第二バチカン公会議から50年ということで、典礼の変更についての当時の司教様のお話を資料で目にしました。

「信徒はラテン語をわからない。御ミサで意味がわからないままに祈られているのは良くない。」という文脈。

第二バチカン公会議の典礼憲章では、ラテン語から各国語への変更は「(各国語に)することができる」であって「(各国語に)しなければならない」ではなかったのですが、当時から既に「(各国語に)しなければならない」という理解になっているような感じ。

同じく典礼憲章の36番では「ラテン語の使用は、特殊な場合を除き、ラテン典礼様式において遵守される」と書かれているので、当時の日本のカトリック教会の一般的な理解は、典礼憲章とは齟齬がある感じがします。
しかしそれまでが各国語ではなかったのだからやはり新鮮だし、改革の勢いの高揚感のようなものがあったのでしょうね。

ただ気になるのは、今になっても、日本の教会の末端では、ラテン語を遠ざけるような風土が固まってしまっている感じがする。小教区にもよるとは思いますが・・・

こうした風土になった背景には、6年ほど前にお亡くなりなられた枢機卿様が「カトリックが欧州的な姿のままでは日本での宣教は進まない」とお考えだったようで、やはり存命中は、もしかしたらそのお考えの影響がどうしても強かったのかもしれません。

ただバチカンのほうでは、このような第二バチカン公会議の解釈のブレを危惧していたということが、ラティンガー枢機卿(当時)の書籍「信仰について」(1985年)などでよくわかります

「ラテン語の使用は「カトリック者にとって、典礼は共通の『母国』であり、自分のアイデンティティの源泉そのものである。このためにも典礼は、祭式を通じて『神の聖性』が顕現されるのだから『あらかじめ設定され』『何ものにもわずらわされるもの』でなければならない。ところが『規則に縛られた古くさい厳格さ』と呼ばれ『創造性』を奪うと非難された典礼に対する反発は、典礼をも『手造り』の渦の中に巻き込んで、私たちの凡庸さに見合うものにし、凡俗化した。」

「凡俗化」
という表現が鋭い・・・

「ミサの荘厳さ」についての記述でも、とても共感する箇所があります。

「美を追放し、ただ実利だけを追求するところで示されるおそるべき貧しさは、ますますはっきりしたものとなってきた。」
「教会が、礼拝の荘重さと荘厳さをもって神の美、信仰の喜び、闇と誤謬に対する心理と光の勝利を表すのは断じて自信過剰ではない。典礼の豊かさは、ある種の聖職者の富ではなく、万人の富であり、貧しき人々の富であり、彼らはそれを熱望こそすれ、少しもそれにつまづいてはいない」


キッパリとした文章です。

その後、教皇になられて2007年に「自発教令 スンモール・ポンティフィクム」を出されてさらに具体的にハッキリします。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message243.htm

第1項 パウロ六世が発布したローマ・ミサ典礼書はラテン典礼のカトリック教会の 「祈りの法(Lex orandi)」の通常の表現である。これに対して、聖ピオ五世が発布し、福者ヨハネ二十三世があらためて発布したローマ・ミサ典礼書は、同じ「祈りの 法」の特別な表現と考えるべきであり、このあがむべき古くからの典礼の使用に対してふさわしい敬意が払われなければならない。これらの教会の「祈りの法」 の二つの表現は、決して教会の「祈りの法」の分裂をもたらしてはならない。なぜなら、これらは唯一のローマ典礼の二つの使用だからである。
  それゆえ福者ヨハネ二十三世によって発布され、決して廃止されたことのないローマ・ミサ典礼書規範版に従って、教会の典礼の特別な形式としてミサのいけにえを行うことは許される。


ということで、現状においては、ラテン語の使用を「わからないから」と言って疎んじるのではなく、ことにトリエント・ミサに対して敬意が払う必要があります。

日本でも、教区の理解のもとにトリエント・ミサが行われるようになってきましたが、末端の小教区の信徒の意識はまだまだな感じ。
しかし時間がかかるとは思いますが、ラテン語についても、少しづつ「旅する教会の今日的歩み」が理解されていくように祈りたいと思います。