作曲偽装ペテン師のむさ苦しい中年男の画像が、ワイドショーを賑わしましたから、絵的に全く対比となって「大人たち!しっかりしろよ!」という少年少女たちからの暗黙のメッセージのように感じたり・・・

競技後のインタビューにも感心する。本当に感心する。

あのくらいの年代の選手ならば、例えば「ライバルの○○選手が失敗したので、正直『やった!』と思いました」とか言ってもそれでもいいと思うのですが、マスコミのインタビューに対し、ちゃんと言葉を選んで答えているじゃないですか!!

上手に、しかし素直に自分の喜びを表現して、その表現力にも本当に感心してしまいます。


「言葉を選びつつも、自分の喜びを素直に表現している」オリンピックの10代選手の姿を見ていて

「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(マタイ10-16)という聖書の言葉が思い浮かんでしまいました。

辞書では「素直」という言葉は、「ありのまま、飾らないさま」「性質・態度などが穏やかでひねくれていないさま。従順」というふうになってます。
少し「逆らわないでおとなしくしているお利口さん」のイメージがある?

しかし、「素直」という言葉を、もう少し深く吟味する人もいます。

松下幸之助さんが「素直な心になるために」という本を書かれていて

「私心にとらわれない」
「耳をかたむける」
「寛容」
「実相が見える」
「道理を知る」
「すべてに学ぶ心」
「融通無碍」
「平常心」
「価値を知る」
「広い愛の心」

の10項目をあげてます。

この本では「素直」という言葉の意味に、既に「賢さ」の要素が含まれている感じがしました。

(マタイ10-16)の「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」という言葉も「素直」という言葉が、この世の権力や組織に対する従順を意味する言葉ならば、なにか「面従腹背」を勧める言葉のようになってしまう。

やはり「蛇のように賢く」という言葉が前にあるわけですから、ここでの「素直」は「自分の感情や欲望を取り除き、くもりのない目で物事の真実や福音的かどうかを見ようとする心」を意味する言葉なのでしょう。

バルバロ訳では「素直」ではなく「無邪気」になってます。

この「素直」という言葉は、社会に対してだけではなく、現在のカトリック教会の教会内においても、信徒として胸にきざんでおきたい言葉、噛みしめたい言葉のような感じがします。

1月に福岡で、日本のカトリック教会にとって大変な事件が起きた事を知ってしまった。

福岡で、神父が覚せい剤所持で逮捕されるという事件が起きたらしい。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2205P_T20C14A1CC0000/

これはもう、福音宣教どころか聖職者と信者の信頼関係を根本から失う出来事で、日本での カトリック教会の社会的信用を強烈に失う事件だと思う。

はたしてこれからどうなるのか・・・

覚せい剤というのはちょっと酷すぎる。

司祭も人間ですから教会の教えの上での罪も犯すだろう。
還俗もあるだろう。

しかし犯罪行為に対する抑制も利かないで
どうしてこの世のあらゆる誘惑に勝てるのだろうか?

どうしてこういう人物が叙階されるのか・・・


東京都知事選が近づいてきています。

候補者の誰が当選しても「なんだかなあ・・・」という感じが・・・

どう考えても猪瀬さんのほうが良かったじゃないかと思ったり。

なんといっても細川さんの立候補の理由がよくわからない。

わからないというのは争点としての脱原発の是非ということもありますが、有力な対立候補の舛添さんが原発推進派ではないなかで、なぜわざわざ脱原発を争点にして立候補したのかという理由が理解不能です。

舛添さんの脱原発ではダメということ?

東京都知事としてどのように脱原発を進めるのかということもイメージがわきません。

細川さんを応援する小泉さんとしては、脱原発の是非を選挙で決着をつけるつもりなのかもしれませんが、地方の首長選挙をそういう事に利用していいのか?という感じも・・・

舛添さんが原発推進派ではない以上、脱原発の是非を問う選挙にもならないし、有権者を混乱させているだけです。

主張の明解さということでは、田母神さんが一番明解かもしれません。
しかしご本人が問題意識を感じているのは国政なのではないか?国会議員ならわかりますが都知事になる目的がわからない。
おかしいと思いつつも「脱原発の是非」が中途半端に争点になってしまった以上、私個人としては、その点でも田母神さんにはやはり投票しにくい。
人間的に一番信頼できそうなので惜しい感じがしますが・・・

もっとも東京都民ではないから、投票はできません(笑)


私は、橋下さんが「統治機構改革」ということを言い出したときは、庶民の目線でも行政における官僚主義の弊害というものを感じてましたから期待感を感じました。

福祉の視点、特に高齢者福祉の事についても、もっと論点にならないといけないような感じがします。

そう言う意味では、福祉の視点で、やはり舛添さんになるのかなあ・・・

舛添さんか・・・

なんだかなあ・・・

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