先日、朝起きたときの話なのですが、突然「こむら返り」になって、ギョギョギョでした。
(こういうニュアンスの時は「じぇじぇじぇ」じゃない?でしょうね)
足が全く動かないのです。
初めてではないですが焦りました。
自分の意思で自分の身体が動かない感覚・・・
足が石になって固まっていくような恐怖!!
(ちょっと大袈裟ですかね・・・笑)
旧約聖書に「ソドムとゴモラの街が天の火で滅ぼされた時に、振り向いて街を見たロトの妻が、塩の柱になってしまう」という話があります。
石じゃなくて塩の柱ですが・・・
あるいはギリシャ神話の「メデゥーサの話」とか・・・
人が固まって石みたいになる話は多いんじゃないでしょうか?
後でそんなことをチラッと思ってしまいました。
自分の体ですら自分の意思で動かない。
こういう経験をすると、なんでもかんでも自分の意思で動かせているというのは大間違いということに気づかされます。
突然雨が降るのも、突然自転車にぶつかりそうになるのも、偶然といえば偶然・・・
天気予報を見て雨がふるのを知っていたつもりになっても、予想以上の雨で電車まで止まる。途中の駅で足止めをくらう。
「あ〜あついてないなあ。まさかこんな事になるとは・・・」というようなことは山のようにあるわけです。
「運がいい」「運が悪い」「ついてる」「ついてない」というのは、全て自分の意思以外の偶然なんですよね。
そして私ごときの数十年の人生においても、「強烈な偶然」(こむら返りではないですよ)というのはやはり何回かある。
そういう経験は、後で振り返ると「『偶然性』に自分以外の何かの意思が働いていたんじゃないか」とどうしても思ってしまいます。
「やはり神様のシグナルだったのかな?」みたいな感じ・・・
私のプリミティブな信仰の原点ですが・・・
ところで、「こむら返り」というのは、夏場の夜に中高年におきやすいらしく、水分補給が大切みたいですね。
(こういうニュアンスの時は「じぇじぇじぇ」じゃない?でしょうね)
足が全く動かないのです。
初めてではないですが焦りました。
自分の意思で自分の身体が動かない感覚・・・
足が石になって固まっていくような恐怖!!
(ちょっと大袈裟ですかね・・・笑)
旧約聖書に「ソドムとゴモラの街が天の火で滅ぼされた時に、振り向いて街を見たロトの妻が、塩の柱になってしまう」という話があります。
石じゃなくて塩の柱ですが・・・
あるいはギリシャ神話の「メデゥーサの話」とか・・・
人が固まって石みたいになる話は多いんじゃないでしょうか?
後でそんなことをチラッと思ってしまいました。
自分の体ですら自分の意思で動かない。
こういう経験をすると、なんでもかんでも自分の意思で動かせているというのは大間違いということに気づかされます。
突然雨が降るのも、突然自転車にぶつかりそうになるのも、偶然といえば偶然・・・
天気予報を見て雨がふるのを知っていたつもりになっても、予想以上の雨で電車まで止まる。途中の駅で足止めをくらう。
「あ〜あついてないなあ。まさかこんな事になるとは・・・」というようなことは山のようにあるわけです。
「運がいい」「運が悪い」「ついてる」「ついてない」というのは、全て自分の意思以外の偶然なんですよね。
そして私ごときの数十年の人生においても、「強烈な偶然」(こむら返りではないですよ)というのはやはり何回かある。
そういう経験は、後で振り返ると「『偶然性』に自分以外の何かの意思が働いていたんじゃないか」とどうしても思ってしまいます。
「やはり神様のシグナルだったのかな?」みたいな感じ・・・
私のプリミティブな信仰の原点ですが・・・
ところで、「こむら返り」というのは、夏場の夜に中高年におきやすいらしく、水分補給が大切みたいですね。