カトリの日記

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。

日々の雑感とともに、主にカトリック教会について書いてるブログ。
キリシタンの時代から現代にいたるまでの「カトリックの日本人」についての記録や「伝統的典礼」「教会建築」「教会音楽」 「宗教美術」など興味関心はいろいろ。
「伝統の断絶」と「政治指向」による躓きがある現在の日本のカトリック教会においては、ラテン語ミサの復興と普及が必要と考え、その実施に参加しています。

2014年01月

なんだか最近、カトリックの話題からどんどん離れていってますが、話の流れでどんどん流れます(笑)

ということでまた「永遠の0」の話になりますが、エンディングテーマは、サザンオールスターズの曲が選ばれてました。

私の印象では、なんとなくしっくりこない感じが・・・

こういうところは好みが人それぞれなので、意見が割れやすいところかもしれません。

さだまさしの「防人の詩」みたいなほうがよかったんじゃないか・・・そんなことを思ったり。

かなり古い曲ですが「防人の詩」は万葉集をもとにしたメッセージ性の強い曲でした。

さだまさしさんはファンでもないし、それほど好きな歌手とも言えないのですが、この曲はただならぬ哀感が籠っていて、聞いているとちょっと動揺してしまう感じ。

日本人のDNAの琴線に触れるのでしょうか?

「防人の詩」がテーマ曲となった映画「二百三高地」は日露戦争の203高地攻防戦を舞台にした話。

司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」では、203高地攻防戦は「日本が近代文明の戦争の恐ろしさを、尋常ではない戦死者の血、犠牲によって知ることになった。」と記されました。

この戦いの指揮官が乃木大将。

司馬さんの描いた乃木大将は、映画「二百三高地」では仲代達矢さん。NHK大河ドラマでは柄本明さんが演じました。
尋常ではない戦死者の多さ、その重さに憔悴していく姿が非常に印象的でした。

犠牲の多さは、乃木大将の指揮の問題もあったかもしれませんが、やはり日本はまだまだ近代戦というものを経験していなかったということだったのかもしれません。

NHK大河ドラマ「坂の上の雲」はそれほど前ではないので柄本さんの演技を生々しく覚えています。

戦争では勝利を収めた乃木大将ですが、二人の息子を戦死で失い、自身も妻と共に明治天皇崩御のときに殉死。

乃木大将殉死は、当時の日本でも、とてもショッキングな出来事で世の中に与えた影響も大きかったようです。

森鴎外の「阿部一族」も、乃木大将の殉死がなければ出来なかったかもしれない・・・

この殉死をもって、近代戦争のもたらす犠牲の大きさをしっかり認識すべきだったのかもしれませんが、なぜか時代は逆に進みます。

近代文明のもたらす負のエネルギーに対し、時代的にまだ無防備で警戒感も希薄だったんでしょうか。

乃木大将の苦悩や死を、日本人の心情をもって理解していくことも大切な歴史の学びのような気がします。

テレビアニメ版「フランダースの犬」ですが、いまNHKのBSプレミアムで再放送しています。
毎週月曜日の6:30〜6:55まで。
http://www.nhk.or.jp/bs/t_anime/

春からやっていて観たり観なかったりだったのですが、最近の回ではネロのおじいさんの体調が少しおもわしくなくなってきたため、気になってビデオ録画で毎週欠かさず観るようになりました。

そろそろクライマックスが近づいているような気がします。
もう既に知っているラストなのですが・・・

子供につき合って時折観ている「ドラえもん」に辟易している私にとっては、カルピス劇場アニメの質の高さ(技巧的な事だけではなくストーリー性)は、ほんとに感心します。
カルピス劇場の制作会社は日本アニメーションという会社ですが、現在は「ちびまる子ちゃん」を制作しているようで「なるほど」という感じがしました。

テレビアニメの「ドラえもん」は、藤子不二雄さん原作の「ドラえもん」とは、もう別物になってしまっていて、制作スタッフの社会観に不安を覚えることがあるのです。

アニメ制作会社の制作の質では、どうやら「ドラえもん」の「シンエイ動画」よりも「日本アニメーション」のほうが、はるかに良い感じ。

私も1人の親として少しでも良いほうを子供に勧めていきたいと思います。
テレビ局の人もちょっと親目線で考えて欲しい。
誰もこんなブログを読んでないと思いますが・・・(笑)

「フランダースの犬」は地元ベルギーでは、原作本はほとんど知名度がなかったようですが、アニメ化された作品では80%の視聴率となり(観光目的かもしれませんが)ネロとパトラッシュの銅像までできました。

こういう事象はアニメの質の高さが普遍的なものであったという証明として思ってもいいと思います。
素直に日本人として誇らしいですよね。

前回、宮駿さんが「フランダースの犬」を「視聴率的には成功したがゴミみたいな作品」と評した事を書きましたが、地元ベルギーの人はそうは思っていなかったということで、とても良かったと思います。


この「視聴率的には成功したがゴミみたいな作品」発言には、私はかなりひっかかっていて、どう受け止めてよいかの戸惑いがあり「『より作品の質を高めたかったというプロ魂ゆえの発言』と思いたい。」というような前向きな事も前回書きました。

しかしちょっと誤認でした。
私は宮駿さんも主要な制作スタッフの一員だと思いこんでましたが、宮駿さんは「フランダースの犬」では、第15話の背景か何かでほんの少しかかわっただけらしい。
宮さんの存在感の大きさからすれば制作スタッフとは言い難い関わり方という感じ・・・

スタジオジブリアニメとカルピス劇場アニメのキャラクターデザインの類似性から、ネロやパトラッシュのキャラクターデザインも宮駿さんがデザインしたものと私は勝手に勘違いしてました。

自分の作品でもないのに、会社仲間の作品を『ゴミ作品』呼ばわりはちょっと酷いんじゃないか・・・

「フランダースの犬」のキャラクターデザインは、もりやすじさんでした。

宮駿さんの先輩格に当たる人のようです。

「ゴミ発言」はもしかしてライバル心からの発言? ちょっと大人げない。
「日本を代表するアニメーターの発言としてちょっとどうよ!!」という感じ・・・

もりやすじさんの人柄は「いつも穏やかで気品にあふれた森さんの絵そのもの。絵柄に人柄が表れる」と評された方だったらしい。

「穏やかで気品にあふれる」と評された、もりやすじさんの絵ですが、ほんとにほんとにやさしくて可愛い。

「絵柄に人柄が表れる」っていいですね。


【※ネタバレ注意】

映画は公開中で、まだ観てない方もいると思いますので、なるだけストーリーには細かく触れないように書きますが、感想を述べるにあたってラストについて少しふれますので、白紙の状態でこれから映画を観たい方は映画鑑賞後に読んだ方がいいと思います。
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以前、小説の「永遠の0」について、このブログでも読後感想を書いた事がありました。

今では、なんと400万部を越えたようです。

映画も公開され、今ではかなり話題になってます。
ネットのレビューをいろいろ見てみましたがとても評判がいい。

邦画は(最近は洋画も?)失望する事が多いのでどうしても慎重になるのですが、今回は見ることに決め、観てきました。

原作本は、状況説明や描写の細かさによって真実に迫っていく迫力があった反面、感情描写でやや過剰なところもあったのですが、映画はその双方が少し薄まった感じ。

しかしストーリーそのものがやはり重い。

人の命の重さ。家族との絆。「必ず帰ってくる」という言葉に込めた想い。もう胸に迫るものがあります。

映画のエンドタイトルが流れると普通は席を立つ人がいるものですが、スクリーンが閉じて中が明るくなっても、ほとんどの人がすぐには席を立たず一瞬、間があるぐらいの強い余韻でした。

神風特攻の実像を明らかにする映画でもあります。

技術的に米軍戦闘機との性能差は歴然で、攻撃目標である艦船(空母)にたどりつくことが非常に困難であるうえに、接近してもVT信管(金属探知で15m内に近接したら爆発)を装備した対空火力の前では全く無力であったことを知りました。

圧倒的な戦力差。単なる物量差ではなく技術的にも完膚なまでに・・・

組織としての思考停止のなかで、特攻という名の死の強要が行われ、戦果がなくても止めなかったという事実。

望まないながらも覚悟の上で自分の命を国の為に捧げたという事に対し、その名誉を守り鎮魂慰霊の気持ちが必要ですが、軍という組織が国民を守るどころか国家権力のもとに兵士である国民(個人)に対し死を強要したということは絶対に忘れてはならず、民族の歴史としてその記憶を受継いでいかなければならないとあらためて思いました。

平和と民主主義の大切さを噛みしめてしまう。


映画を観てあらたに疑問に感じたところも、実はあります。

厳しく特攻についての無謀さを明らかにしながらも、ラストは結局ヒロイックに描いてしまったのではないかということ・・・

圧倒的な戦力差のなか、全く目的を達成することなしに次々に撃ち落とされ、命を失って行く仲間達を目の前に、主人公の意識も「帰りたい。死にたくない」という意識と共に「死なせてしまった」後悔や「死なせたくない」という気持ちが強まっていきます。

結果的には、神業のような自分のゼロ戦パイロットとしての技量の全て発揮し「一矢報いる」というような結論になってしまったようにも感じる。
あれほど、家族のもとに帰ることを決意していたのに。

極限状況下のなかでの戦友の絆というものは当事者でなければわからないものがあるのかもしれませんが・・・

戦争末期(というより後期)軍の幹部は、薄々敗戦を自覚しながら「一撃をもって講和」という虚像にとらわれていたことが近年あきらかになっていますが、「一矢報いる」ということでは、そういう軍幹部の思いと同じになってしまう。

原作者の百田尚樹さんが「もう時間的に戦争の真実を体験者に聞く事ができるのは今しかない」という問題意識を持たれたことは大変共感するのですが、その事実を伝えるために「小説」の手段をとってしまったことも少し疑問に思えてきました。
小説という手段をとったために事実とフィクションが混ざってしまったためです。

もっとも小説を読んで映画を観て、より理解が進んだがゆえに感じてきたいうことなので、百田尚樹さんが問題提起したことの意義は素晴しいものがあります。


余談ですが特撮も凄い。
空母やゼロ戦の雄々しさや空と海の美しさを魅せたというか・・・臨場感によって映画の世界に入り込む手助けになりました。
ストーリの重さと対照的になるのですが、それはそれで不思議と印象を強めました。

とにかくこの映画は、いろんな人に見て欲しいと思います。

「永遠の0」のヒットを軍国主義の復活というようなステレオタイプな感じ方をしている人に、特に観てほしいと思います。


遅まきながら

新年あけましておめでとうございます!
2014年が、全ての人にとって、良い一年となりますように。


年が開けて3日も過ぎてしまいましたが、なんとかお正月の三が日の間に滑り込みで、ブログを更新したいと思います。


私の年末年始は年末から実家に帰省し大掃除。

以前、実家の片付けをしていた際に、バルバロ神父様の訳編の「毎日のミサ典書」を発見しましたので、少し期待感があるのです。

入念に調べたところ、やはりまたまたお宝発掘。

一つはグレゴリアンの「降誕ミサ曲集」。カセットテープですが・・・

それともう一つは、私が子供の頃のミサで使っていた「ミサの式文」

基本的には第二バチカン公会議後の今のノブスオルドミサの式文ですが、現在のものと微妙に違います。

参考になったのは、跪きのタイミングが明示されていたこと。

私は奉献文の間はずっと跪いていましたが、微妙に違うことがわかりました。

この「ミサの式文」によると、跪きの開始は「まことに聖なる・・・」ではなく「あなたにささげるこの供えものを・・・」から。

跪きの終了は栄唱「キリストによってキリストのうちに・・・」の前まで。

現在の私は栄唱のときも跪いていますが、この式文とは少し違ってました。

いろいろな流儀があるのかもしれませんが、式文に明示されている以上、式文にならい補整したいと思います。


「型があるから型破り。型がないのは型無しって言うんです。」

タイミングを合わせるかのように、元旦の集英社の企業広告が、中村勘三郎さんの含蓄がある言葉を引用してくれました。

型破りがいいかどうかはわかりませんが、型無しというのは気になります。

なにゆえにこうも私は、そういう型がどうのこうのということが、気になるのかわかりませんが、とにかく辿って行きたい。

そんな感じでまた一年が始まりました。

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